かぎりない庭 | 十一夜 こわれたカブトムシ
前回:十夜 あじさいとなめくじ
-こわれたカブトムシ-
「おじいちゃん。カブトムシは直せる?」
戦争帰りの祖父は、工兵としての訓練を受けていたそうです。
数日で、庭先に立派な小屋を建ててしまうような人でした。
わたしは、何でも分解したがる子どもでした。
分解して、中身を観察し、もう一度組み立てる。
その一連の作業が、楽しかったのです。
それを見ていた祖父は、
「頼もしいなぁ」
と言って、わたしの頭をなでてくれました。
あるとき、叔父が立派なカブトムシを持ってきてくれました。
初めて見るものでした。
ぶりんとした大きな体。
赤黒く、つやつやした翅。
ギシギシと音を立てる関節。
ツメがわたしの手をひっかき、血がにじみました。
わたしは、とても興味を引かれました。
「あげるよ。大事にしろよ」
叔父は、そう言いました。
昆虫は好きでした。
けれど、今まで見てきた昆虫とは、まったく違うものでした。
大きさ。
重さ。
力強さ。
その全部が、初めてのものでした。
わたしは、それが生き物だという意識が抜け落ちていました。
叔父から一緒にもらった虫かごに入れて、ただ眺めているだけでは満足できませんでした。
角をつまんで持ち出す。
いろいろなものを引っ張らせる。
床にしがみついた脚を、引きはがす。
裏返して、キシキシいう脚を眺める。
そういうことを、何度もしていました。
そのうち、この力はどこから出てくるのだろうと、不思議に思うようになりました。
ゼンマイはない。
電池が入っているわけでもない。
それなのに、カブトムシは強い力で脚を動かします。
この力は、どこから出てくるのだろう。
どこかに、スイッチがあるのだろうか。
そう思うと、ますます目が離せなくなりました。
胸と腹のつなぎ目が、力強くギシギシ鳴っていました。
そこが、いちばんよく動く場所のように見えました。
わたしは、それをねじって、引っ張ってみました。
脚が暴れていました。
大きな角が、上下していました。
それでも、わたしは引っ張りました。
びちっ、という音がしました。
カブトムシの動きが、少しおかしくなりました。
さっきまで力強く動いていた脚が、ばらばらに動いているように見えました。
わたしは、あわてて手を離しました。
中に、電池はありませんでした。
叔父に、大事にしろと言われていました。
それなのに、壊してしまった。
このままだと、もうカブトムシをもらえなくなるかもしれない。
それは困ると思いました。
わたしは、祖父に聞いてみました。
「おじいちゃん。カブトムシは直せる?」
茶の間でテレビを見ていた祖父は、
「はぁん?」
と言いました。
それから、わたしの手の中を見て、
「壊しちゃったんか。悪いやつだなぁ」
と言いました。
そして、ニヤリと笑って、
「かしてみな」
と言いました。
そう言われたので、わたしはカブトムシを祖父に渡しました。
「あぁあぁ。おまえは何でもすぐバラしちゃうな」
祖父はそう言いました。
「じいちゃんでも、これは難しい。明日まで待ってろ」
そう言って、祖父は物置へ入っていきました。
それから、しばらく出てきませんでした。
祖父は、そのまま車でどこかへ出かけていきました。
おじいちゃんに任せておけば安心だ。
わたしはその日、すっかり安心して、ぐっすり眠りました。
翌朝、目が覚めて茶の間へ行くと、祖父が虫かごをこちらへ向けました。
「おぅ。直しておいたぞ」
祖父は、そう言いました。
祖父は、得意げに虫かごを渡してきました。
カブトムシは、元気に動いていました。
おじいちゃんは、何でも直せるすごい人でした。
かぎりない庭
次回:十二夜 おわらない廊下
