モストマスキュラー!4「男の園(2)」【#創作大賞2025 #恋愛小説部門】
ギィ……、ギシ……。
塗装が剥げ、錆の浮いた螺旋階段を恐る恐るのぼるたび、イエローのエナメルパンプスと金属が擦れる耳障りな音が響き渡る。まるで今にも崩れ落ちそうなその階段は、私の不安を煽るかのようだった。
二階入口の引き戸をギギギと開けると、全く人気がない。
昼間だというのに廊下は真っ暗。ひんやりとした空気が肌を這い、外の光が一切届かないその場所は、そこらのお化け屋敷よりよっぽど怖い。
「し、静かだね……」
「まあ、日曜だしね」
そう言いながら入口からすぐ右にある『B.B.C』と書かれたネームプレートが貼ってある扉の前で、秀ちゃんが立ち止まる。
「ここが俺たちの部室」
ちょっと待って、と私へ手合図を送ると、一旦ドアノブに手をかけてドアが空いていないかを確認する。開いてないと分かると、彼はジャケットのポケットから鍵を取り出して開けてくれた。
「どうぞ、一応土足禁止だから入ってすぐ靴脱いでね」
とうとう、来たんだ。未知の世界に。
促されたので覚悟の一歩を踏み入れると同時に、目の前に広がる景色に私は絶句した。
「誰もいねー……あ、でもアキ」
秀ちゃんの言葉を遮って、私の叫び声が部室に響く。
「きたなっ!!」
「そりゃヤローだらけですから。マネージャーもいないし」
当たり前だとばかりに彼が答えたので、頭にきてしまった。
「そういう問題じゃない!」
ゴミ屋敷、という言葉がこんなにもふさわしい部屋を初めて見た。
「あと埃っぽい!! くさい!! ゴミくらい捨てなよ!! つーかゴミ箱がゴミになってんじゃん!!」
「そんなに怒らないでよー。俺がやったんじゃないんだからさあ」
「同罪や!! マネージャーはいないの!?」
「いるわけないじゃない! だから綾羽に頼んだんじゃん!」
確かにこの惨状では、マネージャー候補も逃げ出してしまうだろう。
秀ちゃんの言葉を軽く聞き流しながら、あーもう、と思わずゴミを拾い始めた私を見た秀ちゃんが慌て出した。
「ちょ、ちょっと綾羽、いいから」
「私がよくない! 掃除させて! でないと帰る!」
こんなところによくもまあ私を誘ったなと睨みつけると、彼がたじろいだ。
「わ、わかった! 俺も手伝うから、帰らないで! 怒らないで!!」
泣きそうな声を上げながら、秀ちゃんも靴を脱いで畳の上にあがって片付け始めた。私は早速窓を全開にする。
六畳ほどの部屋の窓際には、色あせた古いラブソファが鎮座し、その隣には生活感あふれる敷布団と掛け布団、枕が積み重ねられていた。誰かが泊まり込んでいるのだろうか。
左の壁には、埃まみれの学ランが二着、申し訳なさそうにかけられ、その下には、背もたれがひび割れた青いプラスチック製のベンチが、まるでゴミと一体化したかのように放置されている。
右の壁一面に置かれた大きな棚には、雑誌類やサプリメントらしき大きな丸い缶、DVDがぎっしりと詰め込まれており、雑然とした男の生活を物語っていた。
そして、床の真ん中には三枚の畳が敷かれているものの、雑誌やゴミ、空のペットボトルが足の踏み場もないほど散乱している。折りたたみのテーブルの上には吸殻が山と積まれた灰皿が置かれていて、その下には誰かのものらしきスーパーのビニール袋が、中身を曝け出すように口を開けていた。
私は片っ端からゴミと分かるものだけをゴミ袋にぽいぽいと投げ捨てる。
五分くらいでゴミは片付いた。
ここまで私は無言。秀ちゃんはどうやら私の殺気で話すタイミングが掴めなさそうだった。次は雑誌をまとめようと、足元にあった雑誌に手を伸ばす。
『月刊モストマスキュラー』の文字が入った表紙には、同じ人間とは思えない筋肉の男性がポーズを取っている姿が載っている。
「うわ、すごい筋肉だ」
思わず整頓していた手が止まり、呟く。
「あ、それは去年の大学選手権で優勝した人。強豪校のエースで、俺たちとタメ」
秀ちゃんが私の手元を覗き込みながら教えてくれる。
「大学生!? タメ!?」
筋肉がすごいと風格まで違うのか、と目の前の彼と表紙を見比べた。
「貫禄ありすぎ……」
「なんでそこで俺を見るの!?」
秀ちゃんが軽く悲鳴を上げた、その瞬間。
「ちわーっす」
部室の扉が開き、ヘッドフォンを首にぶら下げ、耳にピアスが何個もついている上下グレーのスウェット姿の茶髪の青年が入ってきた。
「おっす」
秀ちゃんが軽く挨拶をする。どうやら部員らしい。
「え、あ、し」
明らかに挙動不審になっているその青年が、私を見るなり顔色を変えた。
「えあし?」
秀ちゃんが不思議そうに青年の言葉を反芻する。
「えっと、あのっ、失礼しましたっ!!」
すると青年が回れ右、で部室から退散しようとしたので秀ちゃんが慌てて青年の左腕を掴む。
「おい逃げるなよ! 河野!!」
カワノ、と呼ばれた青年が居心地悪そうに秀ちゃんへ訴える。
「いや、だって、うちの部室に女の子がいるんすよ!? 部室間違ったかと思ったんすよ!」
実際女の子、という年齢は過ぎてしまっているのでなんともこそばゆいけれど、今私がこの部屋にいることは、明らかに異常事態のようだ。
「俺がやってるサークルのメンバー。わざわざ来てもらったの」
カワノくんを落ち着かせるように、秀ちゃんが説明する。
「ども、初めまして。河野っす」
さすが体育会系。九十度のお辞儀で挨拶をしてくれた。
「お邪魔しています。小阪と言います」
私も慌てて雑誌を置いて、正座してお辞儀する。
「お前珍しいな、日曜に部室来るなんて」
「ウサ晴らしにトレしに来たんすよ。西本さん、いましたよ」
「ああ、やっぱりアキラの荷物だったんだ。これ」
さっきから気になっていたのか、テーブルの下の荷物の持ち主が分かるや否や、秀ちゃんの声が明るくなる。
「じゃ、俺、いきますね」
「俺もあとで行く。アキラには余計なこと言うなよ」
「わかってますよ。あ、そうだ。安藤さん、いま西本さんすっげーピリピリしてるっぽいっす」
「ん」
秀ちゃんが軽く頷く。
それじゃ、とカワノくんがベンチの上にあったトレーニングウェアとシューズを抱えて部室を出ていった。
「なんか、今時の若者、だったね」
正座の状態で、私がぽつりとこぼすと「一体どういう想像をしてたの」と呆れた声が返ってくる。
「だってこの雑誌の表紙見たら、そういう人ばっかりかと思っちゃうじゃん!!」
さっき見た雑誌をもう一度手に取り、秀ちゃんに見せつける。
「あー……そういうヤツばっかな大学もあるけど、ウチは違うなあ。フツーの奴らばっか。特にさっきの河野なんかはトレに来るの二週間に一回ぐらいじゃね?」
テーブルの上に置いてあった出席簿らしきものを見ながら、溜め息をつく秀ちゃん。
「……なんだか全然分からなくなってきた……」
私も頭が混乱してきて、つられ溜め息。
「ちょっと一服してもいいかな」
秀ちゃんがタバコを持つ仕草をするので「どうぞ」と答えると、デニムのポケットからよく見る銘柄のタバコを取り出して、火をつける。
「綾羽には、俺たちのありのままを見てもらいたかっただけだから」
秀ちゃんの言葉が、煙と一緒に天井へ向けて吐き出された。
意味深な発言に私が戸惑っていると、もともと垂れ目気味なのに更に目尻を下げて微笑んでいる秀ちゃんがいる。
「さ。トレ室、行こう」
秀ちゃんはそう言うと、くわえていたタバコはそこまで減っていないのに口元から離し、灰皿に押し付けてもみ消した。
「え、部外者が立ち入っていいの?」
「俺がいいって言ってるから、いーの」
立ち上がった彼は、あの特徴のある笑みを浮かべている。
──やっぱり何か企んでいる気がする。
私の勘が頭の中で、そう呟いていた。
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