36.それまでの私の人生を、これでよかったんだと肯定した瞬間
過去には散々、どうしてこうなってしまったんだ!と、嘆いていた私です。なんでこんなに辛いんだ!とか、どうして母親はああなんだ!等々、当時の不平不満は挙げればきりがなかったのでした。
それが、あるときフッと変わってしまった瞬間がありました。その話しをこれからします。
ただ、先に確認しておきます。私と似たような辛さを持っている人の誰もが、こういう風に考えればいいのにと思っているわけではありません。人に強制する気は全くなく、それぞれが信じるものを信じればいいし、人それぞれのタイミングというものもあると、思っています。
あくまでも、私はこうだったという話しです。
師が話してくれたこと
かつて通っていた師の塾(宗教ではありません)で、こんな話をしてくれました。
私たちの魂は、生まれてくる前にこの人生で経験することを決めてくる。(どこまで細かく決めているのかは、私にはわかりません)
その学びのため、両親を選んで生まれてくる。
これ、証明のしようがありません。ですから、他の人に信じろと強制する気はないんです。師も、信じろと言ったわけではありませんでした。
生まれながらに、いわゆるスピリチュアル的な能力がある師が、子どもの頃から自然と、そう理解していたのだそうです。
その考え方を受け入れた私に起こった変化
証明のしようがないなと思いつつも、私はなぜか自然にこの考え方を受け入れていました。
信じようと思ったわけでもなく、信じなければならないと、自分に強制したわけでもありません。
師の言うことだから疑ってはいけないと考えたわけでもありません。
この考え方を受け入れた途端、頭の中で次々と思いが展開していました。
「そうか、そうだったんだ。だったら私の人生はこれでよかったんだ。」
不思議なほどに私は、自分のそれまでの人生を肯定し始めていました。
「ネガティブな思い込みや考え方の癖をどんどん強化し、うつ病にまでなり、そこから多くのことを学んで自分と向き合い這い上がっていく、そういう経験をすると決めてきたのであれば、そうなんだろう。
そのために両親を選んで生まれてきたとしたら、それでよかったんだ。」
こんな風に思うようになっていました。
やがて、この投稿に書いたような感謝の気持ちがわき上がってきたのです。
私の母親の人生全てがまるで、私の学びのためにあったかのようにさえ思えてきたのでした。
短気で直ぐにイライラしていた父も、私と二人だけになるとありとあらゆる愚痴をこぼし続けながら、私に様々強制してきた母も、常にイライラをぶつけあっていた両親の関係性も、全てが私のこの人生での学びのためにあったとしたら、もうそれはそれでよかったのだと、考えるようになり、今もそう思っています。
タイミングが違っていたら信じられなかったかもしれない
スルリとこの考え方を信じたのは、タイミングがよかったのかもしれないと、思っています。
生きにくさの真っただ中にいるときの私だったら、信じるどころか頭にきて怒ってしまったかもしれません。
初めからこうなることが決まっていただなんて、冗談じゃない!と、考えただろうと思うんです。
うつ病の辛さを抱えていた頃なら、信じるとか信じないとか、何も考えられなかったかもしれません。
最も辛い時期が過ぎ、何人もの人から様々なことを学んだ後だったから、受け入れられたのかもしれないと思っています。
自分のことは自分で決めたいという強い欲求を持っていた私だから、もしかしたら受け入れやすかったのかもしれません。
とにかく師からこの話しを聞いたことで、それ以前のような、全てを否定的にとらえる考え方が、私の中で一瞬にしてひっくり返ったのでした。
こんなこともあるのかと、自分でも驚いた体験でした。
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