SAFの次に知っておきたい「CORSIA」──航空カーボンクレジット市場の現在地を、同時期に出た2本のレポートから読む
以前の記事で、持続可能な航空燃料(SAF)を取り上げました(SAFは航空業界を「ネットゼロ」に運べるか)。その記事の中で少しだけ触れたのが、国際線のCO2をカーボンクレジットで相殺する国際制度「CORSIA(コルシア)」です。SAFが「燃料そのものを替える」アプローチだとすれば、CORSIAは「それでも出てしまう排出分をクレジット購入で埋め合わせる」アプローチで、両者は航空脱炭素の両輪にあたります。
そのCORSIAについて、2026年6月から7月にかけて、カーボンクレジット評価機関のSylveraと、カーボン市場調査会社のAbatable(Boeing・GenZeroとの共同レポート)から、ほぼ同じタイミングで市場分析レポートが発表されました。片や「供給不足と価格リスク」への警鐘、片や「ASEANに眠る供給余力」の提示と、切り口は対照的ですが、並べて読むと同じボトルネックを指していることがわかります。今回はこの2本を手がかりに、CORSIAクレジット市場の現在地を整理します。
■ おさらい:CORSIAとはどんな仕組みか
CORSIAは、国連の専門機関であるICAO(国際民間航空機関)が運営する制度で、国際線を運航する航空会社に対し、2019年の85%という基準線(ベースライン)を超えた分のCO2排出を、適格なカーボンクレジットの購入・償却(購入したクレジットを消し込み、二度と使えなくする手続き)で相殺するよう義務づけるものです。
現在は2024〜2026年の排出を対象とする「第1フェーズ」の期間中で、クレジットの償却期限は2028年1月31日。つまり残り19カ月を切っています。2027年からは原則すべてのICAO加盟国が対象となる第2フェーズが始まり、対象範囲が一気に広がります。
ここで重要なのが、「どんなクレジットでも使えるわけではない」という点です。CORSIAで使えるクレジット(適格排出ユニット。SylveraはEEU、AbatableはCEEUと表記)になるには、認証基準や対象期間の要件に加えて、クレジットを生み出したプロジェクトの所在国(ホスト国)による承認書(LoA)と、「相当調整(Corresponding Adjustment)」と呼ばれる会計処理が必要です。相当調整とは、そのクレジット分の排出削減をホスト国が自国の削減目標(NDC)に計上しない、と約束する手続きのことで、同じ削減量が航空会社と国の双方で二重にカウントされるのを防ぐ、パリ協定6条に基づく仕組みです。この「国の承認」が、後述するとおり市場最大のボトルネックになっています。
■ Sylveraレポート:使えるクレジットは需要の23%しかない
Sylveraのレポート「CORSIA Countdown」(2026年6月発表)は、第1フェーズの需給を正面から分析したものです。
同レポートによれば、第1フェーズの需要は最大約1億6,300万トン(域内欧州便などを除いた同社の基本シナリオ)に達する一方、現時点で全要件を満たした適格クレジットは3,800万トン、需要の23%にすぎないと記載されています。発行済みで「潜在的に適格」なクレジットは約3億トン、2028年1月までには6億4,000万トンまで積み上がる可能性があるものの、承認書や相当調整を現実的に出せる国に絞ると1億400万トン、全要件充足済みに絞ると4,800万トンまで細るという試算です。つまり、クレジットが存在しないのではなく、国の承認手続きが追いついていない、という趣旨です。
国別のリスク評価も示されており、評価対象75カ国超のうち、承認書と相当調整の両方を高い確度で実行できると見られる国は21%にとどまると述べられています。ケニアのように炭素市場に積極的な国でさえ、世界銀行系機関の後ろ盾があった案件で承認書が最後まで出なかった事例が紹介されており、「意欲があること」と「実際に承認を出せること」は別物だという指摘です。
価格については、50以上のシナリオを検証した結果として、供給が逼迫し駆け込み購入が起きた場合は1クレジット53ドルまで上昇しうる一方、供給拡大・需要減のシナリオでは15〜33ドルにとどまるという幅が示されています。興味深いのは、2026年半ば時点で航空会社の購買活動がほぼ止まっているという観察です。これまでのCORSIA目的の償却は約40万トン、想定需要の0.2%程度にすぎないと記載されており、多くの航空会社が政策の明確化を待って様子見をしているものの、締切直前に買いが集中すれば価格と調達可能性の両方のリスクが同時に顕在化する、と警告されています。
日本に関する言及もあります。CORSIAは制度上、各国での執行(エンフォースメント)が義務ではなく、執行体制は国によってまちまちです。そのなかで日本は、EUやカナダなどと並んで国内制度にCORSIA遵守を組み込んだ国として挙げられており、日本航空(JAL)と全日本空輸(ANA)は世界で最初期に第1フェーズ向けのクレジット償却(計20万トン強)を行った航空会社だと記載されています。不遵守が運航ライセンスに関わる日本の執行枠組みへの直接の対応だという説明です。
■ Abatableレポート:ASEANに眠る「最大85億ドル」の供給余力
一方、AbatableがBoeing・GenZeroと共同で発表した「Unlocking the billion-dollar CORSIA potential in ASEAN」(2026年7月1日公表)は、同じ市場を供給側、それも東南アジアの視点から描いたものです。
同レポートによれば、ASEAN域内で現在CORSIA適格なクレジットはカンボジアとラオスの4プロジェクト(いずれもクリーンな調理用コンロや浄水器の普及事業)から発行された260万トンで、世界の適格供給の7.1%にあたります。しかし、要件はほぼ満たしているのにホスト国の承認だけが欠けている「CORSIA整合」クレジットが域内54プロジェクト・1,820万トン分あり、承認さえ出れば直ちに市場に出せる状態だと記載されています。さらに開発中の100プロジェクトのパイプラインまで含めると、2035年までに最大3億4,800万トンの供給が可能で、その経済価値は16億〜85億ドル、約32,000人の直接雇用を生む可能性があるという試算です。
つまり、Sylveraが指摘した「世界的な供給不足」の答えの一部がASEANにある、という構図です。ただしAbatableも、ボトルネックは同じく国の承認だと指摘しています。ホスト国の環境省は、クレジットを海外に売りすぎて自国のNDC達成が危うくなる**「オーバーセリング」を警戒して承認に慎重になりがち**で、NDCを所管する環境省、森林や農業を所管する省庁、CORSIAを所管する運輸・航空当局の間の調整不足も承認を遅らせている、という趣旨の分析が示されています。
価格の観察も注目に値します。CORSIAクレジット価格は2026年1月の19.0ドルから6月には9.55ドルへと半年でほぼ半減したと記載されており、供給が増えた一方で航空会社の需要が弱いままであることが背景とされています。この足元の値崩れはSylveraのレポートでも触れられており、ICE先物価格は下落しているものの、供給制約と締切という構造は何も変わっておらず、現在の安値は買い手の様子見が価格シグナルを抑え込んでいる一時的なもので、誤解を招きかねない──という趣旨の評価が示されています。つまり両レポートは**「足元は値崩れ、構造的には供給不足」という同じ市場の姿**を描いており、その静けさの裏にリスクが潜んでいる、というのが共通のメッセージです。なお、シンガポール航空とその傘下のスクートが2026年4月に15万トンを償却した事例(JALに次ぐ世界2番目の規模の公表償却)が、域内の先行事例として紹介されています。
■ 日本企業への影響
▼ 航空会社:先行者の立場を活かせるか
JALとANAは前述のとおり世界最初期に償却を実施しており、制度対応では先頭集団にいます。ただし、Sylveraのレポートが警告する駆け込みリスク──2028年1月の第1フェーズ締切直前に買いが集中すれば、価格高騰と「そもそも買えない」リスクが同時に顕在化する──は、先行して一部を償却した航空会社にも、残りの義務量については同じように当てはまります。同レポートでは、複数の価格シナリオを想定した分散調達(時期・供給元をずらしたヘッジ的な購入)が推奨されています。さらに2027年からは、第1フェーズに参加していない国との路線も原則対象になる第2フェーズが始まります。Abatableのレポートでは、世界全体の需要は第1フェーズの約2億トンから第2フェーズ(2027〜2035年)には累計12.5億〜17.8億トンへ拡大すると試算されており(対象期間が3年から9年に延びる分を含む累計値です)、日本の航空会社にとっても義務量は増えていく方向です。調達体制づくりは第1フェーズで終わる話ではありません。足元の価格軟化は、見方を変えれば調達の好機とも読めます。
▼ カーボンクレジット事業に関わる企業(プロジェクト開発者・投資家・トレーダーなど):ASEANの承認待ち案件は機会にもリスクにもなる
Abatableのレポートが示す「承認待ち1,820万トン」は、承認が出れば価値が跳ね上がる資産である一方、Sylveraのレポートでは、承認や相当調整が最後まで出ないリスクは開発者・投資家・トレーダーが直接負う商業リスクだと強調されています。航空会社は保険付きクレジットで守られる設計がある一方、売り手側は相当調整が実現しなければ同量のクレジットで補償する義務を負うためです。東南アジアでのクレジット創出に関わる日本企業にとっても、案件の目利きにおいて**「プロジェクトの質」だけでなく「ホスト国の承認能力」を評価軸に加える**ことが、これまで以上に重要になると考えられます。
▼ 荷主・出張の多い企業:転嫁の幅は当面小さいが、上振れ余地に注意
CORSIAのコストは最終的に運賃や航空貨物運賃に転嫁されうるものです。規模感としては、IATA(国際航空運送協会)の2026年6月の業界見通しで、2026年のCORSIA遵守コストは業界全体で12〜16億ドルと見込まれています。同時に示された業界売上高見通し(1兆1,650億ドル)と単純に比べれば0.1%程度で、当面のインパクトは限定的です。1枚の航空券あたりの目安としては、MSCIの分析(2024年11月とやや前の試算ですが、券面ベースの試算はこれが目安になります)で、コストが全額転嫁された場合でも第1フェーズでは国際線運賃の0.5〜1.0%(平均で1枚あたり2ドル未満)、第2フェーズでも平均で1枚あたり最大5ドル程度とされています。ただし、これらの試算はクレジット価格の想定に左右されるため、供給が逼迫すれば上振れする可能性があります。SAF賦課金と合わせて、航空関連コストの新しい一項目として頭に入れておく価値はあります。
■ まとめ・考察:EUの改定案発表が目前に
2本のレポートを並べて浮かび上がるのは、「クレジットの供給不足」の正体が、技術やプロジェクトの不足ではなく、ホスト国の承認という制度運用だという点です。クレジットを国際的に使うための承認手続き(承認書と相当調整)はパリ協定6条で定められたばかりの新しい仕組みで、まだどの国も大量に処理した経験がありません。そこに、CORSIAという「2028年1月まで」という締切付きの大口需要が初めて本格的に押し寄せた結果、各国政府の手続きが追いつかず、それが市場全体の制約になっている──というのが2本のレポートに共通する見立てです。この承認の仕組みは、国同士の排出枠取引などCORSIA以外の場面でも今後使われていくものですから、ここでうまく機能するかどうかは、パリ協定下の炭素市場全体の先行きを占う材料になるのではないかと筆者は見ています。
そして、この市場の最大の変数が間もなく動きます。欧州委員会は、CORSIAがパリ協定の目標に照らして十分な制度かどうかの評価を2026年7月に行うこととされており、その結果次第では、欧州発着の国際便を自前の排出量取引制度(EU ETS)の対象に広げる法案の提出につながります(EU ETS指令に基づくCORSIAレビュー)。Sylveraのレポートでは、仮にEEA(欧州経済領域)発の便がすべてEU ETSに移れば第1フェーズ需要は約24%減少するという試算に加え、逆にEUの航空会社がCORSIAにとどまる場合でも、同社が入手したとする欧州委員会の草案段階の文書には適格クレジットへの追加基準が含まれており、そのまま導入されれば現在の供給の約93.5%が不適格になるとの同社試算が示されています。どちらに転んでも市場へのインパクトは甚大で、CORSIAという枠組みそのものへの各国の信認にも波及しかねません。EUから間もなく発表される見込みの改定案がどのような内容になるのか、注目です。
【出典】
Sylvera「CORSIA Countdown: Supply readiness, compliance risk and price exposure ahead of January 2028」2026年6月発表:第1フェーズの需給ギャップ(供給3,800万トン・需要1億6,300万トン)、国別リスク評価、価格シナリオ(15〜53ドル)、JAL・ANAの償却事例、EUレビューの影響試算等 https://www.sylvera.com/reports/corsia-countdown
Abatable・Boeing・GenZero「Unlocking the billion-dollar CORSIA potential in ASEAN」2026年7月1日公表:ASEANの適格供給260万トン(世界の7.1%)、承認待ち1,820万トン、最大3億4,800万トン・16〜85億ドルの供給ポテンシャル、価格動向(19.0ドル→9.55ドル)、シンガポール航空の償却事例等 https://abatable.com/reports/unlocking-the-billion-dollar-corsia-potential-in-asean/
IATA「Middle East Disruptions and High Fuel Prices Halve Airline Industry Profitability」2026年6月7日発表:2026年のCORSIA遵守コスト見込み(業界全体で12〜16億ドル)、業界売上高見通し(1兆1,650億ドル)等 https://www.iata.org/en/pressroom/2026-releases/06-07-middle-east-disruptions-high-fuel-prices-halve-airline-industry-profitability/
MSCI ESG Research「CORSIA: Costs and Implications for the Airline Industry」2024年11月発行:CORSIAコストの運賃転嫁試算(第1フェーズで国際線運賃の0.5〜1.0%・1枚あたり2ドル未満、第2フェーズで平均最大5ドル)等 https://www.msci.com/documents/10199/1a941171-8829-145f-db45-99afc3f9d444
European Commission「Reducing emissions from aviation」:EU ETS指令に基づく2026年のCORSIA評価・法案提出予定に関する制度的背景 https://climate.ec.europa.eu/eu-action/transport-decarbonisation/reducing-emissions-aviation_en
ICAO「CORSIA」公式ページ:制度の概要、適格クレジット(CEEU)の要件、参加国情報 https://www.icao.int/CORSIA
【関連:筆者の過去note】
SAFは航空業界を「ネットゼロ」に運べるか:https://note.com/novel_hyssop1760/n/n829e7a5e322b

