ずっと悩んできた。誇れるものは何もなかった。【自分語り第1章】
今は昔、あころといふものありけり。
鹿児島にまじりて周りの目を気にしつつ、よろづのことに悩みけり。
名をば、天野亜弥子となむいひける。
はい、我ながら斬新な書き出し。その名も照れ隠し古文。
自分語り始めちゃってます。
今回は、あころ こと、天野亜弥子が、穴を掘ってでも入りたい恥ずかしい過去についてお話ししたいと思います。
プロローグ
あころは、42年前に鹿児島で生まれ育った。
彼女は思春期の頃から体型や容姿にずっと悩んできた。
自信がなく、卑屈で、常に悩みが頭の中を占拠していた。
でも、何者かになりたかった。「すごい!」と誰かに言われたかった。
その割に、全然動かない。他人をうらやむばかりで、言い訳ばかり。
そう、最大の敵は自分自身だった。
卑屈期:13歳~38歳。長っ…(;'∀')
卑屈期の始まりは中学生。
中学受験でミラクルラッキーが起こり、志望校に入れたものの、周りは優秀な人ばかり。
小学校では優秀な部類(のつもり)だったので、成績が落ちること、伸びないことに内心焦りまくるあころ少女。
小学生時代は気にも留めてこなかった、体型や容姿が気になり始める。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、成績の悩みは別の悩みも呼びよせた。
体型。容姿。
親友と自分を比べ悩む
中学校で一番最初に仲良くなった親友は、学年トップレベルに可愛くスタイルも抜群。
”好きな人の好きな人が親友”という、少女漫画にありがちな悲しい現実。
「あの子に比べて私なんて…。」卑屈人生の始まり始まり。
ちなみに、親友は決して悪くない。彼女は顔だけでなく、性格もとびきり素敵。私が勝手に自分で自分を追い込んでいた。
続いて年中在籍するニキビに悩む
当時の私は、様々な悩みが頭の大半を占拠していた。
当時流行った脳内メーカー。正しい結果を映し出したなら「悩」これで埋め尽くされていたこと間違いなし。
そんな具合なので、勉強に身が入るわけもなし。
何かに夢中になることも、没頭することもなし。
やがて、顔面のニキビにも悩まされることとなる。
”青春のシンボル”なんて美しい表現は、私にとっては残酷でしかなかった。
鏡を見るたび、肌に触れるたび、誰かの目線が私に向かうたび、
残酷なまでに自分の価値を下げた。
当時はおそらく『自己肯定感』という言葉も知らなかったけど、
それを徹底的に下げ、自嘲的な笑みが得意になっていた。
頭の悪さで悩む
漫然と過ごした延長線上に、入れそうな高校を受験し入学。
両親や親せきより偏差値レベルの低い学校に入学したことで、
卑屈度が増してゆく。
「遺伝子的には優秀なはずなのに私は頭が悪い。」
両親はとても優しく、愛情たっぷりに育ててくれていたため、
卑屈な気持ちは隠していた。
その気持ちが表に出たら、両親は手放しで私をほめるとわかっていた。
だから、気づかれたくなかった。まさに腫れ物。
そのことについて、誰にも触れられたくなかった。
自分で自分のことは卑下する癖に、周りから、面と向かって評価されることを極度に怖がっていた。
現実逃避の日々
そんな鬱屈とした状況下でも、不思議と人間関係にはとても恵まれていた。いじめたり、いじめられたりということは一切なかったし、友達も先生も大好きだった。
クラス替えの度に最高の友達に出会い、何だかんだで楽しい学生時代を過ごした。
卑屈な気持ちは相手を困惑させるとわかっていたので、心の奥底に隠していた。毎日、友達とゲラゲラ笑いながら、現実逃避していた。
大学受験も挫折。自分を認められない日々
そして、近づく大学受験。
大好きな祖父が薬局を営んでおり、母も薬剤師だったため、私も薬剤師になるものだと思っていた。大好きな家族が喜んでくれるという思いが根底にあったと今では思う。
鹿児島県には薬学部がないので、必然的に家を離れることに。
当時、父が国立大学の教授だったこともあり、国立大学の薬学部に進むのが私の道だと無意識に決めていた。
現役で国立大学の薬学部に入れるような頭の良さはもちろんなく、入る気が一切ない別の学部の国公立大に願書を出し、合格通知だけもらい、浪人を選択。
「私は現役で国公立に合格した」というステータスの為だけに受験するというなんとも痛々しい有様。
プライドだけ高く、行動が伴わないため、浪人したところで合格圏内に食い込めず。国公立から私立の薬学部に志望校を変えても、自分の状況を冷静に把握せず難関私立の薬学部だけを狙う愚かさ。
軒並み不合格通知が届き、補欠合格も順番が回ってこず、お先真っ暗。
「二浪は嫌だ…」と受験シーズン終了間際でも受験できた農学部系に滑り込み入学。
入学当初から他大に編入するつもりで、新しくできた友達には浪人したことを隠していた。うう…思い出すだけで苦しい…
体型コンプレックスまで追加
紆余曲折しているうちに、あれよあれよと体型コンプレックスまで追加。
思い返すと、高校生では、友達と学校帰りにKFCやミスド等楽しんだ後、家でもしっかり頂き、着々とぽっちゃり化。
浪人していた福岡県小倉では、学業ではなくパフェに目覚め、やせたいといってるそばからチョコをほおばる思考が形成完了。
仕送りをもらいながらの優雅な大学生活では、テニスサークル仲間とガストに入り浸り、デフォルトは山盛りポテト。
家庭教師バイト先では、出してもらったケーキや夕食を遠慮なしにパクパク食べる。
一人暮らしでも自炊は一切せず、コンビニで菓子パンを毎日のように食べ、まぎれもないぽっちゃりが堂々完成。
痛さMAXの私を救ってくれたのは親友
もうこのころには、『卑屈=私の日常』で、自分のこじれた思考を気にもしない。
毎日「私ってほんとダメ」という呪文を心で唱えながら、一方で友達とは仲良く楽しそうに過ごしていた。気持ちと言動が完全に乖離した状態。
他大の編入試験を受けたもののあっさり落とされ、これが私の現実だとようやく気付く。
観念して仲良くしてくれていた友達に、年齢を隠していたことや、薬学部全落ちしたことなどを吐露。
今思えば、それを同じ大学に通う友達に吐露するのはとても失礼な状況だったと思う。でもその子(のちの親友は)「その経験で、あこは謙虚さを手に入れたと思う」と言ってくれ、とても救われた。
(ちなみに、その子はとてもきれいでスタイル抜群の子だったため、体型やニキビのコンプレックスについてはまた隠した。このコンプレックスを克服するのはさらに約20年後。第2章ご参照ください。)
私には人間関係があると気づいたけど…
ずっと卑屈に生きてきたのに、不思議と周りの人には恵まれた。
私には何もないと思っていたけど、中学、高校、予備校、大学、社会人になってからも、素敵な友達がいつもいた。
優しい家族がいつも見守ってくれていた。
それにようやく気付けたとき、とても心が温かくなった。
一方で、人間関係は私自身じゃない。私自身は結局からっぽなんだなと痛感していた。(続きは第2章へ)
