恩人たちが何度も何度も背中を押してくれた【自分語り第2章】
お多用の折、本記事をご覧いただきありがとうございます。
自分語り第2章です。第1章をお読みでない方はぜひそちらからご覧ください☟
今回(第2章)は、あころ こと、天野亜弥子が、ついにコンプレックスを手放し、「何か」をつかみ始める物話です。
人生の恩人たちに、「だいじょーぶ、だいじょーぶ」と優しく温かく見守られ、背中を押してもらった人生の転機についてお話ししたいと思います。
『レ・ミゼラブル』ジャン・ヴァルジャン釈放時の書き出し風プロローグも必見です。
プロローグ
時は移り、あころが卑屈期に入ってから早20年が経っていた。
かつての悩み多き少女は、今や天野と名を変え、幸せな結婚生活を送っていた。彼女は、奇跡的に、これ以上ないほど、気が合って誠実で面白い男性と結婚できた。『ラッキー天野』に改名しようかと思うほど、偶然手にした幸せをかみしめていた。しかし、彼女は時折、かつての卑屈な日々を思い出すことがあった。
容姿に悩んだ日々、大学受験での挫折、そして体型コンプレックス――それらの記憶は、どれほど時が経とうとも、彼女の胸の奥でくすぶり続けていた。
幸せだけど自分は空っぽという事実
曲がりなりにも、頑張って生きてきた。
不純な動機で入学を決めた大学も、結果的に学びが深く、とても楽しかった。研究室では気の合う仲間と研究に励んだ。
テニスサークルではテニス以上に人生について学んだ。
就職もスムーズだった。卑屈な気持ちは仕舞っていたため、相変わらず人間関係には恵まれていた。新卒入社の会社では、新入社員代表あいさつを任されるくらいに認めてもらった。
転職も苦ではなかった。新店舗立ち上げや営業アシスタント等を経験し、最終的に臨床試験に関わる仕事に就いた。新薬に関する仕事は薬学部に行けなかったという私のコンプレックスを軽減させた。
そして、結婚。家事をしながら口笛をふくほどに楽しい毎日。
退屈な毎日が急に輝きだした✨
あなたが現れたあの日か~ら~♪
「こんなにダメな私がこんなに素敵な人と結婚できた!」と浮かれていた。しかし、ある日気づく。
「夫は夫で私じゃない。やっぱり私には何も無い。でも、仕方がない。”普通が一番幸せ”とどこかで聞いたことがある」自分を納得させた。
生きていることは普通ではない
普通の延長線上で日々を過ごしていた。
かわいい娘に恵まれ、忙しくも充実した毎日。
二人目も妊娠して普通の幸せが続いていく感覚。
しかし、その子は死産。18トリソミーだった。
生きていられることは奇跡だと教えてもらった。
エレカシの、「悲しみの果て」に、救いを求めて、毎日泣いていた。
悲しみの果てに
何があるかなんて
俺は知らない
見たこともない
ただ あなたの顔が
浮かんで消えるだろう
その姿を見かねて、友人がメンタリストDaiGoさんのDラボを教えてくれた。救いになるはずだからと。
まさにその通りだった。
それをきっかけに、事実の受け止め方や、気持ちのあり方、考え方や科学的根拠に基づいた知識等を学ぶようになった。
漫然とではなく、主体的に生きる
傷が癒えることはないけれど、泣いていても何も変わらないと思えるようになってきた。
漫然と生きることは、命を懸けた我が子の教えを軽視するものだと感じるようになった。
Dラボで教えてもらった知識を、行動に移した。
読書したり、生活習慣を変えたり、行動を変えたり。
我が子に恥じぬよう、自分で自分の行動を選び取れるようになってきた。
その一つに、ダイエットがある。
科学的根拠に基づいた健康的な食事、効果的な運動、生活習慣を取り入れていったら、自分でも驚くほどストレスなく健康的に痩せていった。
それまでの私は、巷で流行るダイエット法を手当たり次第、試しては飽きる日々だった。ダイエットは、永遠に終わらないものと諦めていた。
高額痩身エステにも、ダイエット食品にも、当たり前のように散財し続けた。
私自身、大学の研究室や、臨床試験関連の仕事で、データをもとに試行錯誤していたはずだった。でも、自分の人生においては、その考え方を全く適応させられてなかった。科学者マインドで主体的に生きてみようと考えるようになった。
ついに体型コンプレックスを手放せた。他人の目なんて関係ない。
自分の行動や考え方を変えて、積み重ねていくこと。
「自分は変われる・変えていく」と信じて行動することで、コンプレックスを克服できるのだと理解した。
動きたいけどやりたいことがわからない
我が子に誓い、漫然と生きることをやめたものの、依然として私には何もなかった。
仕事を頑張ってみた。
英語の勉強をしてみた。
整理収納アドバイザーをとってみた。
コーチングの認定コーチをとってみた。
でも、どれも突出していない。人様に提供するほどではないと思った。
これでもかと背中を押してもらってようやく動き出す
そんなある日、転機が訪れる。
私がコーチングをさせてもらった友人(有料note × Kindle作家の専門家の ななさん)が、そこから得た気付きをもとにKindle出版してくれた。
そしてそれに気づいた別のコーチングの先輩(のちに、師匠とあがめる&脱プラダイエットの成果を挙げてくれるFPよーこさん)が、「これは踏み出すチャンスだよ!」と、背中を押してくれた。
動き出したいけど動けずにいる私は、藁にもすがる気持ちでダイエットコーチングをやってみようと心の中で思った。
それでもまだ踏み出せない。
「私の知識なんてインターネット上にごろごろ落ちてるじゃないか。何十万人も知ってることだ。」と自分を信じられない。
うじうじしていると、また、別のコーチングの先輩(のちに宣材写真を撮ってくれるフォトグラファーの一美ちゃん)が背中を押してくれた。
「あころちゃんのフィルターを通しているからあころちゃん流になってるよ。○○さんなんて快く引き受けてくれるんじゃない?」
モニターの人選までしていただきようやく船出。
○○さん(のちに脱プラダイエットの宣伝や成果をバシバシ挙げてくれるミヤビさん)をダイエットコーチングのモニターにスカウト。
本当に快く引き受けてくれた。
優しい実家の母にも打診。
「お母さん、私のダイエットコーチング受けてくれない?」「いいよ。」
そこにある醤油をとってくれるような気軽さで、母は娘のために、驚異の成果(最大80kg→62㎏!服のサイズは4L→Lへ)を挙げてくれるのであった。
自分にも「何か」ができるかも
ここまで書いてみて我ながらびっくり。
こんなに私って自分だけでは動けないんだ。
主体的に生きると決めて、自分で行動を選んできたつもりになっていた。
でもそうじゃない、周りの支えがあって、私は生かされてる。
昔の私は、周りの温かさに感謝しつつも、自分には何もないと卑屈だった。
主体的に生きると決めた後も、やっぱり周りに助けられながら生きていくんだなぁ。
この『とりあえず始めてみたダイエットコーチング』がどう転んでいくのかはわからない。
人に助けられまくりながらとはいえ、自分にも「何か」ができるかもと思えたことは、一生忘れられない大切な感触。
果たして恩返しができる日は来るのかと、不安の中にありつつも、
穏やかな気持ちが広がっていた。(続きは第3章へ)
