22年ぶりにアメリカを旅して:サンフランシスコからビッグ・サーを南下 カリフォルニア州 2002年7月

実は、サンフランシスコ市がサンフランシスコ湾のどの辺にあるか旅行先に決めるまでよくわかっていなかった。Rand McNally の全米及びカナダ主要部をカバーした最も字の大きい版のロードマップをシアトルで購入した後、北西部の次の目的地を一応探しておこうと思い、そこで初めてサンフランシスコの場所を知らないことに気がついた。つまり探す段になって気がついた。
地図上でサンフランシスコ空港を確認してから、ダウンタウンがどこか、ゴールデンゲートブリッジがどことどこを繋いでいるのかなど頭の中でやっと整理したくらいだった。名前だけ先走って、CCR、ラストワルツ、ウインターランド、ダーティーハリー、具体的な場所を特定しないでイメージだけ連想が先行していたのだ。オークランド、ヘルズエンジェルス、バークレー、サリナス、エデンの東、ビッグ・サー、クリント・イーストウッド、カーメルといった具合だった。

シアトルからユナイテド航空でサンフランシスコ空港に到着した。市内観光のため空港からタクシーでダウンタウンへ向かった。フリーウェイからサンフランシスコの方向を見ると火事ではないかと思えるほどの煙が沸き上がっていた。運転手にあれは火事なのかと尋ねたら、煙に見えるが、あれはは霧なのだと答えた。霧の響きにもっと静かな穏やかなイメージを勝手に作り上げていたが、実際にはどうやっても煙にしか見えなかった。
普通は、ホテルの予約などしないものだが、到着するその日だけは心配になってエクスペディアで予約していたのかもしれない。確かちょうど坂の下でケーブルカーの発着する駅の近くに泊まったような気がする。タクシーでホテル前でで降りて目に入った光景を見てやけに緑が少ない場所だと思った。

サンフランシスコ観光をしながら、ああそうか今俺はアメリカの西海岸にいるのだとの思いが常にあった。東京で大学へ通った1970年代後半はちょうどアメリカ西海岸ブームの真っ只中だった。全都市カタログ、ポパイ、バックパッキング、ヨセミテ等、理由もなく未来が常にあるような憧れの世界でもあった。パソコンのない時代だった。諏訪優の「この大陸は種子なのだ」という本を日の当たらない四畳半の中で繰り返し読んだ。

定期的に決まった時間に散歩に出る全く同じ服装の年老いた双子の姉妹、ジャパンセンター、ピア39、ケーブルカー、今思い出すと忙しすぎず、小さすぎず大きすぎず、古くもなく新しくもなく、単純に心地いい土地だった。
映画 Sweet November の舞台設定がとても似合う風景だった。ただ、肌寒く感じることだけ気になった。一旦サンフランシスコを離れると一気に気温が変わるのがすぐにわかった。











バークレーでベトナム人の床屋で髪を切った。何年もやっているベテランだと本人は言っていたが、これほどへたくそな床屋についぞお目にかかったことはない。俺の後側を見て、娘と妻が死ぬほど笑った。言われて初めて気がついた。大変な髪型になっていたことにやっと気付いた。

その後、サンフランシスコ空港に戻り、予約しておいたレンタカーを借りた。そのまま、海岸線沿いの1号線を南へ向かって走り出した。







カリフォルニア州の中央部を海岸線側からぐるりと回った。
あらゆる所にカリフォルニアの光が満ち満ちていた。想像以上だった。
娘は広すぎるアメリカに飽きて早くトリダード・トバゴへ帰りたいとぼやいていた。
後半は、セコイア国立公園、ヨセミテ国立公園、サンフランシスコのシリコンバレーへ。
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