見出し画像

コンプレックスとライフワークがつながるとき【自分語り第3章】

本記事をご覧いただきありがとうございます。
ここまで到達してくださるなんて稀有なお方ですね、心より感謝申し上げます。
自分語り第3章。2025年4月現在を記してますので、一旦これが最終章です。
第1章、第2章をお読みでない方はぜひそちらからご覧ください☟

今回(第3章)は、あころ こと、天野亜弥子が、悩み抜いた末に、
限られたスキルで歩み始め、ライフワークにつなげていく物語です。
歩んだ過程と現在についてお話ししたいと思います。
前回同様、『レ・ミゼラブル』書き出し風プロローグをご用意しました。
ふざけるつもりは全然無いんですけど、そういう風にしか振舞えないあころの不器用さも愛してもらえれば、これ幸いです。


プロローグ

あころが手にしているのは、心もとないコーチングスキルと、体型コンプレックスを克服したという事実だけ。
それだけでは、この冷たい世界を生き抜くにはあまりにも頼りない。
だが、彼女には使命があった——海洋プラスチックごみを減らし、未来の子供たちにきれいな海を残すこと。
周囲に無理だといわれても、彼女は前に進もうと決意していた。
しかし、その行く手には、予想だにしていない息子の病という壁が立ちはだかる。
あころにとって、家族は何より大切なもの。家族の幸せを守るためならば、使命だ何だとは言ってられなかった。
果たして、あころはこの運命を乗り越えられるのか?
彼女の旅路は、今まさに始まろうとしていた。

息子の病と自責の念

恩人たちのおかげでダイエットコーチングを提供する準備が整いつつあった。ワーママとして働く傍ら、3か月の伴走型ダイエットコーチング。
初回モニターは2名で始める予定だったが、ありがたいことに5名集まった。
職場では、その時期大きなプロジェクトが動いていた。取り纏め役だったため、とても忙しかった。在宅勤務であることをいいことに、業務を進めたい一心で夜中に仕事することもあった。

ちょうどその頃、1歳の息子が高熱を出し、病院に連れて行ったものの2度とも原因がわからなかった。高熱は続いていたが、下がることもあり、食欲もあったので甘く見ていた。息子がツラそうに寝ている横で仕事を続けた。
3度目には大学病院で診てもらうことになったが、そこからさらに転院。
成育医療研究センターに運ばれ、長期入院することになってしまった。

「何よりも大切な我が子が、高熱で寝込んでいたというのに、自分は仕事なんかして、何をやっていたのだ。別の小児科に行っていればもっと早く気づけたんじゃないか」自分を責めた。
思い返すと、今も苦しい。こんな働き方をしていてはいけない。そう思った。
滑稽なことに、会社から深夜残業をしてほしいなんて言われてなかった。
私より優秀で真面目な人が多く、周りに迷惑をかけたくなかった。チームとして自己犠牲を払いながら仕事をしていた。働き方がおかしいと感じつつ、評価を下げたくなかった。

初めてのダイエットコーチングは、会社を休業していたこともあり、なんとか進められていた。息子の病以外を考えられる時間、誰かのために割く時間は私の心のバランスを保ってくれた。

幸い息子は驚異的な回復力を見せてくれ、無事退院できた。
二度とこんな経験はしたくない。この時、家族至上主義を貫こうと決めた。
そして、始めたばかりの私の取り組みに、時間を差し出してくれ、取り組んで下さるモニターの方々に感謝だった。

黙殺していたライフワーク

初のダイエットコーチングは、一定の成果は得られていた。
・体重が5か月で9.6kg 減った。
・20年超の頑固な便秘が解消した。
・運動習慣が身についた。
・中性脂肪が異常から正常範囲内になった。
・体重が3か月で2kg減った…等
モニター様の努力の賜物だが、科学的根拠に基づくダイエット法に、モチベーションや目標管理の側面を持つ、ダイエットコーチングは良い組み合わせだと思っていた。しかし、あころは気になっている部分があった。
ライフワークに手が付けられていない。
あころは、海洋プラスチックごみを削減させる活動をする!という使命感を持っていた。
きっかけは、国立科学博物館で、前述の息子と共に目撃した、クジラの胃から取り出された大量のプラゴミに衝撃を受けたこと。
なんと2050年には海のプラゴミが海の生き物の質量を超えるという試算があるらしい。
鹿児島の海から徒歩2分の地で生まれ育った私は、海が汚れている事実を知り、身が切られる思いがした。しかし、海洋汚染を止めるなんて、壮大すぎて私にできるはずがない。「あなたはアンジェリーナ・ジョリーじゃないんだから、社会貢献なんてまだまだ先のこと」ある人にそう言われ、妙に納得してしまっていた。

恩人再び

日々悶々と、「海洋汚染とダイエットはどうやったらつながるんだー」と頭を抱えていたところ…
「プラ製品を減らしてダイエットというのはどう?名付けて脱プラダイエットだ!」ナイス夫!神のお導きか。
「めっちゃいいじゃーん!!」と乗っかるあころ。
そのアイディアを第2章でも登場した恩人、FPよーこさんに話してみると…「それ、いいと思う!!」このお言葉にまたしても背中を押され、商標登録出願完了。
脱プラダイエット誕生の瞬間だった。

陰キャのくせにコミュ運営

FPよーこさんは脱プラダイエット0期メンバーとしてモニターに入ってくださり、4か月で-6kgという驚異の成果を挙げてくださった。
しかも、「膝の痛みまで克服した」、「身体の不調からくる仕事への不安がなくなった」、「体力がついてみなぎる自信につながった」と脱プラダイエットを宣伝してくださった。
よーこさんが、スタンドFMで連日話してくださったり、ゼロトレ部という団体での登壇も推薦してくださったりして、徐々に第1期脱プラダイエットメンバーが集まってきた。
スタエフ仲間のぴーろこちゃんや、おいのっこりーさん、おだねこさん、前述のミヤビさん等々そうそうたるメンバーが、入隊を表明してくださり、しかも別のメンバーを呼んでくださるありがたすぎる連鎖。

陰キャなはずの私がついにダイエットコミュニティを運営するまでに至った。。。まぎれもない奇跡✨

続々と上がる成果に歓喜

陰キャあころ故に、コミュニティ運営を自らではなく皆にゆだねるという、お粗末な事態が正直なところあった。
にも関わらず第1期脱プラダイエットメンバーは、着々と成果を挙げてくださった!
・忙しいワーママが半年で-8kg。
・周りに「痩せたね、どうやったの」と、ほめられてうれしい。
・ダイエットに本気で向き合い、時間リッチと長年の体重の壁を崩せた。
・疲れやすく頭痛持ちだったのに、体力がついて頭痛も消えた。
・15年前の高額エステで無理して痩せた時の体重まで戻せた。
・1年で12kg痩せてからストレスなくリバウンドもなし。
・コンビニスイーツ習慣を絶てた。
・野菜とタンパク質と日々の運動に対する意識が変わった。
・夫と一緒にHiitに取り組み、夫婦で運動習慣がついた。
・「上半身貧相」と言われていたのが、「一番いい身体になってきた」と夫さんに褒められた♡
・家族で脱プラの意識が芽生え、選ぶモノが変わってきた…等々。

そして、近々この各々取り組んだ日々を称えあおうと、リアルイベントとオンラインイベント・成果発表会を控えている。感涙。

大海原へ

息子が入院していた頃は、こんな未来につながっているなんて思いもしなかった。
今回は私自身の成長の物語を書けるかなとおもったけど、やっぱり人に助けられて進んでいった。
「脱プラダイエット」の看板を背負う張本人が、「脱プラダイエット」を考案していないことや、メンバー任せのコミュニティ運営は、さすがにちょっと不甲斐ない。でも、これが真実。この情けなさを笑い飛ばして、進んでいこう。
長年のコンプレックスとライフワークが重なる場所。
人の手を借りまくりながらでも、探し出せたなんて幸せそのものじゃないか。これからも皆に助けられながらあがいてゆくだろう。(完)

感謝!インタビュー記事

(番外編)脱プラダイエットの第1期に参加してくださったゆうこさんがあころにインタビューしてくださった記事はこちらです!
参加してくださった方からはこんな風に見てもらっていたんだな~
感謝しかないです!


いいなと思ったら応援しよう!