モストマスキュラー!5「懸垂青年」【#創作大賞2025 #恋愛小説部門】
オンボロ部室棟の間のコンクリート舗装からは、まるで蜃気楼のように陽炎がゆらめき、肌を焼くような今日の陽射しは、すでに真夏を思わせた。
向かい合うように建つ二棟のプレハブには、各部活が思い思いの看板をぶら下げていて、日本の大学とは思えない、どこか異国の下町のような雑多な雰囲気だ。いつか見た映画のワンシーンに、こんな裏路地のセットがあったような気がする。
ペンキが剥げかけた『少林寺拳法部』の木製看板の下には、今にも朽ちそうな錆だらけの自転車が置き去りにされ、『野球部』と書かれていなくとも、無造作に立てかけられた木製バットが無言で主張している。そして、一瞬血文字かと見紛うほど強烈な、赤いペンキで書かれた『漫画研究会』の文字。
そのどれもが、女子大育ちの私には想像もつかない、あまりに節操のない「男の園」の光景だった。
部室棟の終わり、アスファルト舗装が切れる。
先には原っぱが広がっていて、さっき見た空き地に続いている。どうやら部室棟は空き地に残されたものらしい。原っぱには鉄骨の骨組みだけが二階建て分存在して、その左隣にオンボロプレハブ二階建ての部室棟に比べると多少マシな建造物があった。
「ここの一階がトレ室」
トレーニング室をトレ室、と呼ぶのは使い慣れている人間の言葉なのだろう。秀ちゃんが観音開きのドアの前で立ち止まる。
「今日はこの曲でやってんのか」
微かに聞こえてくるのは、私も知っているアメリカのロックバンドの名曲。
「随分と大音量だね」
「上が軽音部だし、一応この小屋だけ防音仕様なんだ。迷惑かけてないから大目に見てよ」
ドアノブに手をかけ、彼が静かにドアを開ける。
「うぃーっす」
「お、お邪魔します」
窓を閉め切っているからだろう、ドアを開けた瞬間に熱い空気がドッと押し寄せ、まるで真夏の体育倉庫に閉じ込められたかのような、むせ返る暑さだった。
微かに聞こえていたロックミュージックが、ここでは肌を震わせるほどの爆音で響き、熱気をさらに煽る。汗と鉄の匂いが混じり合った、むっとするような空気が肺に流れ込み、私は思わず息を飲んだ。
雑然と置かれた年季の入ったマシンたちが私たちを待ち構えていたように存在していて、タイル張りの床にはダンベルや鉄アレイやシューズが散らばっている。黒板には『部内記録会・結果』と大きく書かれた白い紙が貼られ、名前と数字が羅列されていた。
さっき部室に来たカワノくんは腹筋をするマシンにまたがって、こちらをちらりと見て軽く会釈をしてくれたので、私も会釈を返す。
部屋の一番奥では、こちら側に背を向けて二メートルほどの高さの鉄棒にぶら下がり、黙々と懸垂をしている青年がいる。私はその青年に釘付けになった。腰からロープのようなもので見るからに重そうな円盤状の何かをぶら下げていたからだ。
「秀ちゃん、あの人」
思わず秀ちゃんに小声で尋ねてしまう。
「ああ、あれ? あれはバーベルのプレート。負荷かけてんの」
秀ちゃんも青年の集中力を削ぎたくないのか、小声で説明してくれる。
「負荷、って」
「あれで十キロだな」
「十キロ!? 腰に!?」
自分の体重だけでも懸垂なんて大変なのに! は声にならなかった。
青いTシャツに黒のハーフパンツ姿の青年は、こちらが見ていてじれったく感じるほどゆっくりゆっくりと重力に逆らっていた。そういう筋トレ方法なのだろうか。
腕や脚から確認できる肌は女の子が羨ましがるであろう透き通るような白さ。Tシャツから伸びている腕は普通よりちょっと逞しい、というレベルでマッチョとは程遠い。腕力は相当あるようだけれど、ボディビルをやっているとは到底思えない。
その彼が鉄棒から手を離して重力に従って床へ着地し、バーベルのプレートを付けていたベルトを外す。そのタイミングで秀ちゃんが彼に声をかける。
「おーい、アキラ」
青年が振り返る。切れ長の眼が私たちを捉えるや否や、獲物を見つけたとばかりに秀ちゃんへ向かって突進してきた。
「……安藤、お前! ぜんっぜんトレ室こねーし、メッセージは既読スルーだし、やる気あんのか、このデブ!!」
彼から放たれる辛辣な言葉の矢は、まるで毒が塗られているかのようだ。
そして、なぜかその流れ弾が、隣に立つ私にまで容赦なく飛んできて、ヒリヒリする。
想像を絶する罵詈雑言の嵐に、私は思わず肩をすくめた。
――ああ、私も無駄肉落とします、頑張ります……と、思わず半泣きになりそうになるほどだ。
「そんなに怒るなよ、アキラ~。それに研究課題が終わらないって言ってたでしょ~」
「でしょ~、じゃねえ! この状況でなーにが怒るなだよ、早くそのムダ肉を落とせ今すぐ落とせデブ!! できないなら死ね!! 今何月だと思ってんだ!」
今すぐにでも噛み殺しそうな勢いで秀ちゃんの目の前に立つ青年からは、鬼気迫るオーラが見えるような気がした。
随分と毒舌な青年に呆気にとられていると、ようやく私の方に視線を向けて、「あ」と一言。
へびににらまれたかえる。かえりたい。ぜったいおこられる。
「は、初めまして……小阪です。お邪魔してすみません……」
すると青年は意外にも、さっきのオーラを潜め、見た目通りのおとなしそうな雰囲気を纏い「西本です」と言って頭を下げた。
「綾羽さんです」
秀ちゃんが付け加えるように言うと、頭を上げた青年がものすごく驚いた表情を浮かべている。
「アヤハさん……マジ!? え、何、付き合ってんの!? いつの間に告ったんだよ!?」
「はいぃ!?」
私と秀ちゃん、同時に声をあげる。
「なんでそうなるの?」
「だってお前、アヤハさんのこと好きだったんじゃねーのかよ!?」
「そんなこと一言も言ってないよ!?」
秀ちゃん、目玉がこぼれ落ちそうなくらい見開いて慌てふためいている。
話が全く見えないので困っていると、青年、もとい、アキラくんが叫んだ。
「だあって、あんだけ言ってたじゃんかよ、『アヤハ、超かわいいんだよ~』って!!」
「黙れアキラ!!」
秀ちゃんが耳まで真っ赤になって、とうとうアキラくんの首に腕をまわして反撃しだした。
──かわいいって。可愛いって。
ありがとう、お世辞だとしても嬉しい。でも、それ本人の前で言うセリフとちゃうで……。
聞き慣れない褒め言葉が想像以上に破壊力があって、私の血液がどんどん顔面に集結している気がする。秀ちゃんと同じく耳もだけれど、首まで熱くなっているのはこの部屋のせいじゃない。
「あ、あのう……」
小さく呟くと、二人の青年がハッとしたように互いの身体を離し、今度はわざとらしい咳払いをしだす。その姿に心の中で「か、かわいい」と思ったのは内緒にしておこう。
「仲、いいんだね。兄弟みたい」
心からの私の言葉に、青年たちが揃って反論した。
「どこが!?」
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