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アメリカで卵巣嚢腫の手術を受けた話【後編】

2年前、2024年の夏にニューヨークで卵巣嚢腫の手術を受けた。


前編はこちら!



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手術までの心構え!(不安はあった)

結局、ニューヨークで婦人科にかかってから手術を決断し、検査をして、なんやかんや準備をして——。

最初にクリニックにかかってから手術当日まで、2ヶ月くらいは経ったただろうか。

手術を決意できたことを一安心(?)しつつも、8センチまで大きくなってしまった嚢腫が「いつ捻転するか」「いつ破裂するか」と、気が気ではなかった。

先生からは、逆に10センチ以上になると、お腹の中に動けるスペースが少なくなるので捻転しにくく、7-8センチくらいが捻転の可能性が特に気になるサイズ、という話も聞いた。

(※ 改めて申し上げますが、これはあくまで当時の私が理解した内容であり、医療情報としての正確性を保証するものではないので、その点はご了承ください)

しかも私は、手術を決めてから実際に受けるまでの約2ヶ月の間に、出張で4回ほど飛行機に乗っていた。

腹腔鏡手術の情報を探している時に一つのブログを読んだ。私と同世代くらいの日本人女性が書いていらっしゃったのだが、彼女は移動中の飛行機の中で大きくなった嚢腫が捻転し、空港から病院へ救急搬送、そのまま緊急手術になった——という内容(ちなみに卵巣嚢腫は、自覚症状がないまま気づかないうちに大きくなり、ある日突然、破裂や捻転を起こすこともあるという)。

恐怖を煽るためのブログではなかったのだが、それ以来私は飛行機に乗るたびにやや緊張していて、少しでもお腹に違和感があるとビビっていた。

でもありがたいことに破裂も捻転もせず、予定通り手術の日を迎えられた。

そして前編でも少し書いたが、私が少し不安だったのが全身麻酔である。

理由は単純で、やったことがないから怖い。未知だったから少し怖い。

全身麻酔自体は珍しいものでもないし、毎日世界中でたくさんの人が受けている。それでも、いざ自分がやるとなると、

「ちゃんと目覚めるのかな……」などと考えてしまう。

とはいえ、腹腔鏡手術自体はとても一般的な手術で、体験談や情報は探せばたくさんあった。そうした話を読んだり聞いたりしながら「全然余裕そうじゃん!」と自分を安心させていた。

そんな感じで不安な気持ちは当日までやはりあったが、幸いなことに(?)毎日忙しくバタバタ過ごすことも多かったために、手術についてじっくり考え込む暇もそんなになかった。

そうこうしているうちに徐々に心構えもできて、ついに当日を迎えた。

ちなみに会社からは手術当日の木曜日と翌日の金曜日は休みをもらい、翌週は家から働かせてもらうようお願いしていた。


当日、起きてから手術直前まで!(一体何枚の書類に署名しただろうか…?)

「緊張して眠れなかったらどうしよう」と思っていたが、全然寝られた。

病院への入り時間は朝6時。ドラマの撮影か?それとも部活の朝練か?と思いつつ用意をする。

病院はアッパーイーストサイドにあった。ブルックリンに住んでいる私は、朝5時半頃にUberに乗って向かった。

まだ薄暗い時間。ブルックリンブリッジを通りながらマンハッタンの景色を見て、なんだか「私もこの街で逞しくなったなあ」などと思った。

まあ、そうやって自分を鼓舞していたのだと思う。

こんな時間じゃ渋滞もないので、6時前には病院に着いた。

病院に到着してチェックインを済ませ、しばらく待合室で待っていると名前を呼ばれ、まずは諸々の書類の確認へ。

アメリカの病院、本当に署名するものが多い。

次から次へと書類が出てきて、そのたびに内容を確認してサインをしていくのだが、正直その場ですべてをじっくり読めるような量ではない。「これ、みんな本当に全部読んで理解してからサインしているのだろうか……」と思いつつも、説明を聞きながらひたすらサイン。手術にかかる費用(予想)についても、このタイミングで改めて確認した。

その中で印象的だったのが、信仰している宗教はあるか・何かと聞かれたこと。

おそらく万が一のことがあった場合や、治療上配慮すべきことがある場合に備えて確認しているのだと思うが、日本の病院で宗教を聞かれたことはなかったので「アメリカだな」と少し驚いた。

そんなこんなで一通りの確認と大量のサインを終え、最後に自分の名前が入ったリストバンドを手首につけてもらう。

これで受付での手続きは終了。いよいよ「本当に手術するんだな」という感じが少しずつ現実味を帯びてきた。

また待合室で待っていると、今度は執刀してくださる先生が挨拶に来てくださった。

執刀医は、これまで診てくださっていた日本人の先生。

普段診察を受けているクリニックとは別の場所なのだが、手術の日はこちらの病院で先生が執刀してくださる。

「今日はよろしくお願いします!」と挨拶し、段取りを改めて説明していただいて「では後で」と一旦お別れ。

しばらくすると再び名前を呼ばれ、いよいよ病棟内へ移動することになった。


手術前の準備室へ!(先生方に挨拶する)

最初に通されたのは、簡単にカーテンで周囲と仕切られた準備室のようなところ(以下写真有り)

ここで全身着替えて、採血、点滴、さまざまな確認、そしてまたサイン。

看護師さんが次々にやってきて質問され、目まぐるしく時間が過ぎていく。

一通りの準備が終わると、先ほど会った執刀医の先生と、手術をアシストする先生が挨拶に来てくださった。

ちなみにパートナーにも付き添ってもらっていて、この準備室までは一緒にいることができた。なので手術の段取りや術後のことなどは、パートナーにも一緒に聞いてもらった。

続いてやってきたのは麻酔科の先生方。

全身麻酔を受けるにあたって、いろいろな質問をされた。

その中で聞かれたのが、喘息の有無。

私は小児喘息があったので、そのことを伝える。

「今はもうないってことで大丈夫よね?」と聞かれ、

いや、そう言われると不安なんですが… と思ったりした。

大人になってからもたまに喘息のように咳が続くこともあったのでそのことも伝えたが、口の中なども含めて諸々確認してもらい「大丈夫。ベストケアで臨むから安心してね」と言っていただいた。

最後まで緊張はしていたが先生方と話して安心する。

ちなみに今、これは約2年前の記憶を思い出しながら書いている。

「緊張していた」と書いている割に、当日の写真を見返すと私は準備室でかなり余裕があったようだ。

なので実際はそこまで緊張していなかったのかもしれないし、もしかしたら「私は緊張していない」と自分に言い聞かせていたのかもしれない。


いざ、手術!(やるっきゃない)

準備室でのすべての準備が終わり、私の前に手術を受けていた方も無事終了。

「では移動します」と言われた。

私はてっきり、ここから仰々しく担架もしくは車椅子のようなものに乗せられ、ガラガラと手術室へ運ばれるのかと思っていた。

違った。

歩く。

普通に歩いてエレベーターに乗り、また歩いて手術室まで行く。

先生と並んで歩くのだが、私はすでに手術着姿で頭にはキャップみたいなものも被っている。

感覚としては、美容院でカットの椅子からシャンプー台まで移動するときの、あのなんともいえない居心地の悪さ。

あれの、もっと長いバージョンである。

その道中、先生とは普通にカジュアルな話もした。

「心配しなくて大丈夫ですよ」と優しく声をかけてくださって、

信頼できる先生にニューヨークで出会えて本当によかったな、と思った。

そんなこんなで無事、手術室に到着。

部屋は我々が医療ドラマで見る「手術室」そのもの……より、やや簡素な感じだっただろうか。

中では、先ほど挨拶したアシスタントの先生と麻酔科の先生方が準備をして待っていてくださった。

「ここに横になってください」
「足にこれをつけますね」

など、次々と指示を受ける。

さすがにここまで来るとドキドキしてきたが、もう自分にできることは何もない。ここからは「先生方、あとはよろしくお願いします!」という気持ちで、腹をくくって横になった。

横になり暫く天井を見ていると、先生が酸素マスクのようなものを持ってきた。ついに全身麻酔!

「では、これで3回深呼吸してくださいね。すぐ眠れますので、良い夢を〜」

深呼吸、一回。

二回。

——終了。

本当にそれだけだった。

次に意識が戻った時には、手術が終わっていた。

不安だった全身麻酔。

終わってみた感想は「わー、よく眠れた!!」である。

深呼吸を2回しただけで、本当に自分の電源が落ちたかのように、プツッと真っ暗になる。

その間、自分の身体に何が起きているのかは当然まったく分からない。

非常に不思議な経験だったが、私の場合は「快適に眠れた」としか言いようがなかった。


手術なう!(あっという間に終わる)

手術自体は2時間半程度だったとのこと。

手術が終わった時「無事終わりましたからね〜!」と先生に声をかけられて一度目が覚めた。

「ありがとうございます」と言ったことと、その時の景色はうっすら覚えている。

ただ、まだ麻酔が効いていたので、そこでまたすぐ眠ってしまった。

次に気づいた時には、術後の処置室(?)に移動していた。

手術前の準備室よりも、もう少し「病院感」が強い場所で、椅子ではなくベッド。

目を覚ますと看護師さんが、

「無事終わったから安心してね。今は処置室にいて、ここで1時間くらい経過を見るからゆっくりしていてね。その後、大丈夫そうだったら朝いた準備室に戻るからね」と説明してくれた。

ちなみに全身麻酔を伴う手術では、退院時に付き添いが必要とのことで、私はパートナーに迎えをお願いしていた。

朝に私を手術に送り出した後、パートナーは、

「日本の朝ごはんが食べたくなったんだよね!」と、近くの日本食スーパーで朝ごはんを食べ、その後近くで仕事をして、また病院へ戻ってきてくれた。

私が目を覚ます前には手術終わりすぐの執刀医の先生とも話せたようで、

・手術は無事終了したこと
・嚢腫も無事に取れたこと
・手術前に可能性を指摘されていた子宮内膜症は、実際に確認したところ見られなかったこと(手術前に先生から「子宮や卵巣まわりのことは、実際に手術をして中を見てみないと分からないことも多い」と聞いていた。私は嚢腫だけでなく、もしかしたら子宮内膜症もあるかもしれないと言われていたので、それも密かに心配していた。でも実際に手術をして確認してみると、心配していた子宮内膜症はなかった)

などを説明していただいたそうだ。

そしてパートナーも処置室に入ってこれたのでそこでまた再会した。

多分その後、私はまたウトウトしていた。

ちなみにこの処置室では簡単なジュースやクラッカーなどを出してもらえる。

しかし日本人の私。

手術直後にオレンジジュースとクラッカーを見ても、どうしても、

「お茶漬けとか食べたい。温かいほうじ茶とか飲みたい」と思ってしまう。

とはいえ当時の動画を見返すと、私は嬉しそうにオレンジジュースを飲んでいた。

普通に満喫していた。


麻酔が切れて、痛みがやってくる!(退院までの様子見)

処置室で1時間ほど過ごした後、異常がなかったため、朝にいた準備室へ戻ることになった。

車椅子のようなものに乗せられ、そこへ朝持ってきた荷物がどこからともなく登場。

「あ、そういえば私、この荷物といつ別れたんだっけ?」

と思っていると、

「はい、荷物は膝に乗せて!移動するよ!」

と看護師さん。

そのまま下の階へ戻る。

この時点ではまだ麻酔が効いていたので眠かったが、傷口にそこまで痛みはなかった。

準備室に戻り、朝座っていた椅子の進化版のようなところで、点滴を受けながら様子を見る。

30分ほどすると、少しずつ麻酔が切れてきた。

まず、喉が痛いことに気付く。

全身麻酔の際に入っていたチューブの影響で、飲み物を飲もうとすると喉がイガイガする。

そして次に、腹腔鏡手術をした部分、お腹の傷口がジワジワ痛くなってきた。

まず処方された痛み止めを飲む。

この時点では、まだ十分耐えられるレベルだった。

「徐々に痛くなるかもしれないから、何かあったらすぐ教えてね」

と看護師さんがちょくちょく様子を見に来てくれる。

話したり、ウトウトしたりしながら過ごしていたが、そこから1時間弱ほど経った頃。

傷口がかなり痛くなってきた。

さっき飲んだ痛み止めの効果もむなしく、、、

すると看護師さんが、

「じゃあ、もっと強い痛み止めを出すね」

と、強い薬を持ってきてくれた。

名前を忘れたが、それはオピオイド系の鎮痛薬だった。

「強い薬だから、気分が悪くなったらすぐ言ってね」

と言われた。

とにかくその時は痛みがつらかったので、飲む。

すると——

効く。

めちゃくちゃ効く。

さっきまでの痛みが、ものすごいスピードで消えていく。

「薬すごー!」
「医学の進歩すごー!」

と感動していた。

……のも束の間。

今度は一気に吐き気に襲われた。

目眩のような感覚もあり、顔は青白く、唇は紫色になってきた。

すぐ看護師さんを来てくれて、点滴などで対応してもらう。

すると、気分の悪さもすぐに治まった。

そして、お腹の痛みもそこから数時間は本当に消えた。

オピオイドは強い鎮痛作用がある一方、依存性による乱用などがアメリカで大きな社会問題になっている薬だ。

自分の身体でその強烈な効き目と副作用を経験して、薬のすごさと怖さの両方を感じたのだった… 


ちなみに腹腔鏡は日帰り手術!(子鹿のように這いつくばって帰る)

大事な情報を伝え忘れていた。

私が受けた卵巣嚢腫の腹腔鏡手術は、日帰りだ。
日本では平均2〜4泊くらいはするらしい。

(余談だが、その後日本に帰国した際いつも診てもらっている婦人科の先生にその話をしたら「さすがアメリカですね」と驚かれた。「日帰りで可能なの?」と思う方もいるかもしれない。可能というか、、、頑張るしかないのだ。アメリカはとにかく医療費が高いことで有名だが特に恐ろしいのが入院費用。保険や病院によってもちろん違うが、基本的にニューヨークで一泊追加するとなると、とんでもない額になる。なので、腹腔鏡手術くらいであれば日帰りがデフォでみんな何としてでも帰る。)

私はオピオイド系の強い薬によるプチチアノーゼ状態を脱し、その後はしばらく点滴を受けながら休んだ。

結局、その準備室には3時間くらいいただろうか。病院を出たのが午後3時過ぎだったので、おそらくそのくらいだったと思う。

暫く休んだ後、看護師さんから言われた。

「一人でお手洗いまで歩いてみて」

「行けたら家に帰れるから」

なるほど。

立ち上がろうとする。

……が、

お腹に一切、力が入らない。

手術したばかりなのだから当然なのだが、本当に腹筋が使えない。

仕方がないので腕の筋肉を使ってなんとか立ち上がり、壁に触れながら、看護師さんにも横についてもらいながら、お手洗いまで歩く。

「歩けた」というより、生まれたての子鹿が、なんとか親鹿のところまで辿り着いたという感じだった。

それでも看護師さんには、“You did it, girl!” などとハイプアップされ、

私もやや得意げになる。

すると「はい、じゃあもう帰れます!」と言われる。

いや、無理。

さっきまで子鹿だったぞ。

しかし看護師さんたちはどんどん荷物をまとめ始め、完全に帰宅モード。

確かに立てはする。

でも長く立っていると気持ち悪いし、全身麻酔もまだ残っている。

とはいえ、とにかく帰るしかない。

言われるがまま退院の書類にサインをして、病院ステイは終了!

最後に私も執刀医の先生ともお話しできて、無事に終わったこと、今後どのくらいの頻度でどの薬を飲むか、その他の注意点などを聞いた。

(先生、本当にありがとうございました。)


退院!(NYの凸凹道Uber、まじでSASUKE)

こんな感じで退院した。

さて、ブルックリンの自宅までどう帰るか。さすがに地下鉄に乗れるほど回復はしていないのでUberを呼ぶ。

少しでも快適に帰りたくて、車内の広いUber XLを呼んだ。

ここで、私は重大なことに気づく。

ニューヨークの道、めちゃくちゃ凸凹じゃん。

この時点では先ほどの強い鎮痛薬もやや切れ始めていた。

歩いているだけでも、ちょっとした反動でお腹の傷口が

ピキーーーン!となる。

ということは。

Uberの揺れ。無理では?

そこで病院の目の前まで迎えに来てくれた運転手さんに、

「今、手術が終わったばっかりなんです。ガタガタの道、本当に耐えられないので、できるだけスムーズな道を、できるだけゆっくり走ってください。その分チップは弾ませますのでお願いします」I BEG YOU という勢いでお願いした。

結果、ニューヨーク生活史上最も心地の良いUberライドとなった。

運転手さん、本当にありがとうございました。

そして無事に家へ到着…

……したのだが。

こちらはニューヨーク生活。

我が家、エレベーターなしの4階。

先ほどまで生まれたての子鹿だった人間が、4階まで階段を上がる。

一段、一段。

「私、逞しくなったよなあ…」とまた自分で自分を褒めながら上へ、上へ。

なんとか家に到着した。

とにかく一安心。

そして家に着いて驚いた。

なんと、会社の上司とチームからお花が届いていた。嬉しかった。

翌日には執刀医の先生から電話をいただき、術後の経過や注意点などを確認。

翌週のチェックアップの予約も取った。


術後!(とても順調…からの、突然の激痛)

手術をしたのは木曜日だったと思う。

そこから日曜日くらいまでは、人間を人間たらしめる機能を最低限だけ残した状態で過ごした。

普通のベッドのように完全に横になってしまうと、起き上がるのがとにかくつらい。

腹筋を使えないからだ。

そのため寝る時も、ソファで上半身を少し起こした状態。

お腹に力を入れようとすると激痛が走ったが、それもまあ最初の3日位で良くなった。笑うと痛いのでYouTubeで面白い動画などは見れず、暗いドラマなどを観て過ごした。(あと池袋ウエストゲートパークも観直した)

処方された薬を決められた間隔で飲みながら、最初の日々を過ごした。

人間の治癒力はすごい。

1週間弱もするとかなり普通に生活できるようになり、仕事にも復帰。

傷口には多少の痛みが残っていたものの、日常生活にはそれほど支障がなかった。

運動はまだできないが、ご飯も普通に食べられる。

そしてかなり身体が楽になった頃。

それまでは簡単な食事ばかりだったのだが、術後初めてのお出かけとして友達の家に遊びに行った。

ちょうど手術から1週間くらいだっただろうか。

すると友達が、ご馳走を作ってくれていた!

料理上手な友達だし、私の食欲も完全復活していたので、一気に食べすぎた。

その日は大満足で帰宅した。

ところが。

夜中、痛みで目が覚めた。

手術した傷口が痛いわけではない。

肋骨の下・横隔膜周辺に何かが突き刺さっているような激痛が走る。

普通、痛い時には深呼吸して落ち着こうとする。

でも今回は、その深呼吸をすると何かが突き刺さっている感じがあり、とても痛い。

息を吸う。

痛い。

だからうまく呼吸できない。

呼吸ができないと、今度はパニックになってくる。

とにかく一旦落ち着いて「ここまでなら痛くない」という呼吸の深さと頻度を探した。

少し落ち着いたものの、歩いても痛い。

何をしても痛い。

1時間ほど様子を見たが改善しなかったので、執刀してくださった先生に電話した。

その日は緊急受診が必要な状態でなければ一晩様子を見ることになり、本来は数日後だったチェックアップを翌日に変更してくださった。

しばらく安静にしていると、幸い痛みは少しずつ弱くなっていった。


手術ジャーニーこれにて終了!(順調にすぐ回復)

翌日の午前中、仕事を調整させてもらって再び先生のところへ。

謎の痛みは結局手術の影響か、その後一気に食べたことで横隔膜周辺が刺激されたことによる痛みだった可能性などを説明していただいた。

でもその頃には、痛みもだいぶ良くなっていた。

そして術後の経過を診てもらい、予定より少し早かったものの問題なさそうとのことで、抜糸もしていただいた。

そして先生が、

「手術の時に撮った写真もあるけど、記念に持って帰る?」

と。

持って帰りました。記念なので。

(さすがに載せない)

このチェックアップで「この後また何か痛みなどがあれば連絡してください。特に問題がなければ、今回の手術についてはこれで終了です」ということになった。

結局、その後は大きな痛みもなく、順調に回復。

こうして私のニューヨークでの手術ジャーニーは無事に終わったのだった。


振り返ってみると、手術前は全身麻酔が怖かったり、嚢腫が捻転するんじゃないかと飛行機に乗るたびにビビったり、日帰りで本当に帰れるのかと思ったり。

でも実際に手術を受けてみれば、麻酔は深呼吸2回で終了し、術後は子鹿になりながらも無事にすぐに帰宅できた。

ニューヨークでも信頼できるお医者さんに出会えたことがとてもラッキーだった!感謝。

……なのだが、アメリカで手術をした話を書く以上、避けて通れない話がひとつ残っている。

で、結局いくらかかったの?

という話である。

診察、検査、手術、麻酔、病院代、そして保険。

アメリカ医療といえば、やっぱりここが気になるところだと思うので(?)リクエストがあればそのあたりは次の番外編でまとめて書こうと思う。

前編・後編読んでくださりありがとうございました。

続く!

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