「タトゥーお断り」は日本だけ?世界の常識から学ぶ“身体の価値観”
結論:この問題は、世界のタトゥー文化と比較することで、日本の特殊な認識の背景が理解できます。
理由:日本のタトゥーへの嫌悪感は、歴史的経緯と特有の身体観が複雑に絡み合っているからです。
今回は、世界のタトゥー文化の実例と比較し、この根深い問題の本質に迫ります。
こんにちは、文翔です。
先日、海外の友人が「日本の温泉は最高だけど、僕の腕にあるこのタトゥーが理由で、いくつかの場所で断られてしまったんだ」と少し寂しそうに話していました。
彼の腕にあるのは、亡くなったお祖父さんの名前を刻んだ、彼にとっては非常にパーソナルで大切なもの。
ファッションや自己表現として当たり前になっているタトゥーが、日本ではなぜこれほど強く「反社会的なもの」として扱われるのか。
この出来事をきっかけに、私は日本の「当たり前」に改めて疑問を抱きました。
この考え方を読み解くための視点
この問題を特定の「提唱者」で語ることは難しいですが、文化人類学や社会学の視点から見ると、その背景が浮かび上がってきます。
特に、身体に対する考え方、いわゆる「身体観」は、文化によって大きく異なります。
文化人類学における「身体装飾」の視点
文化人類学では、タトゥーやピアス、化粧といった「身体装飾」は、単なる飾りではなく、その社会における個人のアイデンティティ、社会的地位、所属集団を示す重要なコミュニケーションツールとして研究されてきました。
例えば、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、未開社会の身体装飾が、その人の社会的な役割を「書く」行為であると指摘しています。

出典 wikipedia
この視点から世界のタトゥー文化を見ると、それが決して「反社会的」なものではなく、むしろ社会の中で意味を持つ、極めて「社会的」な行為であることがわかります。
日本のタトゥーへの強い拒否反応は、この「身体に意味を刻む」という行為に対する、世界的に見ても非常に特殊なアレルギー反応の表れと考えることができるのです。
なぜ日本ではタトゥーが「悪」の象徴になったのか
日本のタトゥーが「反社会的」なイメージと強く結びついたのは、江戸時代の刑罰としての「入墨刑」と、その後のヤクザ映画などで流布された「アウトローの象徴」というイメージが大きな原因です。
しかし、それだけではありません。「人と同じであること」を重んじる同調圧力や、「親から貰った身体に傷をつけるべきではない」という、儒教に由来するとも言われる身体観も、無意識のうちに私たちのタトゥーへの嫌悪感に影響しているのかもしれません。
世界のタトゥー文化はどうなっている?
では、世界の国々では、タトゥーはどのように受け止められているのでしょうか。
手順1:欧米 – 自己表現としてのタトゥー
欧米において、タトゥーは完全にファッションやアートの一部として市民権を得ています。
俳優やミュージシャンはもちろん、カナダのジャスティン・トルドー首相のように、国のリーダーがタトゥーを入れていることも珍しくありません。
彼らにとってタトゥーは、自分の信条や記念日、愛する人の名前を刻む、極めて個人的なアイデンティティの表現です。
それはまるで、自分の身体をキャンバスにして、自分だけの物語を描くような行為。
そこに「反社会的」などというネガティブな意味合いは、ほとんど存在しません。

手順2:ポリネシア文化 – 神聖な儀式としてのタトゥー
ニュージーランドのマオリ族に伝わる「モコ」のように、ポリネシア文化圏におけるタトゥーは、神聖な意味を持つ儀式そのものです。
その複雑な模様は、家系、社会的地位、成し遂げた偉業など、その人の全人生を物語る「皮膚に刻まれた歴史書」。
タトゥーは尊敬の対象であり、彼らの文化的な誇りの象徴です。
これは、自分のルーツと誇りを身体に刻み、次世代に受け継いでいく、ジョジョの奇妙な冒険における「黄金の精神」の継承にも似た、崇高な行為なのです。
手順3:韓国 – 急速に変わる価値観
少し前までの韓国では、日本と同様にタトゥーは反社会的なイメージが強く、テレビでは隠すのが当たり前でした。
しかし、BTSのジョングクをはじめとするK-POPアイドルの影響で、その価値観は急速に変化しています。
若者を中心にタトゥーは「クールな自己表現」として広まり、ファッションの一部として受け入れられつつあります。
もちろん、まだ世代間のギャップは大きいですが、メディアの力が人々の意識をダイナミックに変えていく好例と言えるでしょう。

まとめ
こうして世界を見渡すと、日本の「タトゥー=悪」という固定観念が、いかに特殊なものであるかがわかります。
もちろん、歴史的な背景から生まれた嫌悪感を、今すぐなくすことは難しいかもしれません。
しかし、大切なのは、自分の「当たり前」が世界の「当たり前」ではないと知ること。
そして、タトゥーを入れている人にも、その人なりの物語や大切な想いがあるのかもしれない、と想像力を働かせることではないでしょうか。
多様性を受け入れる社会とは、見た目で人を判断せず、その背景にある文化や個人の価値観を尊重しようと努める社会のことだと、私は強く思います。
今すぐできる3つのこと
海外のセレブやアスリートのタトゥーの写真を検索し、その意味を調べてみる(3分)
もし自分がタトゥーを入れるなら、どんなデザインでどんな意味を込めたいか想像してみる(2分)
「マオリ モコ」と検索し、その文化的な背景について読んでみる(5分)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この記事が、私たちの社会に根付く「当たり前」を、少し違う角度から見つめ直すきっかけになれば嬉しいです。
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参照元
参照元:BBC "Tattoos: Why are they still a taboo in Japan?" (https://www.bbc.com/news/world-asia-53822705)
参照元:The New York Times "In Japan, Tattoos Are Still Largely Taboo" (https://www.nytimes.com/2020/09/25/world/asia/japan-tattoos-olympics.html)
参照元:New Zealand "The meaning of Māori tattoos" (https://www.newzealand.com/us/feature/moko-maori-tattoos/)
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