『兎とサイリウム』第1話「Party is Over」
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オレンジの光の中に居た。
闇の中に無数に広がる山火事のようなオレンジの光たち。
暗闇のせいで誰が降っているのかは、分からない。
でも、そこにいるひとりひとりの声が重なって聞こえる。
アンコール中の真っ暗なドーム球場。
今、なにかこの世から浮いた場所にいる。
2014年2月2日。
オレンジ色の光の中に居た。
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2023年2月2日。
ゴーグルをかけると、モノクロになった部屋が現れ、そこからデジタルの旅館の部屋に出る。そして、リンク先を選択して、配信用のワールドに入る。ボイスチェンジャーのスイッチを入れて、Youtubeの配信ボタンを押す。
俺の喉仏が震わした声は、電子的な女性の声になる。
多分、モニターに映っている姿は銀髪にピンク色のレイヤーが入った女の子だ。俺のアバター。
「はい、今日も始めていきましょう!『魍魎ケイ子のマクガフィン・オブ・マイライフ』。いやあ、いよいよ始まりましたね~。選抜イベント。誰のNFT買った?」
そこまで喋ってフリー音源のスイッチを押す。
マクガフィンは、日本のアイドルグループだ。
確か、映画や小説の中に登場するお宝的なアイテムのことで、そのアイテムが主人公の行動の動機になるのだとか、プロデューサーの春日さんは言っていたけど、そこまで深く考えて決めたのか怪しい、と俺は思う。
マクガフィンは2018年に誕生したアイドルグループで、6人の少人数グループだった。インディーズからメジャーデビューしたのが、2021年。コロナ禍真っただ中。その時、メンバーは1期生の6人に加えて、2期生の5人。そして、3期生の募集が始まったところだった。2022年に新しいもの好きの春日さんが、メンバーのNFTを一つ1万円で発売する。
NFTをご存じ無い方のために俺が死ぬほど雑に説明すると、画像だの音楽データだのをトークンにしたものだ。このトークンは、複数のサイトで管理するため、書き換えが出来なくて買った人や転売した人の履歴が残る。そして、転売した際に売り上げの一部が製作者に入るようになる。コピー可能なデータにわざわざ履歴が付与されることに何か意味はあるのか、と思うかも知れないが、「自分が持っていた」という優越感がデカいのではないかと俺は思う。たとえば、このNFTを初めて手に入れたのは俺だ、とか、そういうことだ。ものすごく狭いコミュニティの中の価値だと思う。
マクガフィンのファンは、高齢化が問題になっている。NFTは手に入れるまでに手続きがいるので、多くのファンがNFTを手に入れるところまで辿り着かなかった。更に社会的にもNFTにまだ懐疑的というか、様子見という状態だった。残念だが、このNFTは、誰からも買われずに終わろうとしていた。そこで、プロデューサーの春日さんは、1万円から一気に値下げした。2022年の6月末の夜だったと思う。NFTの価格を500円にまで下げた。販売手数料大丈夫か、と今なら思うが、俺の知ったこっちゃない。値下げのツイートを見た瞬間、俺は急いで電子通貨の登録をして、当時の推しメンだった小林まさみさんのNFTを買い占めた。小林まさみさん100部全部。謎の独占欲と見栄が働いたんだと思う。丁度、ボーナスが入っていたところだった。俺が日付を覚えているのもこの為だ。今考えると、どうかしていたと思う。しかし、俺が買い占めたことで、他のファンも一気に動き始めた。良く分からんが、買ってみようという流れが生まれたのかも知れない。
とにかく、小林まさみのNFT第1弾全てに俺のヲタ活用アカウントのハンドルネーム、「必殺必中ヲタ活稼業」という名前が刻まれた。元ネタを知らない人は時代劇を見てくれ。最高だから。
一気に初期メンバー6人のNFTは売り切れた。
問題は、この100部のNFTをどうするかだ。
俺は一瞬、この100部を一つも動かさなかったらどうなるだろう、と考えた。後から知ることになるのだが、売らずに持っておくNFTのことを「記念NFT」というらしい。多分、運営としては、それは止めて欲しいだろうし、俺もこのまま持っているのは、ただ画像データを100部手にいれただけになる。そこで、とりあえず、1部を仮想通過で600円で売りに出してみることにした。一瞬で売れた。俺のフォロワーで同じまさみん推しの「ぽんぽん丸」さんが買った。あっ、まさみんというのは、小林まさみさんのニックネームだ。じゃあ、次は欲張って1000円。売れた。今度は、みたことも無い名前の人だった。兎の背中とピンク色の背景のアイコン。名前は「スーサイドラビット」。なんという中二病感のある名前だ。どうか、まともな奴であってほしい。こいつのアカウント名にげんなりした。あと98部は少し様子を見てみよう。
そう思って、俺は翌日を待った。
翌日、俺の人生に奇跡が起きる。
アメリカのセレブの一人、ガイナ・ドライバーが小林まさみさんのインスタグラムをシェアして、なんとマクガフィンの動画をフォロワー2000万人を持つアカウントで紹介した。マクガフィンの最新曲だった「オレンジサマー」は一晩にして、500万再生を記録した。
2日後、ガイナ・ドライバーは彼のSNSで「まさみんのNFTを売ってくれ!」と書いた。商魂たくましいマクガフィンのプロデューサー春日さんは、すぐに小林まさみさんのNFTの第2弾を出した。未公開のライブ写真のNFTを1万円で100部出した。ガイナ・ドライバーの前に転売屋たちが買い占めてしまう。どいつもこいつもまさみんのNFTを10万円などの強き価格で売り始めた。しかし、セレブなる人間というのはなるのにきちんと理由があるもので、すぐに転売品に手を出さなかった。しばらく様子を見たのだ。徐々にNFTは転売を繰り返しながら値下げされていった。一気に値が下がり切ったところで、彼は100部のうち、80部を買い占めた。残りの20部はまさみんファンの人たちだったんだろう。
俺は、ガイナ・ドライバーにDMしてみることにした。「私は、まさみんのNFTの第1弾を持っています。良かったら日本円で600円程度の価格でお譲りしますよ。私は98部持っているので、97部のうち、好きな部数をお譲りします」という内容を翻訳ツールで英語に書き換えてもらって送信した。ついでに俺のウォレットにあるコレクションのリンクも貼った。
それから、2時間後、俺が仕事終わりに吉野家で豚丼を食べている時に、インスタのDMへガイナ・ドライバーからDMが返ってきた。
「買う。97部全部。ただし、600円ではなく、6万円で買う。君を信用する」
俺はガイナ・ドライバーと売るタイミングのやりとりをして、明日の同じ時間に販売に出すことにした。一切告知はしない。知っているのは俺たち二人だけだ。今考えると、何かアウトな要素があるかも知れないが、知ったこっちゃない。
翌日、また俺は吉野家のテーブルで豚丼を食べていると、ウォレットに一気にお金が入ったことを知らせるポップアップがスマホの画面に表示された。
こうして、一晩にして俺は自分の年収以上のお金を手に入れた。
明日から豚丼から牛丼Cセットにグレードアップだ。
いや、待てよ。
そして、ふと思った。
これは何かまさみんにお返しすることをせねば。
お金を消費するだけなら誰でも出来る。
そこで、俺は自分でYoutubeのチャンネルを作ることにした。
いや、それも誰でも出来るだろう、と思われるかも知れないが、このガイナ・ドライバーから得たお金を元にマクガフィンに関する色々ことに触れてその感想を動画で語る。そうすることで、マクガフィンのファンが増えたり、もっとマクガフィンのことを好きになる人が増えればいいな、と思った。だから、動画を試してみようと思ったのだ。
ただ、この時、アラフォーだった俺の汚い顔なんて見たい人なんていないだろう、と思って、配信用にアカウントを作る業者に依頼し、ボイスチェンジャーも何種類か課金して試した。一番、自分が好きな声を選び、いよいよ配信の準備が整った。
番組名は何にしようかと考え、大好きなラッパーの曲名をもじって、「マクガフィン・オブ・マイライフ」にした。
俺のアバターの名前は好きな小説家の作品から「魍魎ケイ子」という名前にした。なんとなく語感が好きだった。朝8時30分から17時15分まで会社で働いて、その後、毎日ライブ配信をするようになった。
主に、まさみんを中心にマクガフィンのことを語る。
それから、それぞれのメンバーのNFTの動きなんかも。
チャンネルの登録者数は、500人を超え、なんとか収益化も出来るようになった。何もかもが順調にいくはずだった。
ところが素晴らしい奇跡の後には、悲劇がつきものだ。
ネットフリックスのドラマを思い出せ。
全10話の韓国クライムサスペンスで、第1話で主人公が幸せになったら、「ああ、こっから転落するぞ」とワクワクするだろう、同じことが俺とマクガフィンに起こる。
まさみんが、卒業を発表した。
あれは、2022年10月10日の21時。
「小林まさみの卒業に関しまして」
マクガフィン公式HPの味気ない文書で、彼女の卒業は発表された。
これからは、ソロで夢を追いかけたいらしい。
急だが、2022年12月31日が活動最終日。
お別れのコンサートは横浜アリーナというマクガフィン史上、最大の会場で12月28日に行われる。俺の仕事納めが12月27日だから、なんとか参戦できる。
俺はショックのあまり、その日は吉野家の豚丼を食べて帰れなかった。
自宅にある、まさみんのグッズを一つ一つカラーボックスから出してきて、しばらく眺めていた。まさみんのファンを「まさ民」と呼ぶが、まさ民とでかでかと筆文字で書かれたまさみんの20歳の時の生誕Tシャツ。6枚目のシングルの時のチケットホルダー。初めて当たった雑誌のサインチェキ。未だに切り抜いて持っている初めての1ページインタビュー。
見ながら視界がぼやけてきた。
いかん、この感傷も発信しなければ。
その日の「魍魎ケイ子のマクガフィン・オブ・マイライフ」は、まさみんグッズと共に視聴者と思い出を語るという回になった。
放送が終わった後、同じまさみん推しのぽんぽん丸さんからDMが来ていた。
「まさみんのNFT、売りますか? なんか、ガイナ・ドライバーは放出するかもですね。僕はガイナに売りました」
ぽんぽん丸さんの予想に反して、ガイナ・ドライバーはまさみんの第1弾も第2弾もその後の卒業メモリアルNFTも売らなかった。意外と人情に厚いやつじゃないか、ガイナ・ドライバー。
彼が動きを見せたのは、2022年12月31日。
午後20時頃。
「年越し&まさみんお別れ公演」で、マクガフィン3期生のお披露目があった。
まさみん効果で一気にオーディション参加者数は、4000人にまで増えた。その中から選ばれた10人。
ちょっと待て、今、まさみんが卒業して初期メンバーである1期生が5人。2期生が5人。合わせて10人。それに対して、3期生が10人。何か、グループ内で別のグループを作ろうとしてない?
ただ、その10人の中に気になるメンバーもいた。
アイドルの研究生は、いくつかのタイプに分かれていると思う。
アイドルに憧れて入ってくる子。
アイドルは知らないけれど、芸能界で活躍したくて入ってくる子。
そして、何かの間違いでアイドルになった子。
まさみんは、まさに何かの間違いでアイドルになった子だった。握手会も苦手だったが、曲の世界に没入した時の表現力には何度も心を動かされた。
最後が横浜アリーナで終われたのは、マクガフィンの規模を考えれば最高ではないか、と思う。
そして、3期生の中で俺が気になったのは、やっぱり最後のタイプの子だ。
まず、目に飛び込んでくるのは日焼けした肌だ。野外スポーツをずっとやっている人の焼け方だった。一人だけ自分で切ったのではないか、というザクザクの前髪で、ボブヘアーというよりも、あまりにもマッシュルームに近い髪型。そして、目が明らかに泳いでいる。ずっと手をグーパーグーパーと握ったり開いたりしている。この子から目が離せなくなった。
俺は別に常識人や優等生が見たくてアイドルを見ているんじゃない。
化け物が見たくて、アイドルを見ているんだ。
浮世離れした才能を。
「奈良県から来ました。せんばにじかです。あの、こないだ、小林まさみさんの卒業コンサートを横浜アリーナで見たんですが、私は、もっと大きなところまで皆さんを連れて行きたいです!」
他の新人たちが、可もなく不可もなくなことを言っているのに対して、この子が言った言葉は俺の胸を深く打った。まだマイクなので、この時は名前の漢字を知らなかったが、「千羽虹香」と書くことをこの後、知る。俺たちファンはセンバニちゃんと呼ぶようになる。俺は、センバニちゃんの登場にワクワクした。
しかし、同時に活動を終えようとしているまさ民たちの怒りも少し買ってしまった。「なんだあの生意気な新人」とか「まさみんへのリスペクトがない」とか、そういうやつだ。更に、この頃からマクガフィンのまとめサイトまで数種類出来ていて、「悲報!マクガフィンの3期生、まさみんをディスる!」とか「3期生、いきなり問題児加入」といったタイトルでネガティブな意見だけをまとめたサイトもあった。人の悪口をまとめて食べるメシはさぞうまいんだろうな、と思い、そっとサイトを閉じた。
ガイナ・ドライバーは、どんな反応をしているだろう、と彼のインスタを覗いてみた。
一番、右端に居たロングヘア―の優等生タイプ「三条美紀」さんに、赤い丸のスタンプを付けて、「LIKE!!」と書いていた。
何か、頭の芯から血がスーッと上がってくるのが分かる。
「こぉの、野郎…」
まさみん卒業の日にセンバニちゃんにワクワクした自分を棚に上げて、俺は、ガイナ・ドライバーのDDっぷりに怒りを感じていた。ちなみに、この「LIKE!!」はしばらく、俺たちマクガフィンファンの間でミームになった。TikTokで散々見ることなる。
そんな俺の怒りを煽るかのようにマクガフィン運営は、1月1日の0時になった瞬間に、Youtubeの動画を更新した。「重大発表」の巨大な文字と共に、次回の選抜はオンライントーク券付きNFTの売れ行きで決めるということが発表された。そこには先輩後輩も無く、どれだけNFTがまず、購入され、その後、どれだけファン同士で流通していくかを決めるそうだ。開始は2023年の2月1日の19時から。本日1月1日から、この2月1日までの一ヶ月で3期生のことを知って欲しいということだった。終了は4月1日の19時。
なるほどな、と思った。
まず、最初にオンライントーク会のために買ったファンの売り上げが入り、その後はファンが売ったNFTの収益の一部が入る。運営にとっては、ウハウハのイベントだろう。そして、ファンは推しを人質にとられているようなものだから、頑張るしかない。
2023年はマクガフィンにとって激動の1年になるかもなあ、と思いきや、やっぱりそうで、これまで全く有料のメールや無料のブログを更新しなかった1期生のダンスメンバーである「宇川智子」が毎日のように更新を始めたり、これまで神対応でお馴染みだった2期生の「真田萌衣」が急に悲壮感を漂わせる長文のブログをアップするようになったりした。
俺たちの知っている世界が、確かにグラグラと揺れ始めていた。これまでと違う。
と同時にワクワクもしていた。
何か3期生が1期生を一気に抜くところが見られるんじゃないか、と。
2月1日の19時。
NFTの販売が開始された。
すべてのメンバーの部数はわずか100部。
先輩たちのNFTは5分で秒殺したそうだ。
宇川智子のNFTを5分後に手に入れたファンのNFTナンバーは98。真田萌衣は5分後の時点で99。なんというスピード。それに対して、残念ながらほとんどの3期生は、まだ売れ残っていた。千羽虹乃のNFTを俺は、10部も買えた。これは3期生は厳しい戦いになるかもなあ、と思っていた。たった一人を除いては。三条美紀。1分で瞬殺。
2月1日、19時01分の時点でトップに踊り出たのは、3期生だった。
俺はその日、生配信しながら、この状況について語った。
「とんでもないことが起こってますねー!いきなり年功序列をぶっ壊す3期生の躍進!みんなは、なんとか自分の推しのトークンは買えました?私は、センバニちゃんのNFT買えましたよー。三条美紀ちゃんがこのまま逃げ切るのかなあ?」
コメント欄に「ガイナ・ドライバー砲」とか「お金儲けに偏り過ぎ」といった言葉が流れていく。同じまさみん推しだったぽんぽん丸さんのコメントもある「俺たち何やってんだろう、狂ってる」と。多分、ぽんぽん丸さんはこのゲームに乗れてないんだと思う。その気持ちも激しく分かる。とんでもない課金レースじゃないか。ただ、この勝敗がはっきり見えてしまう残酷ゲームに興奮している自分がいる。多分、このイベントのせいで卒業を決める先輩メンバーも出るだろう。この加速に耐えられずそっと、ヲタクをやめるファンも出るだろう。一つのパーティーが終わり、新しいパーティが始まる気がした。
そして、2023年2月2日の夜も俺は配信を始めていた。
第2話に続く
第2話「Over Drivee」
第3話「Start Over」
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