小学校受験におすすめのパワースポット3選
今、あなたはおそらく限界に達している。
だって、こんなスピリチュアル丸出しの記事にたどり着いてしまったんだから多分そうだ。
なんだよ小学校受験におすすめのパワースポットって。
ただ気持ちもわかる。
我が子を「お受験」という名の、幼児期におけるもっとも過酷で、もっとも濃密な人間形成の場へと放り込み、親としてもそのフォローに日々汗水を垂らしているのだから、そりゃあ限界にだって達する。
毎週末、ジャックだのスイングだのという、名前だけ聞けばオシャレなカフェか何かと見紛うような修行場に足を運び、我が子が一生懸命クマ歩きをする背中に、あまりにも熱すぎる眼差しを注いでいるはずだ。
季節の草花を覚え、積み木を数え、挙句の果てには「お友達が困っていたらどうしますか?」という、大人でも見て見ぬふりをするのが処世術とされる難問に、愛する我が子を立ち向かわせる。
貴方の努力は、もはや「教育」という枠を超え、一種の「執念」の域に達している。
ただそんな執念を持って、どんなにペーパーを回しても、どんなに面接で「ご家庭の教育方針は?」という問いに完璧な回答を用意しても、最後は「運」という名の制御不能な乱数によって結果が左右してしまう。
ならば、我々がなすべきことは一つだ。
そう、神頼みだ。
今回、神頼みをする上でおすすめのパワースポットを3つほど選定した。
「うちの子はもうこれ以上仕上がらへん!あとは”神のみぞ知る”や!」
とか思い始めたら是非参考にして頂きたい。
1. 湯島天満宮(文京区)
言わずと知れた学問の神様、菅原道真公を祀る聖地だ。
ここは世の中の合格を願う者たちが最後に行き着く終着駅として、あまりにも名高い。
ここで我々が注目すべきは、道真公の神徳ではない。
境内の一角に鎮座する「撫で牛」だ。
本来、この牛は自分の体の悪いところと同じ部分を撫でることで、病を癒やすという慈愛に満ちた存在だ。
しかし、受験という修羅の道に身を投じた者たちにとって、そんな解釈は甘い。彼らが牛を撫でる時、そこにあるのは癒やしなどではなく、熾烈なまでの執念だ。
湯島天神に行った時、牛の頭をよく見てほしい。
鏡面のような輝きに惚れ惚れするだろう。
ただ、その時思い出して欲しい。
この輝きは合格を願う受験生たちの執念による輝きであるということを。
「人生がかかっているんだから合格させろ」「微分方程式だけは出すな」という、脅迫にも似た執念の摩擦熱によって、物理的に研磨されたのだ。
鏡面のような輝きは、数多の受験生の狂気が生んだ鏡面仕上げである。
そして、その輝きの中に映り込むのは、必死な形相で牛を磨き上げている、見覚えのある自分自身の顔だ。
そのあまりの形相に、「あ、私はいま、何をしているんだろうか」と、ふと我に返る瞬間が訪れる。その一瞬の静寂こそが、お受験という狂乱の中で我々がもっとも必要としている「客観性」なのだ。
ヒートアップしすぎた家庭学習の熱を、牛の冷たい背中で冷やす。
狂気の中に自分を見つけ、正気に戻る。
そういった意味でも、湯島天神は聖地としての役割を完璧に果たしているのである。
しかし道真公も、まさか自分の使いが「病を癒やす聖獣」から、「受験生の不安を削り出すバフ研磨機」へと、一方的に職種転換させられているとは夢にも思っていなかっただろう。

2. 深大寺(調布市)
次にご紹介するのは調布にある深大寺だ。
都心から離れ、閑静な自然の地にあるここが、なぜ小学校受験におけるおすすめパワースポットなのか。
それはここが「厄除け」の元三大師を祀る場所だからだ。
小学校受験における「厄」とは何か。それは不運ではない。
我が子の予測不能な暴走だ。
面接練習の最中に突然「パパは昨日ビールを飲んでママに怒られていました」と家庭の機密情報をリークしてしまった、あの恐怖。
行動観察の授業で積み木を崩した瞬間に、精神が崩壊して教室の隅で体育座りを始めてしまった、あの絶望。
普段の練習では100点満点の仕上がりを見せる我が子が、本番という名の魔物に魅入られ、未踏の挙動を見せる。
それこそがお受験界における最大の「厄」なのだ。
ここは、深大寺の「元三大師の守護」によって、親子を襲う不運をしっかり厄除けしてもらおう。
また、機会があれば深大寺の「護摩祈願」の炎も是非見てほしい。
あの火柱は、仏の慈悲を乞うためのものではない。
図形問題が解けない我が子に対して、この世のものとは思えない低音で追い詰めた暗黒の自分を焼き殺すための処刑場だ。
必死すぎるがあまり、冷静さを欠いてしまい、同じ問題に苦しむ我が子を叱りすぎてしまったことはないだろうか。
「このままじゃどこにも受からないよ!」という、本来は自分自身に向けられるべき不安を、無垢な5歳児の背中に叩きつけてしまった、最低最悪な夜の記憶はないだろうか。
護摩祈願の炎をじっと見つめていると、不思議なことに「あれは私ではなく、悪い霊の仕業だった」という妖怪ウォッチさながらの強引な納得が降りてくる。
「あんなに激しく燃えたんだから、もう悪霊は死んだ」。
そんな、自分に都合のいい解釈を脳内にインストールし、明日からは気をつけようと思いながら参道を歩き出す。
この、過去の自分の恥部を灰にし、心を入れ替えるプロセスこそが、深大寺が我々に与えてくれる最強の救済なのだ。

あ、あと深大寺はそばも有名だからおすすめだよ。
(湧水は並ぶので参拝前に名前書いておくと良いよ!)
3. 皆中稲荷神社(新宿区)
新大久保の喧騒に突如として現れる「皆中(みなあたる)」の聖地。
もともとは鉄砲組が「百発百中」を願った場所だが、現代において、その銃口の先にあるのは標的ではない。
「合格という名の、細すぎるクモの糸」だ。
小学校受験は、実力のぶつかり合いだけではない。
「たまたま我が子の得意な問題が出たか」「たまたま面接官の機嫌が良かったか」という、天文学的な確率の交差点に滑り込めるかも勝負を決める要因だ。
ここでは、絵馬を見てほしい。
もはやそこにあるのは「祈り」ではない。「ロックオン」だ。
絵馬にかかれた「第一志望、射抜く!」といった力強い言葉には、ターゲットを確実に仕留めようとする、スナイパーのような冷徹な狂気が宿っている。
ここで貴方がなすべきことは、お守りを買うことではない。
「うちの子は、この倍率20倍の壁に、目隠しをしてダーツを投げるような状態で挑もうとしている」という事実を再認識し、あまりの無謀さに笑い飛ばすことだ。
「当たればラッキー、外れればそれは弾切れだ」という、ある種の兵士のような潔さを手に入れた時、貴方の顔から「お受験ママ・パパ特有の、あの張り付いたような笑顔」が消え、真に無敵な人間へと進化できるのだ。

科学的根拠、 エビデンス、そんなものは合格した奴らが、後から自分を正当化するために使う言葉に過ぎない。
数百万の受講料、週末を捧げた模試、そして家庭内の冷え切った空気。
それらすべてを背負って戦う我々に残された最後の一手は、更なる夏期講習の申し込みでもとってつけた様な田植え体験でもない。
自分はやるだけのことはやったという、精神の安定を神に買い取ってもらう行為だ。
さぁ、今すぐ紺色のコートを羽織ってでかけよう。
多分いいことあるぞ。多分。
※以下、パワースポットに頼りだす前に読んでいただきたい実践的記事
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