46.邪魔な思考の影響なく、わきあがる幸福感を味わっています
家族の役に立てているという喜びを、今はただただ素直に味わえているというお話しです。
かつては、私の持っている恐れや不安や自己否定が、相当邪魔をしていたんです。
どうやら、今は違うようです。
手放したらわき上がってきた
私が良き妻、良き母でありたいと思っていたのは、夫や息子からそう思われたかったからです。承認欲求です。
生まれ育った家の家族に対しては、承認欲求だけでなく色々持っていましたが、特に「やらされている感」が強かったんです。
以前のある時期に、大きな問題で困り果てている両親に手を差し伸べて喜んでもらえたときの私には、満足感はありませんでした。
私自身が、諸々抱えてきた恐れや不安がどんなものだったのかに気づき、同時にそれらを自分でジャッジすることから放れていったら、頭の中が整理されて、以前よりはだいぶスッキリしてきました。
そんな変化とともに感じるようになったのは、幸福感でした。
実は、「幸福感」と言葉にしてしまうと、私は何かしっくりこないのです。
こころの奥からじわじわとあたたかいエネルギーがわき上がってくると表現した方が、私の感覚に近いと思っています。
でも、読んでくださる方には、わかりにくいかもしれないので、ここでは「こころの奥からじわじわとわき上がるあたたかいエネルギー」と私が感じているものを、「幸福感」と、表現しておきます。
恐れを飛び越えて続けてきた好きなことが、家族の役にもたつようになってきた
面白いくらい過去の私は、自分の好きなことを封印していました。
それでも、今から約11年前に恐る恐る初めた習いごとがパッチワークでした。
ある時期までは常に、こんなことをしていては何かを失ってしまうという恐れとの戦いのようになっていましたけどね。
私が好きなことをすることに対して持っていた恐れを打ち消してくれたのは、夫でした。
ずっと応援してくれて、通っている教室の作品展は欠かさず見てくれていました。
私は、さらに気付いていきました。
パッチワークというよりは、必要なもの、使いたいものを自分で縫って使いたいのだと。
そこで、簡単な服を縫って着たり、
自作のバッグを使ったり、
完成したタペストリーをリビングに飾ってみたり
していました。
自分の好みや要望に合わせて作ったものを使うのは、なんて快適なんだろうというのが、私の感想でした。
現在までに、夫にはショルダーバッグ1つ、ボディバッグ2つ、スマホポーチ1つを、縫って渡しました。
息子も、縫ってくれるかなと言ってくれたので、トートバッグ2つと小物入れ2つを縫って渡しました。
2人が、それらを使い続けてくれているのが、私はものすごく嬉しいんです。
うつ病で何年も療養していたり、その後も頻繁に体調不良で動けなくなったりしていたけれど、私の好きなことで二人の役にたてているのは、このうえない喜びであり、遣り甲斐を感じられるなと思っているんです。
やらされている感ではなく、私がこころからそう思ってやったんだと腑に落ちた
息子は、私の縫ったバッグの使い勝手が悪ければ、既製品をさっさと買いに行くと思います。理由はちゃんと私に伝えてくるはずです。
だけど、縫ったものを使ってくれています。(マザコンじゃありませんヨw)
夫は、一番最近作ったボディバッグを特に気に入ってくれて、ものすごく使いやすいんだと言ってくれます。
それを聞いた私は、そりゃそうだよなと、思ったんです。
2人から依頼があると私は、かなり質問攻めをします。
バッグの大きさの希望とか、何を入れるのかとか、ポケットはどうするのが希望か、色はどうしたいか、かなり細かく訊きます。
特に息子は、あれこれ好みやこだわりがあるので、とにかく本人の希望を訊きまくりました。
多分そうやって、徹底的に使う本人達の希望を取り入れたから、使い続けてくれているんだと思います。
だから、縫うのが大変な内容だったとしても、希望を訊いてよかったなと思っています。
そして、そこに私の喜びポイントがあるんだと、自覚しました。
相手にとって使い勝手がいいもの、使いやすいものを作って、快適に使えるようにという思いです。
これは、私の本心であって、やらされ感は全くないどころか、こころの底からそうしたいと思っていることなんだなと、素直に認められました。
そこには、私の幸福感が一緒にあります。
余計な思考が整理されていたからこそ
夫や息子が気に入ってくれなかったらどうしようという心配は、ありませんでした。
縫いながら私がそれを気に入ってしまって、使わないなら私が使っちゃお!それはそれでちょっと楽しいかも
なんて、思っていましたから。
上手だとほめてほしいわけでもなく、ただ2人にとって使い勝手のいいものを作りたかったっただけでしたね。
だから、多分使う本人達も、重苦しさは感じてないはずです。
私自身は、抱えていた恐れや不安を捨てたわけじゃないし、多分なくなってもいません。
そういうものがあるとわかったとき、ジャッジするのをやめただけです。
それだけで私のこころが軽くなり、だからこそ夫や息子も圧を感じることもなく、お互い軽やかに、私が縫ったものを使ったり使わなかったりできているんだと、今は思っています。
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