【ビジ哲】ニーチェ編 #4 「決断できない」自分と、どう向き合うか?
── 決断とは、正解を選ぶことではない。自分の選択を、正解にしていくことだ。
■ 決めない上司の話

コンサルタントとして、ある会社の役員会議に同席したことがある。
議題は、新規事業への参入可否。
データは揃っていた。
メンバーの意見も出揃っていた。
でも、トップが言った。
「もう少し様子を見よう」
3ヶ月後、また同じ議題が上がった。
また同じ言葉が出た。
「もう少し様子を見よう」
その間に、競合他社が市場に入っていた。
決断しないことも、決断だ。
そしてそれは多くの場合、最も高くつく決断だ。
■ 対話:恵美と玲子、そしてニーチェとキルケゴール

👩🎓 恵美「私、決断が苦手で。仕事でも、どっちにしようか迷って、結局どちらにも踏み切れなくて。上司に『もっと自分で決めろ』って言われるんですけど、怖くて」
👩🏫 玲子「何が怖いの?」
👩🎓 恵美「間違えることが怖いんだと思います。決めて、失敗したら、それは全部自分の責任になるじゃないですか。誰かに決めてもらえば、うまくいかなくても……」
👩🏫 玲子「責任を分散できる」
👩🎓 恵美「……そうですね。情けないですけど」
部屋の空気が少し変わった。
琥珀色の光——ニーチェ。
そしてもうひとつ、どこか憂いを帯びた、深みのある光。
👩🎓 恵美「今日の方は?」
👩🏫 玲子「キルケゴール。セーレン・キルケゴール。19世紀デンマークの哲学者。実存主義の先駆けと呼ばれる人よ」
💡 キルケゴール「恵美よ。あなたは今、『審美的段階』にいる。快・不快で動き、痛みを避けようとしている。それは人間として自然なことだ。しかし、そこに留まる限り、本当の自分には出会えない」
👩🎓 恵美「審美的段階……?」
💡 キルケゴール「人間の実存には三つの段階がある。審美的段階、倫理的段階、そして宗教的段階だ。決断とは、次の段階へと自ら跳躍することだ」
👩🎓 恵美「跳躍……怖いですね」
💡 キルケゴール「そうだ。怖い。なぜなら、跳躍に保証はないからだ。それでも跳ぶことを、私は『主体的真理』と呼んだ」
ニーチェが静かに言った。
💡 ニーチェ「キルケゴールは正しい。決断とは論理ではない。しかし私はこう加える——決断しない者は、自分の人生を他人に書かせているのだ」
恵美は、その言葉を聞いて、少し背筋が伸びた。
■ キルケゴールの「実存の三段階」

キルケゴールは、人間の生き方を三つの段階に分けた。
第一段階|審美的段階
快楽を求め、苦痛を避ける生き方。
その場の感情や気分に従って動く。
決断を避け、流されていく。
第二段階|倫理的段階
義務や責任を引き受ける生き方。
「すべき」という規範に従って動く。
自分の選択に責任を持ち始める。
第三段階|宗教的段階
論理や規範を超えた、絶対的なものへの跳躍。
「わからないけれど、それでも信じて進む」という境地。
キルケゴールが言う「決断」は、第一段階から第二段階への跳躍だ。
快・不快で動くことをやめ、「自分はどう生きるか」を自ら引き受けること。
そしてその跳躍に、保証はない。
正解かどうかは、跳んでみないとわからない。
それでも跳ぶことが、実存的な決断だ。
■ ニーチェとニヒリズム
ニーチェはこの問題を、別の角度から照らす。
「ニヒリズム」——虚無主義。
何も信じられない、何も意味がない、という感覚だ。
現代の組織でも、このニヒリズムは静かに広がっている。
「どうせ何を言っても変わらない」
「自分が決めても、どうせひっくり返される」
「頑張っても、報われるとは限らない」
これらはすべて、決断する意志を奪う言葉だ。
ニーチェはニヒリズムを「超えるべき病」と見た。
虚無を感じること自体は避けられない。
でも、そこで止まるかどうかは、自分が決めることだ。
決断できないのは、意志が弱いからではない。
「決めても意味がない」という思い込みが、意志の前に立ちはだかっているからだ。
■ コンサルの現場で見てきたこと
決断が遅い組織には、共通した空気がある。
「失敗した人が責められる」という記憶だ。
誰かが決断して、うまくいかなかった。
そのとき、組織がその人を責めた。
それを見ていた人たちは、学習する。
「決めないほうが安全だ」と。
これは個人の問題ではなく、組織の問題だ。
逆に、決断が早い組織には別の空気がある。
「失敗は情報だ」という共通認識だ。
決めて、試して、学ぶ。
そのサイクルが回っている組織では、決断することへの恐れが薄い。
キルケゴールが言う「跳躍」を、個人だけに求めるのは酷だ。
跳べる環境を、マネージャーが作ることが先決だ。
■ マネージャーへの3つの問い
① あなたのチームで「決断が遅い」と感じる人は、何を怖がっているか?
② 失敗した部下を、あなたはどう扱ってきたか。責めたか、それとも次に活かしたか?
③ あなた自身が「決めずに保留している」ことは、今いくつあるか?
■ まとめ

キルケゴールは人間の実存を三段階で捉え、決断を「次の段階への跳躍」と呼んだ
跳躍に保証はない。それでも跳ぶことが「主体的真理」だ
ニーチェはニヒリズムを「決断の意志を奪う病」と見た
決断できないのは意志の弱さではなく、「決めても意味がない」という思い込みかもしれない
個人に跳躍を求める前に、跳べる環境をマネージャーが整えることが先だ
■ 次回予告
👩🎓 恵美「決めることって、こんなに深い話だったんですね。なんか、ちょっと怖くなってきました」
👩🏫 玲子「怖いと感じるのは、ちゃんと考えてる証拠よ。次は、もう少し外に目を向けてみましょう」
👩🎓 恵美「外、ですか?」
👩🏫 玲子「組織のルールって、誰のためにあるのか。それを考えてみましょう」
次回は ニーチェ編 #5「『組織のルール』は誰のためにあるのか」。
マルクスとニーチェが交差する、構造と個人の話。恵美が初めて、組織そのものに疑問の目を向けます。
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