【短編】再出発 No.02
一つ前の話
わがまま
結婚後、幸せな時間を二人は過ごしていた。日々お互いの笑顔を見ることが何よりも幸せだった。そんな日が続き、しばらく経ってから裕一と智美との間に待望の赤ちゃんができた。しかし、元々病弱の智美の体は子供を育むのには華奢すぎた。ひどいつわりに悩まされると、ほとんど口からの食事ができなくなった。普段でさえも細い体が妊娠しているというのに日に日に痩せ細っていったのだった。なんとか点滴で栄養補給を継続していたが、衰弱していく体は元通りにはならなかった。毎日点滴をしていても食べることのできない体は、体重は増えるどころか維持すらできず、お腹の赤ちゃんに栄養を取られ減少しているのが現実だった。これでは赤ちゃんもまともに育つことはできないだろうと裕一も薄々は感じていた。裕一は毎日病院に通い励まし続けたが、担当医からは、母親か子供のどちらかを選択しても助かる可能性は低いが、わずかな可能性に賭けてみませんかと迫られていた。裕一は悩み抜いて智美の枕元で懇願しようとした。「子供を堕ろそう」と裕一の口が動くのを智美は察していたかのように遮った。そして言った。
「私頑張ってみせる。だってあなたと私の赤ちゃんだもの、私はお母さんになるんだから。絶対この子を守ってみせるわ。私には家族がいなかったのよ。だからこの命は何とか守りたいの。だからこのままでいさせて。お医者さんからあぶないって言われたんでしょう。でもこの子がいなくなるんだったら私の存在だって意味ないから。あなたには心配かけて申し訳ないと思ってるけど、私にとっては、たった一度のチャンスなの。ね、解って。わがままだってことも解ってるわ」
裕一はそれ以上智美に言葉をかけることができなかった。裕一にしてみれば、まだ見ぬ赤ちゃんより、一緒に生活をしている智美の命を何としても救いたいと思っていたのだ。しかし、担当医からは、母子ともに助かる可能性は奇跡でも起きない限りありえないとまで言われてしまっていたのである。
裕一は何もできない自分の無力さを悔いると同時にどこかで奇跡が起きてくれることを望んだ。しかし、そんな時間を過ごすことが辛くて、いつしかそのまま場末の酒場へと知らず知らずに足を運んでしまっていたのだ。一人で飲む酒が喉元を過ぎて胃に沁みた。酔いが思考力を弱めてくれる。それだけを期待し、一人で過ごす夜を避けたい気持ちで酒場に向かってしまった。少し前までは、智美が目の前にいる明るい家の中で、決まりの晩酌を裕一は楽しんでいた。そしていつも最後は「これで最後よ。飲み過ぎはいけないからね」と智美に諭されることに嬉しさを感じていた毎日だった。裕一は、誰も止めてくれる人がいない酒場で遅くまで飲んで酔ってから暗い部屋へと帰っていった。翌日は酒が残っている頭を抱えて仕事に行き、帰りに病院に寄っていくという生活パターンが定着し始めた頃、担当医から最後通告を受けた。
つづく
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