小学校受験対策に本番半年前から14キロダイエットした
『私立小の保護者にはデブはいない』
そんな衝撃のポストが数ヶ月前にXでバズった。
投稿者のことを調べると、どうやら現役のお医者さんのようで、そのアカウントを遡れば遡るほど、デブに対する徹底的なまでの糾弾が並んでいた。
「子どもの診療料は安くなるんだからデブは高くするべき」
「デブが『検診結果が悪くて』と言ってきても『痩せろ』としか思わない」
「(MRI画像を見て疾患名を当てるクイズポストに対し)わかんないけど、デブ」
もはや、デブに対して親の仇か何かのような情熱で言葉のナイフを振り回している。
これほどまでにデブを忌み嫌うのは、過去にデブによって国家を転覆させられそうになったのか、あるいは初恋の相手が力士にでも連れ去られたのか。
真相は不明だが、とにかくこの医師にとって、デブは存在そのものが許されないようだ。
ところで、この投稿者の唱える「私立小の親、デブいない説」についてなのだが、実は過去からもお受験界隈ではまことしやかに囁かれている。
実際このポストが投稿される一年前に、娘の小学校受験を伴走をしていた僕でさえよく聞く話ではあった。
大抵の場合、その根拠としては
「面接では第一印象が大事だからデブだと不利」
「体重と所得は逆相関。デブはそもそも私立小受験の土俵に立てない」
「デブ、自己管理出来ず いわんや、子の管理をや」
と、これまたデブ泣かせの辛辣な内容ばかりだったと思う。
繰り返しになるがデブがお前らに一体何をしたというのか。
冷静に考えれば、こんな話は根拠が不明だし、仮に本当に体重で合否を判断するような学校があったとしたら、こちらから中指を立てて辞退してもよいくらいの話である。
本来ならば、そんな雑音は聞き流せばいい。
しかし。
しかしである。
小学校受験という、人生で最も不確実な勝負に挑む親という生き物は、極めて脆い。
真偽不明のネット記事に一喜一憂し、掲示板の書き込みに夜も眠れなくなるほど繊細なのだ。(参考)
かくいう僕自身も、当時この都市伝説を聞いた時不安な気持ちで満たされた。
それは当時の僕は、誰がどう見ても見紛うことなきデブだったからである。
体重83.3kg、体脂肪率24.9%。
これが2025年4月19日時点の体重だった。
かつて、幼稚園から大学までサッカーという運動量の塊のような競技に明け暮れていた頃、僕の体は鋼のように引き締まっていた。
ピッチを縦横無尽に駆け回り、重力など存在しないかのように跳躍していたあの頃の僕は、間違いなくアスリートだった。
しかし、社会人になって十数年。
連日の暴飲暴食と運動習慣の欠如により、かつての筋肉質な身体はどこかへ霧散し、代わりに腹部には、これまでの不摂生の結晶が地層のように積み重なっていた。
最愛の娘からも「パンダさん」とか呼ばれる始末。
とにかくもう、重篤なレベルで僕は太っていた。
そんなパンダが、やれでデブは面接で不利だの、デブは低所得者だの言われもない罵詈雑言を浴びれば、そりゃあ不安になる。
上野動物園からだって逃げ出すに決まっている。
「このままでは、娘の努力を私が台無しにしてしまうのではないか?」
そうした恐怖が、僕の重すぎる腰をようやく持ち上げた。
娘のためなら、お受験塾の送り迎えも、願書の添削も、土日の公園遊びも、なんだってやると決めたじゃないか。
ならば、やるべきことは一つ。
ダイエットだ。
かくして、小学校受験のためにダイエットという、事情を知らぬ人からすれば”風が吹けば桶屋が儲かる”以上の論理飛躍の下、戦いが始まった。
さて、デブがダイエットを決意した際、まず最初にぶち当たる壁がある。
それは、一体、どの宗派に帰依するべきかという問題だ。
世の中には星の数ほどのダイエット法が溢れている。
ナタデココだけを食い続ける「ナタデココダイエット」や、ビデオ上の黒人鬼教官に指示されるがまま踊る「ビデオダイエット」、体内でサナダムシを寄生させる「サナダムシダイエット」とかいう、もはや狂気としか思えないものまで、挙げればキリがないほど世の中にはダイエットメソッドが存在しているのだ。
そんな玉石混交のダイエット市場において、私が選んだのは糖質制限ダイエットだった。
ダイエットの王道とも称される糖質制限ダイエット。
小学校受験でいう「ひとりでとっくん365日」くらい定番だ。
やることは至ってシンプル。
食事メニューから糖質(炭水化物)を徹底的に抜く。
たったこれだけである。
糖質は1gあたり4kcalの熱量をもち、米やパン、麺類といった主食の主成分はこの糖質だ。
そのため糖質を制限するということは、主食の量を制限することを意味し、シンプルに総摂取カロリーが減るため痩せる。
僕の当時の食生活はというと、朝ご飯は当たり前のように2〜3杯のご飯をペロリと平らげるし、ランチだってラーメンやカレーは当たり前。
夜は夜で、取引先との会食や同僚との飲み会でビールを水のように流し込む。
そして帰宅後、家族が寝静まった深夜に、あろうことか韓国のインスタントラーメン「ブルダック炒め麺」を啜る。
あの暴力的な辛さと旨味、そして圧倒的な糖質の塊が、一日のストレスを麻痺させてくれるのだ。
そんなクソデブが、いきなり糖質制限に挑む。
これはもう、小学校受験において、昨日まで点図形すら書けなかった子が、いきなりクマ歩きでトップを目指すような暴挙に近い。
ちなみに、糖質制限ダイエットの対抗馬としては脂質制限ダイエットという、これまた「サクセスウォッチャーズ」くらいド定番のダイエット法があったのだが、炭水化物ダイエットよりも効果がでるのに時間がかかると聞いて止めた。
デブは基本的にせっかちだ。
明日には痩せていたいし、明後日には腹筋が割れていてほしい。
そんな強欲なデブである僕にとって、即効性のある糖質制限こそが唯一の希望だったのである。
さて、当時設定した1日の栄養素バランスは以下の通りだ。
タンパク質:160g (640kcal)
脂質: 100g(900kcal)
炭水化物: 20g (80kcal)
Googleなんかで調べると、一般的な糖質制限の場合、1日の糖質摂取量は70-120gに設定するのが一般的なようなのだが、当時の僕はそれを遥かに下回る20gで設定する益荒男っぷり。
HUNTER×HUNTERで「カンペキにかつ♧、だろ?」という精神を学んでいた僕は、ダイエットもカンペキに成功させたいという思いが強く、もはや栄養失調を引き起こしかねないような糖質摂取目標を立てていた。
当時の食生活は、大体のこんな感じ。
朝:茹でささみ
昼:(自宅の場合)糖質0麺+茹でささみ
(外食の場合)サラダチキン+SAVASのプロテインドリンク
夜:(自宅の場合)焼き魚、鶏胸肉ステーキ、糖質0麺
(外食の場合)いきなりステーキでワイルドステーキ450g
大戸屋でしまほっけの炭火焼き定食(白米抜き)
朝から晩まで徹底的に糖質を摂らないメニューだ。
多分一生分の肉を食べたんじゃないかってくらい肉ばっか食ってた。
肉ばっか食ってるとオナラがとんでもなく臭くなるので、娘からは「パパの後のトイレは嫌だ」と言われたレベルで肉の嵐。
こんだけ肉を食いまくっても、タンパク質目標の160gを1日で摂取するのはなかなかしんどい。
鶏胸肉一枚でも50g程度しか取れない。
そのため、足りないタンパク質に対しては、上のメニュー以外でプロテインを飲んでいた。
使っていたプロテインは、王道のゴールドスタンダード。
小学校受験でいう「ジュニアウォッチャーズ」くらいド定番のプロテインだ。
このプロテインはタンパク質含有量が8割弱と高く、1杯あたりで24gもタンパク質を摂取することができるため、目標たんぱく質量を摂りたい時に何杯もシェイカーに入れる手間がかからない。
そしてなにより味が美味しい。
フレーバーは数種類から選べるのだが、どれを選んでも美味いのだ。
特に「ダブルリッチチョコレート味」はとびきり美味しいのでオススメである。
プロテインは国産と外国産の2種類があるのだけど、国産の場合は味は美味しいけどたんぱく質含有率が低く煩わしい。一方で外国産の場合たんぱく質含有量は高いけど、味がめちゃめちゃ不味いのだ。
その点、ゴールドスタンダードはその両方を満たしており、価格こそ高いもののずっと常飲をしていた。
また、こうした生活を続けていると、もう我慢できないくらい、どうしても甘いものが食べたい、といった場面が出てくる。
最初のうちは、ヨーグルトにラカントをかけて食べたり、豆大福を半分だけ食べたりしていたのだが、それでも甘いもの欲求は収まらない。
なんとか低糖質で甘いものはないのかと、毎日のようにスーパーを物色して見つけたのが「QBB チーズデザート」だ。
この「QBB チーズデザート」だが、6ピースはいっており、1ピースあたりの糖質がなんと3.3gだ。

しかも味のバリエーションもめちゃめちゃたくさんあり、飽きることもない。

このQBBチーズデザートによって僕はなんとか辛い糖質制限を乗り越えられた。糖質制限ダイエットに励む世の中のブーデーにとって、この商品は処刑台の前で許された最後の一杯のワインのようなものだ。
ありがとうQBB。
これまでベビーチーズ以外で君の名前は知らなかった。
食事に関してはこんな感じだったのだが、「カンペキにかつ♧」ためには、もちろん運動も不可欠だ。
そのため、当時は食事制限に加え、だいたい3日に一度程度のランニングも行っていた。

実を言うと、私はランニングを心の底から憎んでいた。
この感情の根源は、僕の父という存在にある。
父は基本的に子育てに対して無関心そのものだった。
子供が何をしようが、どこで泥を啜っていようが「勝手にしろ」という枯淡の境地。
私がどこの大学に入るかさえ、入学金の振込用紙を突きつけられるその瞬間まで知らなかった男である。
ただスポーツだけは別だった。
「体力こそが人格形成の礎である」という、昭和の残滓のような思想に毒されていた父は、姉と僕を幼少期からスポーツという名の戦場へ送り込んだ。
幼稚園から始めたサッカーも、僕の意思など1ミリも介在せず、気づけば入団届が受理されていたという、ある種の拉致に近い状況だった。
何かおもちゃをねだれば「運動会のリレーで選手に選ばれること」という、幼児にはあまりに重すぎる制裁金のような条件を課される。
それを満たせなければ、サンタクロースすら素通りする無慈悲な家庭環境。
それくらい、脳細胞が全て筋肉で構成されたような教育方針を持っていたのが僕の父だったのだ。
そんな筋肉独裁政権下の最大最悪のイベントが、多摩川河川敷ランニングであった。
毎週日曜日、父は当時人気を博していたテレビ番組「ビートたけしのスーパージョッキー」を見終えると、当時まだ8歳の姉と5歳の僕を家から連れ出した、そのまま小田急線で登戸駅まで連行した。
登戸駅から5分程度歩くと多摩川の河川敷に着く。
週末ともなると、家族連れで賑わっており、当時は神奈川バーベキュー広場なんかもあったから河川敷は賑わっていた。
そんな楽しそうな様子には目をくれることもなく、父は姉と僕を二子玉川近くを通る国道246号まで走らされた。
距離にして8キロ。
繰り返しになるが、当時僕はまだ5歳。
5歳児に毎週8キロのランニングを課していたのだ。
数年前「はじめてのおつかい」で3歳児を8キロ歩かせて炎上したことが話題になっていたが、数十年前のうちの脳筋親父は同等かそれ以上の5歳児に8キロである。
当たり前だけど、めちゃめちゃにしんどかった。
辛すぎて、マジで咽び泣きながら走ってたのだ。
今振り返っても、ひどい思い出である。
当時仮にSNSなんかあったとしたら、父は秒速で特定され社会的に抹殺されていただろう。
幸いにも現在の父の趣味はYahoo!ニュースのコメント欄で敵と戦うことらしいので一旦はその心配はないものの、いつYoutubeで「体力は人間形成の礎ちゃんねる」とか開設しだしてもおかしくないので全力で見張っておかなければならない。
とにかくまあ、走るのが嫌で嫌でしょうがなかったのだ。
スーパージョッキーの熱湯風呂のコーナーで流れる「ダンス天国」とか今聴いても絶望が襲ってくる。
ある年の初詣で、姉と二人で「もう走らなくてよくなりますように」と願ったほどだ。その年マジで父が軽い交通事故を起こして走れなくなった時はドン引きしたけど。
そんな凄惨な記憶があるからこそ、大人になっても、たとえ娘から「歩くパンダ」と罵られようとも、私は走ることだけは拒絶し続けていたのだ。
そのため、ダイエットを始めてからもしばらくはランニングだけはしていなかったのだけど、ある日Kindle Unlimitedでたまたま読んだこの本が転機となった。
「走る奴なんて馬鹿だと思ってた」
まさに今の僕の心境をそのまま言葉にしたようなタイトルの本だ。
運動習慣がなかった著者がひょんなことから走り始め、最初は1km走るだけでも息が上がるレベルだったのが、だんだんとランニングの魅力に取り憑かれていき、最後にはフルマラソンを走り切る、と言った内容になっている。
著者はエッセイストの松久淳さんという方で、週刊誌で連載を持っているだけあって文章が面白くスラスラ読める。読書スピードが遅い僕でも半日で読めたレベルだ。
この本を読み終える頃には、元々ランニング嫌いの人がのめり込むくらいの魅力とは一体なんなのかという興味が湧きだし、また著者に比べると自分はまだ運動習慣がある方だったので「俺の方がやれそう」という前向きな気持ちにもなって、気づいたらランニングをしていた。
同著の場合、本格的なランニンググッズを導入しだしたのは後半の方だったが、不退転の覚悟で望んていた僕は迷わず、アディダスのフラッグシップモデルである超高価格帯のランシューを、震える指で注文した。
そら、最初のうちはきつかった。
走る時間にしてだいたい約1時間。
その間、疲れるのはもちろんだけど、襲いくる空腹にも耐える必要があるのだ。実際、常にブルダック炒め麺を思い浮かべながら走ってた。
ただ、そんなきつさにも1ヶ月もすると慣れてくる。
慣れてきさえすれば、こっちのもんだ。
本の中でも紹介されていたが、ランニングが趣味になるとありとあらゆる場所を走り回るので、いつも通っている道で新たな発見があったり、知らない街を訪れたりと新鮮で楽しかった。
また、ランニング中は「TSUBASA通信教室」のYoutubeを垂れ流し、走りながらも小学校受験の情報収集を行なっていた。
想定以上にランニングには、のめり込んだ。
そのため、今でもランニング続けてるし、たまに妻と娘で一緒に走ったりすることもあるくらいだ。
娘に交通事故を祈られないように気をつけながら走ることを楽しんでいる。
※少し脱線するが、ランニングしながら音楽を聞くなら、AirpodsなどのBluetoothイヤホンだと耳が蒸れるので、Shokzのようなオープン型のイヤホンがおすすめだ。
さて、そんな糖質制限×ランニング生活を3ヶ月も送っているとだんだんと効果が見え出した。
以下は当時使っていたあすけんという食事管理アプリの体重・体脂肪率推移グラフだ。

3ヶ月で-7.2kg、体脂肪率は-3.2%とまずまずの結果。
このままいけば、面接本番までには標準体重も十分狙えるペースだ。
振り返ってみると、開始から1ヶ月は、糖質を摂らなかったことにより体内の水分量が減ったのか、ぐんぐんと体重は落ちていった。
ただ、そこから大体1.5ヶ月は停滞期だった。
いくら修行僧のような暮らしを続けども、一向に体重も体脂肪率も落ちない。
この時は非常にしんどかったのだけれど、それでもチートデイなど一切入れずに同じ生活を続けていると、6月の初旬くらいからグングン体重も体脂肪率も落ちていった。
どこかの駅前の塾の広告に、相撲取りの汗が飛んできそうな荒々しい字体で「継続は力なり」と書いてあった気がするが、あの言葉は真実だった。
勉強も、ダイエットも、そしておそらくお受験も、本質は「報われない時期を、いかに耐え抜くか」という一点に集約されるのである。
その後も、糖質制限×ランニングダイエットは継続しつつ


さらに追い討ちもかけるように、筋トレとかも始めちゃって

面接が始まる10月中頃には、体重-14.3kg、体脂肪率は-6.3%を達成した

体重計が69.0kgという数字を表示した瞬間、私は危うくその場で膝をついて泣きそうになった。
70kgの大台を割るなど、大学生の頃、それこそ何も考えずにサッカーボールだけを追いかけていたあの黄金時代以来だ。
十数年ぶりの60kg代復帰である。
変化は数値だけにとどまらなかった。
夜な夜な、妻の安眠を妨害し、まるで魔物の咆哮のように家中に響き渡っていた私のいびきが、ピタリと止まったのだ。
どうやら、首周りの贅肉で車線封鎖をしていた気道が、一連のダイエットのおかげで無事開通したおかげで、いびきが起こりづらくなったらしい。
ただでさえ本番を数ヶ月後に控え、家庭内がピリピリしていた時期だ。
いびきがなくなるだけでも、家庭的にはだいぶプラスになったのだ。
さらに、私の身体を蝕んでいた内なる数値も劇的に改善した。
去年までの健康診断で、私の体重関連の項目には、まるで見せしめのように真っ赤な警告マークが並び立てられていた。
それが今や、ワンピースでいうところの「凪の帯(カームベルト)」のように、何の波風も立たない平穏な正常値へと変貌を遂げていたのである。
また、地味に嬉しかったのが「若返った」と色々な人から言われたことだ。
以前の私は、不摂生の極致として、顔面は常に油田のように脂ぎり、毛穴という毛穴が開ききって、そこから負のオーラを噴出させていた。
それが、健康的な生活という名の浄化作業によって、肌のキメが整い、人間としての清潔感を取り戻してしまったらしい。
これまで老け顔と言われることが多かったのでこれは嬉しかった。
一方で、デメリットもあった。
それはスーツが全てダボダボになったことだ。
別記事で本番用に伊勢丹でスーツを買ったと説明したが、伊勢丹で買ったクソ高いスーツのズボンがだいぶオーバーサイズになってしまった。
記事内でも言及したとおり、小学校受験用のスーツはただでさえオーバーサイズ寄りだ。
それなのに、そこから痩せてしまったら、そりゃあもうベルトなしではB-BOYも真っ青の腰パン状態になってしまう。
これにはさすがに、スーツの直しを依頼しようと思ったが、ベルトを限界まで締め上げることでなんとかギリギリ及第点レベルの着こなしができたので、結局直さずに本番を迎えることとした。
本番を終えて
かくして、得体の知れない都市伝説に端を発したダイエットは、なんとか本番の面接という審判の日までには結果をだすことができた。
かつて僕の腹部を不法占拠していた脂肪という名の違法建築物は、徹底した糖質排除とランニングによって撤去され、そこにはかつて失われたはずの人間としての輪郭が、頼りなくも確かに再建されていたのである。
受験体験記でも触れている通り、娘の小学校受験そのものは、奇跡的とも言える勝利で幕を閉じている。
しかし、この三ヶ月に及ぶ地獄のダイエットが、合否という天秤をどれほど動かしたのかについては、今もって宇宙の真理の中に隠されたままである。
正直に言って、面接官が私のシュッとした顎のラインを見て「(ほう、このお父親は管理能力が高いな)」などと感銘を受けたとは到底思えない。
おそらく、外見の良し悪しなど合否の決定打にはなり得ないのだ。
ただ、一つだけ確かなことがある。
それは、小学校受験という名の巨大な怪物を前にして「娘のためなら、大好きな炭水化物をかなぐり捨て、深夜の街を血を吐きながら走り、己の肉体すら作り変えてみせる」という、あの常軌を逸した執念、あるいは手段を選ばない狂気のようなものが、面接の受け答えや、醸し出す雰囲気の端々に、隠し味のように染み出していたのではないか、ということだ。
それは見た目という表面的な話ではなく、目的のために全てをなげうつ覚悟を持った「執念の結実」としての姿だったのかもしれない。
もし、この文章を読んでいるブーデーなパパさんが、今まさにお受験という迷宮の前で立ち尽くしているのなら、僕はこう言いたい。
何も、小学校受験に勝つために痩せる必要はない。
ただ、小学校受験という一生に一度の狂気的なイベントを、自分を変えるための唯一無二のきっかけにしてしまえばいいのではないか、と。
冒頭で紹介したあの毒舌医師の言葉は、あまりに尖ってはいるが、その芯にある不健康への警告だけは、残酷なまでに正しい。
せっかく娘が第一志望の門をくぐり、希望に満ちた新生活を始めたとしても、当の父親が不摂生の極みで血管を詰まらせ、あえなくリタイアしてしまっては元も子もない。
娘の制服姿を横目に、早すぎる仏壇の主になってしまうなど、これほど悲しい喜劇はないだろう。
我々のような父親は、せめて娘が成人するその日まで、粘り強く、しぶとく生き延びる義務があるのだ。
さて、その後の顛末についてだが、読者の皆様の予想を裏切ることなく、僕はリバウンドした。

受験という名の、あのあまりに長く、あまりに暗い緊張の糸がプツリと切れたその瞬間、僕の脳内では糖質制限からの解放が宣言され、あらゆる炭水化物を音速で吸収し始めたのだ。
小学校受験が終わった安堵感とともに、私の体重計の数値もまた、再び成層圏を目指して上昇気流に乗り始めた。
とはいえ、私もかつての「なすがままに太り続ける無策なパンダ」ではない。
このままでは元通りになってしまうとしっかり危機感を持ち、二日おきに10キロを疾走する旧日本軍のような習慣を取り戻したところ、すんなりと4.7kg落ちた。
私の身体は、今やかつての一度サビついたら二度と動かないポンコツではなく、手入れをすれば即座に応えてくれる、そこそこ感度のいいマシーンへとアップデートされているらしい。

現在の私は、なんとか当時の体型をギリギリのところで死守している。
私の次の目標は、もうすぐやってくる、入学式の朝だ。
娘が真新しい制服の袖に腕を通し、私がサイズを直したあの細身のスーツを纏う、入学式という名の祝祭。
桜の花びらが舞い散る木の下で、私は娘の隣に立ち、誰に聞かせるでもなく、誇らしげにこう呟きたいのだ。
「パパも、お前と一緒に、必死に頑張ったんだよ」と。
その記念写真の中に、再び「巨大なパンダ」が紛れ込んでいないことを、そして私の腹肉がスーツのボタンを弾き飛ばしていないことを、私は切に、それこそ神に祈るような敬虔な気持ちで、今日もまた鶏のささみを咀嚼しているのだ。
※小学校受験伴走の煩わしいスケジュール作成や進捗管理を代行支援するサービスを始めました!願書下書きデータ作成代行やオンライン面接準備ご支援も承ります!
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