第6章|「審美眼」なき者は、AIの嘘に気づけない
第5章|AIと「守破離」と120点への道からの続きです
「守破離」という能楽の言葉で、AIが型を真似る『守』の天才であり、人間こそが型を破る『離』の領域へ行くべきだというロジックに、私とTanakaさんは深く頷いていた。
「でもな」
ボスはグラスの氷をカラリと揺らし、私たちの顔を順番に見つめた。
「実際、デザイナーが様々な修羅場をくぐり抜けて、その『離』の段階に到達した時、手に入る一番の武器は何やと思う?」
「一番の武器……うーん、誰も思いつかないような、豊富なアイデアや表現力ですか?」
私が答えると、ボスは首を横に振った。
「まあ、それもあるやろな。でもな、何十年もこの世界でやってきて、結局プロが手に入れる一番重要なものは『見る目』やと思うんよ」
「見る目?」
Tanakaさんが眉を少し動かした。
「それって、『審美眼』ということですか?」
「ああ、その通りや」
ボスは力強く頷いた。
「いろんな素晴らしいデザインを見て、自分でも泥臭く手ぇ動かしていろんなもんを作ってきてないと、目の前に出てきたもんが『本当にええか悪いか』を区別できへんやろ。実はな、クリエイターにとって『自分の手を動かすテクニック』以上に、その『良し悪しを見分ける審美眼』こそが一番大事なとこなんやで」
ボスはふと目線を上に向け、昔読んだ本を思い出すように言った。
「なんの小説名前は忘れたけどな、村上春樹の小説の一節に『ギターが弾きたいけど、僕は耳がいいから、自分の出す音の酷さに絶望してしまうんだ』っていうようなセリフがあったんよ。これ、逆説的やけど真理やろ。クリエイターにとって本当に大事なんは、演奏するテクニックそのものやなしに、音の良し悪しが聴き分けられる『耳(審美眼)』やという話やな」
ボスの文学的な例えに、Tanakaさんがすかさず冷ややかな水を浴びせた。
「……ボス。今は村上春樹なんて誰も読まないですよ。私たちには全然響かない例えです」
「うっ……お前、相変わらず容赦ないな」
「それはいいとして」
Tanakaさんはボスの傷心を無視して、論理の核心へと切り込んだ。
「少し疑問があります。いまAIとの関わり方の話ですよね、さっきボスは、『AIは過去の平均値である80点しか出せない』と言いましたよね。平均点しか出せないAIの作品を並べられて、その『80点同士の群れ』の中から、一体何の良い悪いをその審美眼使って見分ける必要があるんですか?」
「そこや!」
ボスはTanakaさんの鋭い問いに、待っていましたとばかりに身を乗り出した。
「ええか。一口に『AIが出した80点』言うても、全部が同じペラペラの80点やないんや。その平均点の案の中にな、デザイナーの手で磨けば強烈な光を放つ『原石』みたいなもんが混ざっとるんや」
「原石……」
「そうや。たとえばAIが高速で叩き出した100個のアイデアの中に、1個だけ『おっ、この配色の違和感は面白いな』とか『この構図をこっちに引っ張れば化けるぞ』っていう、未来の120点の種がある。それを見つけ出して、自分の手で120点に引き上げる。それができるかできんかが、デザイナーがAIを『アシスタントとして使いこなせるかどうか』の決定的な差なんや」
「なるほど……!」
私は腑に落ちて、思わず膝を打った。AIにすべてを任せるのでもない。AIを全否定するのでもない。AIが出してきた無数の平均値の中から、人間の審美眼で「光る原石」だけをピッキングして、自分の技術で磨き上げるのだ。
「でもな」
ボスの声のトーンが、少しだけ低く、険しいものに変わった。
「その『審美眼』がない素人や半端者がAIを使うと、どうなると思う? 何がええか悪いかを見分ける目がないから、『AIが綺麗な絵を出してくれた! これで完成や!』言うて、なんやこれ? っていうような酷い出来損ないを、平気で世に出してしまうんや」
ボスは店内の窓の外、神楽坂の通りを指差した。
「最近の世の中、電車の中吊り広告でもネットのバナーでも見てみい。『ええっ、なんでこのAIっぽさ丸出しの気持ち悪い画像のまま、誰のチェックも通らずに印刷されてるの?』っていう仕事、ようけあるやろ」
「ああ……! あります、あります!」
私は激しく同意した。特に写真やイラストの広告で、人間の指の関節が微妙におかしかったり、光と影の向きがデタラメだったり、全体に不自然でプラスチックのようなツヤがかかって生々しかったりするビジュアルだ。
「そうですよね」とTanakaさんも嫌悪感をにじませる。
「パッと見は綺麗なんですけど、なんだか言いようのないような違和感だらけで、ブランドの信頼性を疑うようなビジュアル、最近本当に増えましたよね。特に人物の写真やイラストで」
「せやろ」
ボスはグラスを静かに回した。
「あれがな、良し悪しを判断する『審美眼』が欠如した人間がAIを使った、残酷な末路なんや」
自分で良し悪しを判断する目を持たない人間は、AIがついた嘘やデザインの違和感に気づくことができない。便利すぎる魔法のツールは、使う人間の中に「美意識の絶対基準」がなければ、ただ不気味なゴミを量産する凶器に変わるのだ。
「AIの嘘に気づけるか、気づけずに踊らされるか」
冷房の効いたレストランバーの席で、私は自分の「見る目」が今まさに試されているのだと、微かな冷や汗とともに実感していた。
第7章に続く
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text by Ochi (d-fractal)
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