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"The Lady is a Tramp”「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」(2)"tramp"を「ふしだらな女」から「独立自尊の女性」へ意味変換..英語学

表紙写真:"The lady is a tramp"の楽譜PDF Scribd https://www.scribd.com › documentより。


"The Lady is a Tramp”「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」(その1)...曲のファクト,要注意"trump"と発音せぬように!の続き(その2)。

1937年にリリースされたこの曲が、その後も名だたる歌手に歌い続けられてきた理由を探る。何を訴えようとしているのだろうか。

中世英語が語源"tramp"の意味の変遷、状況と意味

この語の歴史は結構古い。Webster Third International Dictionaryによると、中世英語Middle English (ME)"trampen"に遡る。動詞では"to walk /tread with a heavy step"「足をドスンドスンとしながら歩く/踏み鳴らす」とか"to travel about land"「あちこち旅する」などを意味である。名詞では"a foot traveler/tramper"「徒歩旅行者」に始まり, "a begging/thieving vagrant"「物乞い/盗人放浪者」や  ”a woman of loose morals"「ふしだらな女」という意味が派生した。 原義の「徒歩旅行者」がなぜ「ふしだらな女」という意味になってしまったのだろうか?

ことばの意味は下図の玉ねぎのよう、成長に従い短縮した(茎である)芯が葉鱗片で覆われていくように、使われるたびに芯に当たる原義を葉鱗片に当たる状況的意味が覆っていく。かくして時間が経るに従い、原義が覆い隠されてしまうほど使用された状況にもたらされた言外の意味で覆われる。

玉ねぎの構造(しあわせ野菜畑代表より)


名詞"tramp"の「徒歩の旅人」という意味で使われたのは第二次大戦前あたりまでか、Webster Third International Dictionaryには、社会学者・映画評論家のジークフリート・クラカウアー (1989~1966)の記した"youthful tramps in search of work" 「仕事を探す若い徒歩の旅人」の使用例がある。

「物乞い/盗人放浪人」という意味で使われたのはその直後か、映画脚本・監督・評論家Lewis Jacobs (1904~1997)の記した"the tramps reappeared time and again as  the hero of screen adventures"「物乞いが三度も何度も映画のヒーローとして再登場した」の使用例が記されている。

「ふしだらな女」という意味では、Chirstian Science Monitorの"the rigid stateside demacation between the nice girls and the tramps" 「品行方正な女性とふしだらな女性との間の州による厳しい線引き」との使用例がある。

この語は中世で使われ始めたわけだが、20世紀中ごろまでの600年間、庶民は主として徒歩で旅をしていたので、まさしく原義の”trampers”「徒歩の旅人」として使われていたのだろう。

         行商tramper  (ArtStation - "Traveller"より)

ただ、中には路銀が無くない物乞いしたり、人から物をかすめ取ったりした盗人もいた。そんな庶民をしり目に、上流階級ら一部特権階級は、17,18世紀には馬車で(Henry FieldingのJoseph Andrew参照)、19世紀産業革命後には汽車で(ただしCharles Dickensは小説家として大成しても鉄道事故を恐れて乗らなかったらしいが)、20世紀には自動車で移動した。ここでまず中・上流社会と徒歩で旅する庶民を線引きする意味で"a tramp"が使われ出したものと思える。そこには中・上流社会から見たネガティブな(pejorative)響き(overtones)が感じられる。

Euston Station in the Victorian era was always busy

線引きはそこで終わらず、盗みをする者から、最終的には売春で路銀を稼ぐ女性に特化してスティグマ化する表現として”tramp"「ふしだらな女」が使われるようになったのだろう。

その背景にあったのは英国ビクトリア朝(1837-1901)時代の道徳観である。以下、Victorian Morality: Key Characteristics and Values | 2025を参照しその大枠をまとめてみた。

ビクトリア時代の道徳観は、宗教,工業化,社会階層の影響を受け、市民の行動パターンを規制する厳しいガイドラインがあった。性は絶対タブー。女性は家庭におけるモラルの守護神としての役割を担い、つつましく敬虔であることが求められた。しかるべき価値観を身につけさせるために子供を厳しくしつけるといった道徳教育が重んじられた。丁重に、つつましく、自己規制の社会的マナーを備え、それぞれの身分に相応しい、道徳に適う質素な服装が求められた。男は家庭の大黒柱として、政治的、経済的な発言が許され決定権を持つ。 他方女性は家庭環境に限定され、妻として母としての役割を担った。Victorian Morality: Key Characteristics and Values | 2025より

18世紀後半イギリスからの独立果たしたとはいえ、文化的にはイギリスに追従したアメリカにも影響を及ぼし、中・上流社会の価値観として定着した。特に女性の行動規制が目に付く。女性は結婚し家庭の主婦として子をしつけ出しゃばらない、それが品行方正な”貴婦人”とされ、それにそぐわない反抗的な女性は、間違った道を歩く”tramp" 「ふしだらな女」としてレッテルを貼られ、スティグマ化されたのだろう。

(その1)で述べたように、1938年ミュージカル・フィルム版の予告編Babes in Arms 1939 (白黒オリジナルの着色版) では、”The Lady is a Tramp”を歌うシーンを省かれているが、そうした道徳観が支配していたからであろう。テーマソングの一つでありながら、中・上流階級の価値観から逸脱し反抗的で、興行的にまことに好ましかざるシーンと判断し、オミットしたものと推察する。

ミュージカル"My Fair Lady"との比較

オールドタイマーにとって忘れがたい1956 年ミュージカルMy Fair LadyGeorge Bernard Shaw の1913年発表の戯曲ピグマリオン を題材にしたものだ。 ビクトリア女王逝去後12年、まだ多分にその影響が残っていた。その後1938年に映画化1938 film adaptationされ、詳細は上記サイトにあるので割愛するが、音声学者 phoneticianのHenry Higgins博士が、 Eliza Doolittleというロンドン下町の Cockneyしか話さない花売り娘を、ロンドン上流社会の言葉遣いであるReceived Pronunciation (RP)を話す" lady"に変えるべく訓練するというコメディー・タッチの作品だ。

Higgins博士はHenry Sweet (1845-1912). The Reader's Biographical ...をモデルにしたと言われる。まだ歴史言語学Historical linguistics が色濃く残った時代の言語学者である。古英語をはじめ英文法書を書いているが、現代言語学の視点からみると、伝統文法 の影響下で書かれたもので、主観的に正誤を判断する規範文法であって、後の科学的客観性を重視する記述文法 の範疇には入らない。このミュージカルではその正誤の基準をRPに置き、ビクトリア時代の言語的価値観を規範にしていることは明らかだ。 

これが1956年にアメリカ Broadwayミュージカルとして再現され世界的に大ヒットした。アメリカ人のイギリス社会へのあこがれを満載したミュージカルに仕上がった。Higgins博士にとっ貴婦人”lady"たるべきは、RPを話しそれにふさわしい所作ができなければならない。そこで下町弁Cockneしか話せない粗野な主人公女性の発音を徹底的に矯正してRP話者に仕立てる。

Higginsは音声学者phoneticianとしては素晴らしい、ただし、20世紀に急速な発展を遂げた現代言語学Linguistics: The Scientific Study of Language)では、あらゆる言語変種に関し、主観的価値評価を避け、客観的に記述する記述文法が主流だ。ある言葉がきれい”fair"だとか、ある言葉は汚い”dirty"/"corrupted"とらといった主観的価値判断は非科学的として却下する。

ところがこの映画はCockneyは汚くて下品な庶民の言葉、RPはきれいで上品な中上流社会のことばという前提で成り立っている。言語学的にも時代遅れだ。従って、(筆者が渡米した)1960年代後半から台頭した反体制的ヒッピー・カルチャー(後ビクトリア時代の価値観に対するアンチテーゼ)のさなかには、体制的な年配層がノスタルジックな映画として好まれたが、若者には嘲笑の的になった。(この映画もテレビでは夜中の名画番組で流されていた。)

余談だが、そのころ日本車も爆発的に売れ出したのだが、当時アメリカではDatsun(ダットサン)と呼ばれた日産からスポーツカーDatsun 240Zが発表された。発表されるやたちまち人気を博した。ただ、日本ではこの車はFair Ladyとして売り出されたが、当時のアメリカの若者が"Fair Lady"と銘打ったスポーツカーに乗るわけがない。そこでアメリカでのプロモーションに際してはDatsun 240Zに名称を変えた。それが大ヒット、今ではコレクターズ・アイテム(collecter's item)の一つになっている。

Top Free Datsun 240z Backgrounds - WallpaperAccess

ミュージカル”My Fair Lady"はビクトリア朝モラルを代弁するミュージカルであった。ミュージカル”The Lady is a Tramp”はその反対側に立つ。

"The Lady is a Tramp"はビクトリア朝モラルが残る堂々と生きる「独立自尊」女性こそ"the lady"と逆説的に

すなわち、"The lady is a Tramp"が称える"the lady"とは、”my fair lady"で描かれているような既存の価値観を受け入れる女性ではなく、 The Lady Is A Tramp Lyricsの歌詞の文言どおり、それに反抗し自分の生き方を貫く女性のことだ。大雑把に言うと、彼女は、

「確かに夜8時には腹がすく、劇場が好きだ、決して遅刻はしない。嫌いな人には耳を貸さない。似非紳士どもにへつらってカード(trump)ゲームはしない(「カード・ゲーム」象徴的な意味としては「嫌でも媚びる」)。ハーレム(当時著名な遊興センター)に毛皮のコートや真珠のネックレスなどを付けて行かない。他の女の子と一緒になって噂話をしない。飾ることなく自由ですがすがし風を受ける髪型、屈託のない生活、(男爵や伯爵にこびりついたりしないから)財布は空っぽ、それがどうした。カリフォルニア(ハリウッド)に行けばいい?人間関係が冷たく湿っぽいかるから大嫌いだ。」

こんな生き方をしている女性をふしだらな"tramp"というの?男爵伯爵にこびて毛皮やパールを付け、うわさ話に浸り、他人の眼ばかりを気にする女性を貴婦人と呼ぶの?と逆説的に問い、もしそうならどうぞご勝手に!これが歌の真意で、微妙な状況を反映している。Frank Sinatra - "The Lady Is a Tramp" - Scene from "Pal Joey ..では、Pal Joeyに扮するFrank Sinatraは男性から見たそうした「独立自尊」の女性を称え、 Ezlla Fitzgerald やLady Gaga は、前者は差別を受けていたアフリカ系アメリカ人としてまた女性として、後者は21世紀自らの意思・意見を貫く女性のシンボルとして歌う。Lady Gagaの”Lady”はまさにこの意味でのLadyなのであろう前回述べたように、椎名林檎さんも「SONO ONNA FUSIDARANITUKI 」とのサブタイトル付きで歌っている。ネガティブな意味論をポジティブな意味論に変える時には歌は効果てきめんである。これについては次回に。

(その3)に続く



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鈴木佑治 N.Yuji Suzuki サポートいただけるととても嬉しいです。幼稚園児から社会人まで英語が好きになるよう相談を受けています。いただいたサポートはその為に使わせていただきます。