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第10章|AIがやってくれる、じゃあ人間は何をすればいい?

第9章|AIは優秀だが空気が読めない新人アシスタントからの続きです

 神楽坂のレストランバー「シェルポ」の奥の席。気がつけば、私たちのテーブルの上には空になったワインボトルと、いくつかのお皿だけが残されていた。AIという正体の見えないゴーストに怯え、「私たちの仕事はなくなるんですか」と泣きついた私から始まったこの長い夜の答え合わせも、いよいよ終わりの時間を迎えようとしていた。

「要するにな」

 ボスはグラスに残っていた赤ワインをゆったりと飲み干し、テーブルに両肘をついて私たちを見た。

「AI時代やから言うて、俺らデザイナーがやらなあかん本質は、昔から何一つ変わっとらんのや。むしろ、やるべきことはもっとシンプルで、最高に面白くなっとる」

「シンプル、ですか」

 私が問い返すと、ボスは大きく頷いた。

「せや。結論から言うぞ。これからの時代、画像の切り抜きやら、レイアウト案のバリエーションやら、カラーバリエーションの作成やら……そういう『面倒くさい作業』は、全部AIに丸投げしたらええんや」

 あまりにも身も蓋もないボスの極論に、私は思わず目をパチクリさせた。しかし、隣に座るTanakaさんは、静かに、深く頷いていた。

「ボスの言う通りですね。昔なら、人物の髪の毛の背景を切り抜くだけで何時間もかかったり、ダミーのテキストと写真を当てはめたレイアウト案を徹夜で何十パターンも作ったりしていました。でも今は、AIを使えばそういう『手を動かすだけの作業』は数秒で終わります」

「そうや。AIは文句も言わんし、徹夜もせぇへん。俺らが『守破離』の『守』の段階、つまり80点の及第点に辿り着くまでの泥臭い道のりを、あいつらは一瞬でショートカットしてくれるんや」

 ボスはそこで言葉を切り、真剣な眼差しを私に向けた。

「じゃあ、Ochi。そのAIが肩代わりしてくれたおかげで『空いた時間』を使って、俺ら人間は何をせなあかんと思う?」

 私は少し考えた。
 作業時間が減った分、もっとたくさんの案件をこなす? それとも、もっと新しいソフトの使い方を覚える? 違う。今日のボスの話の流れからすれば、そんな作業効率の話ではないはずだ。

「……考えること、ですか?」

 私が探り探り答えると、ボスは「その通りや」とパチンと指を鳴らした。

「空いた時間は全部、『クリエイティブな思考』だけに全振りするんや。クライアントが本当に抱えている悩みは何なのか。このデザインを目にする人たちは、どんな環境で、どんな気持ちでこれを見るのか。そして何より、俺自身は『何を美しいと思うのか』。そういう、機械には絶対に計算できん泥臭い『人間臭い部分』にだけ、脳みそのリソースを100パーセント注ぎ込むんや」

 ボスの言葉が、ストンと胸の奥に落ちてきた。これまでは、作業に追われるあまり「考える時間」を犠牲にしてしまうことが何度もあった。締め切りに間に合わせるために、妥協して「とりあえずこれでいいや」と手を動かしてしまうこと。それは、デザイナーとして一番やってはいけない思考停止だった。

「AIという優秀なアシスタントを手に入れた俺らはな、これからもっと『わがまま』にならなあかんのや」

 ボスは楽しそうに笑った。

「クライアントの言う通りに作って『これでええでしょ』って出すだけの仕事はAIに任せとけ。俺らは、そのAIが出してきた100個の案をテーブルに並べて、『うーん、全部綺麗やけど、なんかちゃうな。もっとこういう毒を入れた方がおもろいやろ』って、自分のエゴと審美眼を全開にしてジャッジするんや。それが『アートディレクター』になるっちゅうことやで」

「わがままに、エゴを全開にして……」

 私が呟くと、Tanakaさんが横から少しだけ意地悪な声で補足した。

「ただし、Ochiさん。その『わがまま』を通すためには、あなた自身の中に絶対にブレない『美意識』と、それを言葉にしてAIやクライアントに伝える『言語化能力』が必要になるわ。ただの自己満足じゃなくて、相手を納得させるだけのロジックがね。……明日から、もっと厳しくいくから覚悟しておきなさい」

「うっ……お手柔らかにお願いします……」

 私が苦笑いすると、ボスが「あははは!」と豪快に笑った。

「まあ、そういうこっちゃ。AIを恐れるな。あんな便利なもん、使い倒してナンボや。俺らが自分の足で立って、自分の目で見て、自分の頭で考え続ける限り、デザイナーという仕事は絶対に無くならん。むしろ、これからが一番おもろい時代の始まりやで」

 ボスはそう言って、お冷の入ったグラスを軽く持ち上げた。私とTanakaさんも、それぞれ手元のグラスを持ち上げ、小さく乾杯の音を鳴らした。カチン、という澄んだ音が、神楽坂の静かな夜の空気に溶けていく。
 お店を出ると、夏の夜特有の、少し湿気を帯びたぬるい風が頬を撫でた。つい数時間前まで、私の頭の中を覆っていた「AIに仕事を奪われるかもしれない」という薄暗いゴーストの姿は、もうどこにもなかった。
 代わりに胸の中にあったのは、明日からの仕事に対する、ほんの少しの緊張感と、それを上回る大きなワクワク感だ。

 面倒なことはAIに任せよう。

 そして私は、もっとたくさん悩んで、もっとたくさん美しいものを見て、自分だけの「審美眼」を磨いていこう。見上げれば、ビルの谷間に切り取られた夜空が、いつもより少しだけ広く、クリアに見えた気がした。

第1章はこちら
text by Ochi (d-fractal)


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