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#9 長病いのため、家で静養中に、家庭の談話で私の妻に与えた答を整理して、今公衆に提供する

#9  Taking advantage of enforced idleness on account of long illness, I put down in the order now presented to the public some of the answers given in our household conversation.

私の訳:長病いのため、止むを得ず無為の日を送っていることを利用して、家庭の談話で私の妻に与えた答を整理して、今公衆に提供する。

矢内原 訳:長病ひの爲め止むを得ず無爲の日を送って居るを幸ひ、家庭の談話で私の妻に与へた答を整理して、今公衆に提供する。

櫻井 訳:予の病痾久しく愈えず、爲に疎懶日を銷するの止むを得 ざるを機とし、曾て多次家庭の談話に於て與へたる答解を記述したるもの、即ち此書の骨子を成し、其據る所は主として、封建思想の猶 ほ旺盛なりし時、予が少年の日に當りて示敎を受けたるものに係る。


疎懶(そらん):民、疎懶の情を懐けば、七歳蝗損に遇う
「たみ、そらんのじょうをいだけば、しっせいこうそんにあう」

人々が怠けて働かなくなると、天罰によって七年間、虫害で作物を荒らされることになる、ということ




新渡戸稲造が名著『武士道』を執筆したのは1898年(明治31年)から1899年(明治32年)にかけてのことで、当時の病名は「脳神経症(神経衰弱)」でした。 [1, 2, 3, 4]
 詳しい時期や病状の背景は以下の通りです。

執筆された時期

  • 過労による休職:1897年(明治30年)、札幌農学校の教授職や寄宿舎の舎監などの激務が重なり、体調を崩しました。

  • 国内外での療養:国内の鎌倉や伊香保温泉で静養したのち、1898年に学校を辞職してアメリカのカリフォルニア州へ転地療養に出かけました。

  • 『武士道』の誕生:1898年からカリフォルニアの静養先で執筆(妻の友人であるアナ・ハーツホンの口述筆記協力を得る)が行われ、1899年(明治32年)にアメリカのフィラデルフィアで『Bushido: The Soul of Japan』として出版されました。 [1, 2, 3, 4, 5]

どのような病気だったのか

  • 病名脳神経症(現代でいう重度の過労、神経衰弱、またはうつ状態に近いもの)

  • 病状:一時は仕事がまったく不可能になるほど症状が重く、医師から「治療に専念しなければ命に関わる」と警告されるほどの深刻な状態でした。

この長期にわたる静養期間が、皮肉にも彼に机に向かう時間を与え、世界的な名著を生み出すきっかけとなりました。





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橋本 このたびはご評価をいただきありがとございます。また、チップまで下さるとは私にとって大変な喜びです。さらに英文訓読の役を進め、アップさせていきたいと思います。