新渡戸稲造が武士道を書いたのは、病気で長く静養中であったころであった。それはいつか。また、どの様な病気か
新渡戸稲造が名著『武士道』を執筆したのは1898年(明治31年)から1899年(明治32年)にかけてのことで、当時の病名は「脳神経症(神経衰弱)」でした。
詳しい時期や病状の背景は以下の通りです。
執筆された時期
過労による休職:1897年(明治30年)、札幌農学校の教授職や寄宿舎の舎監などの激務が重なり、体調を崩しました。
国内外での療養:国内の鎌倉や伊香保温泉で静養したのち、1898年に学校を辞職してアメリカのカリフォルニア州へ転地療養に出かけました。
『武士道』の誕生:1898年からカリフォルニアの静養先で執筆(妻の友人であるアナ・ハーツホンの口述筆記協力を得る)が行われ、1899年(明治32年)にアメリカのフィラデルフィアで『Bushido: The Soul of Japan』として出版されました。 [1, 2, 3, 4, 5]
どのような病気だったのか
病名:脳神経症(現代でいう重度の過労、神経衰弱、またはうつ状態に近いもの)
病状:一時は仕事がまったく不可能になるほど症状が重く、医師から「治療に専念しなければ命に関わる」と警告されるほどの深刻な状態でした。
この長期にわたる静養期間が、皮肉にも彼に机に向かう時間を与え、世界的な名著を生み出すきっかけとなりました。
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