M. マクルーハンのホット/コールド・メディア(4)...OpenAI/ChatGPTは?
「M.マクルーハンのホット/メディア(1)メディアはメッセージ
M.マクルーハンのホット/コールド・メディア(2)定義と具体例
M.マクルーハンのホット/コールド・メディア(3)ホットカルチャーとコールド・カルチャーの続きです。今回(4)と次回(5)そして(6)では、OpenAI/ChatGPTを取り上げ、ホット・メディアかコールド・メディアにつき一考します。
意識のイージプロブレム/ハードプロブレム、Strong AI/Weak AIとの擦り合わせ
コミュニケーションはコミュニケーター同士がメッセージを交換し意思疎通を図る一連の活動であり、その媒体としてメディアが介在する、これがごく一般的な考え方です。メッセージもメディアもコミュニケーションには欠かせませんが、初めにメッセージありきでメッセージを重要不可欠なものと考えると、マクルーハンの「メディアはメッセージ」にショックを受けるでしょう。曰く、初めにメディアありきでメッセージなどは無く、メディアが及ぼす後発的インパクトあるのみ、重要なのはメディアとそれがもたらすインパクトである、と。
マクルーハンにとってメディアとは、本書PartⅡの26個の具体例が示すような、全ての物、テクノロジー、制度、すなわち、人が作る有形無形の物事です。歴代アメリカ大統領など歴史的人物さえも含みます。また、本書Understanding MediaのサブタイトルThe Extensions of Manが示すように、ヒトの身体、中枢神経の延長であり、個人と社会に多大な結果(the personal and social consequences)と影響(effects)を与えると主張します。例えば、衣服は肌の延長として数々の社会的、心理的、物理的影響をもたらしたと訴えます。
マクルーハンのもっぱらの関心事はメディアとそれがもたらすインパクトということになるわけですが、本稿で取り上げるOpenAI/Chat GPTもメディアの一つであるのでヒトの中枢神経の延長と捉えられいわば意識の延長ということになります。別稿「J・サール"The Chinese Room"中国語の部屋でStrong AIを否定...意識科学ハード・プロブレム ?イージー・プロブレム?(5)」で、サールのChinese Room思考実験からするとOpen AI/Chat GPT自体は意識を持たないWeak AIに過ぎないと述べましたが、ヒトの意識の延長ということであれば、チャルマーズの言う意識のハードプロブレムにまったく関わらないとは言い切れません。Strong AIになり得ないとしても、ヒトの意識の在り方に多大なインパクトを与えることは確かです。
ホットvs コールド特徴(1) 情報量(definition)…OpenAI/ChatGPTは?
マクルーハンはメディアホット・メディアとコールド・メディアに分け、それぞれがもたらすインパクトの違いを語ります。最初の基準はメディアがハイデフィニッション(high definition)であるかローデフィニッション(low definition)であるかです。光学においてデフィニッション(definition)とは精細度、精密度、正確度、解像力を意味し、日本語でもハイデフィニッション(ハイデフ)ビデオなど高精細度という意味で使われています。マクルーハンはメディアの情報量という意味で使っており、ハイディニッションは情報で一杯になった状態(the state of being filled with data/information)を差し、ローデフィニッションは情報量が乏しい(a meager amount of information)状態を指します。
ホット・メディアは、情報、すなわち、ハイデフィニッション(high definition)で、ある特定の感覚のみを延長するメディアを指します。他方、乏しい量の情報、すなわち、ローデフィニッション(low definition)である感覚を延長するメディアをコールド・メディアとします。本書出版の1964年当時のメディアがどれがハイデフィニッションでホットに、どれがローデフィニッションでコールドに分類されたかについては、拙稿「M.マクルーハンUnderstanding Mediaのホット・メディアとコールド・メディア」について(2)」で触れました:writing, photograph, radio, movie or film media,book ,printなどがハイデフィニッションに、cartoon, TV, speech, telephoneがローデフィニッションに分類されています。では現下のOpenAI/ChatGPTはどちらに分類したらよいのでしょうか。
通常ChatGPTには「画像作成」「ライティング支援」「計画」「テキストを要約する」「アドバイス」などを依頼するとテキストで返ってきます。拙稿「ノーム・チョムスキー:ChatGPTの偽りの約束」(ニューヨーク・タイムズ誌)について...意識科学イージー・プロブレム?ハード・プロブレム?」(5-1)(5-2)(5-3)(5-4)でも触れた通り、依頼内容に関して古今東西の文献を瞬時に収集・分析し、知の巨人ノーム・チョムスキーを盗作ではないかと怒らせるほどの完璧なテキストです。これこそまさにハイデフィニッションの極致、もっとも、OpenAIもそれを目標に掲げているようです。形式的にはマクルーハンがホット・メディアとするwriting, book, printの合体です。ですからデフィニッションの見地から観るとホット・メディアと言えるでしょう。
ホット vs コールド特徴(2)参加度(participation)…Open AI/ChatGPTは?
(1)の情報量の大小により、すなわちハイデフィニッションであるかローデフィニッションであるかにより聴衆による参加度(participation by the audience)が変わります。情報量が多ければ聴衆による情報補完が限られ少なければ増えます。よって情報量満載のホットメディアは必然的に参加度が低く、逆に情報量が乏しいコールドメディアでは参加度が高くなります。レクチャー(lecture)はホットメディアで聴衆の参加度が低く、セミナー(seminar)はコールドメディアで参加度が高いことになります。確かに、レクチャーは質疑応答が許される場合、ある程度の聴衆による参加が許されますが、基本、専門家による起承転結で完結したテキストを一方通行的で拝聴することを目的としていますから限られます。それに対してセミナーはあるテーマをめぐり全員参加型オープンな討論を目指します。テーマは未解決なもので情報が限られ参加者全員が補完せざるを得ません。
少々わき道に逸れますが、マクルーハンはスピーチ(speech)をレクチャーと分けてコールドメディアとしています。スピーチと言えば演説ですが、レクチャーとどう違うのか分かりせんが、とにかくコールドメディアとしています。ホットメディアのwritingと対比すさせ、おしゃべり(speaking)という意味かと思ったのですが定かではありません。というのはホットメディアの本(book)と対比させたコールドメディアの(おしゃべりに近い)対話(dialogue)があるからです。レクチャーはセミナーと対比の授業形態であると考えてよいでしょう。
さて、OpeAI/ChatGPTは、使い方により、レクチャー、ライティング、本ブックの代用にもなれば、セミナーやダイアログの代用にもなります。ホットメディアにもなればコールドメディアにもなります。前者の使い方であれば、ユーザーはChatGPTに質問し答えを読むだけで情報補完の必要が無く参加は限られます。一方では、ユーザーはダイアログ形式で質問し帰ってきた答えを読み、それについて自らの意見をまとめて再度質問しその答えを読んでまた更に…という風に延々と繰り返すこともできます。果たしてこれがマクルーハンの考えるセミナーかどうかは不明です。というのは人間同士のセミナーでは未知/未解決の領域に踏み入ります。そうでなければセミナーの意義は半減します。過去あの人がこう言ったああ言ったで終ってしまうでしょう。OpenAI/ChatGPTは膨大な過去のデータを瞬時に解析してまとめてくれますが、それは既知のことで、未知のこと、すなわち現時点で情報が存在しないもの事について対話ができるかというと可能性は低いと言えます。
マクルーハンは電子メディアはコールド・メディアとしています。ChatGPTは目下電子メディアの最先端ですが、このように、ホットメディアとしての特徴も十分持っているようでどうも一筋縄ではいきません。
「M. マクルーハンのホット/コールド・メディア(5)…メカニカル・メディア vs エレクトリック・メディア」に続く
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(1/9/2025記)
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