「丸山健二」を振り返る
丸山健二 「河」「雨のドラゴン」「ときめきに死す」
二十代から自分自身に進歩がないからかもしれない。だとしても、「台風見物」の中の「河」は何年経っても変わらず素晴らしい作品だと感じる。主人公が交通事故を境に活力が漲ってくる様子を、河という主人公の目に映る舞台装置上の大男の所作を鏡にして描いている。「雨のドラゴン」でも、高揚している自分が目に映る対象の変化は、実は自分の変化であったことが最後に判明する。「ときめきに死す」では、ストイックにトレーニングする青年の心象変化を、主人公は推し量ることができない。最後に具体的結果が描かれるまで主人公の期待だけが空回りしていく。どれも文章による映像が圧倒的だ。
「天翔ける農夫」 と Riders in the sky
「天翔ける農夫」 は台風見物の中の作品だが、Riders in the sky の歌詞からインスピレーションを得ているのではないかと思わせる。中期までの丸山健二の作品は、当時聞いていた音楽、映画、テレビから得られたヒントを、田舎でのストーリーに展開、昇華させているような気がする。
丸山健二とヴァン・モリソン Van Morrison
表現を職業とする人達というのは、どういう訳かミュージシャンであれ画家であれ、初期の作品を別にしてだが、何か啓示みたいなものを感じるのか、いわゆる神がかりになる時期があるように感じる。しかも、その神がかりになり始めが、「傑作」と言われる作品を産み出してくれる。しばらくして、また落ち着きの方向へ向かうようだけど ---- 単なる思いこみか??
丸山健二、心に開いた穴
丸山健二がまだ若かった頃のエッセイに、すでに十代で心にぽっかりと開いた穴を感じていたとの文章が何回も繰り返されていたことを記憶している。その穴を埋めるための行為が生きること、感動を得ることだったらしい。徒労の気配を感じたのは当然のことだったろう。自分自身の場合、この齢になって初めて心の穴を感じるに至ったことは、なんと能天気でいられたことかとしみじみ思う。
2017年 06月 ネットで知り合いの記事を見つけた
実家のローカル新聞記事をネットで時々チェックする。先月、田舎で山菜取りで行方不明者を捜索中との記事を見つけた。同じ集落、中学校の1年上のよく知った名前だった。兄に電話し詳細を尋ねた。誰が自宅の異変を最初に気づいたか、事業が失敗していたこと、一人暮らしだったこと、目撃者、同級生有志の捜索等、事細かに説明してくれた。田舎のプライバシーはあってないようなもの。但し核の部分は、深く暗く絶対にわからない。本人の顔や自宅を餓鬼の頃から知っていた。よく知った田舎の風景と奥まった山々へ道程が、殊更生々しい妄想を掻き立てた。まるで三十年ほど前の丸山健二の小説を読んだ様。
丸山健二「薔薇のざわめき」を思い出して
丸山健二の短編で約40年くらい前、「薔薇のざわめき」という作品があった。一二度しか読んでいない昔の記憶を思い出して書いている。それほど印象的だった。ストーリーの流れは、結構シンプル。初老の男が公園にやってきてベンチに座り、配達されるであろう雇用の通知みたいな、とにかく連絡を待つ本人の心象風景が描かれている。
その小説を読んだのは、学生の時だった。だが、ある違和感を覚えた。主人公は初老であるはずなのに、心の中の動きがあまりにも力強く、煮えたぎっているのだ。まるで二十歳前後の若者のようなのだ。果たして、そんな気持ちを持ちうる「初老」の男が小説とはいえ、存在しうるのだろうかと当時思った。今、自分自身が小説のその初老の男の年齢に相当、もしくは確実に近づいている。本人の気持ちだけが空回りする。最後までベンチがある公園を取り巻く事象に何の変化もない。老いだけが、却って強烈に感じる。
映画を見るような描写だ。
