肉にまつわる話
俺の冷蔵庫を開け、1週間分の肉の量を見た農場の大ボスが、あまりの少なさに驚き、大丈夫なのか、生きていけるのかと何度も念押しされた印象が強く記憶に残っている。たまに土曜日の夜、大ボスが近くの町で有名なステーキ屋でたまにごちそうしてくれた。Tボーンステーキとじゃがいもを食べると、翌週の水曜まで胸焼けが毎回続いた。量が多すぎて単純に消化しきれなかったのだ。アメリカでの昔話。
アフリカ、ザンビアでは、肉イコール牛肉かまるごとの鶏肉だった。豚肉を食べることはほとんどなかった。豚肉はほとんど赤身がなく脂肪だけだっただけでなく、そもそも流通にのることが少なかった。普段食べるのは、牛肉が当たり前であった。ザンビアで豚の皮膚付きを買ったことを。普段は質はわるいが牛肉ばかり。滅多に豚肉が手に入らなかったのだ。
農場で飼育されている豚が、ナイフを使って屠殺、解体されて肉の塊に変わり、その場で料理して食べるまでのプロセス一通りを目前で見た経験があるが、屠殺される時の豚の悲鳴のような鳴き声を今でも覚えている。
また、ザンビアのギリシャ人の店で売られていた肉の加工品の美味しさが忘れられない。チョリソ、サラミはもちろんだが、南部アフリカの「ビルトン(Biltong)」が格別だった。大概ドライミートなどと呼ばれていた。まず地元の住んでいる人しか知らない白人系が営業している店に置いてあった。40数年前、ザンビアのムフリラやキトウェで初めて食べた時、そのおいしさに目を丸くしたものだ。
マラウイの路上焼肉もまた絶品だった。「カニャニャ」と呼ばれていた。
網焼きの炭火や薪の鉄板焼きだった。煮たカニャニャもあった。まさに白い豚骨スープだった。単純な料理だったのだが美味しかった。
