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誰かが変わればわたしは幸せになれると思っていた|生きづらさの根っこにある「決まり」と「役割」

「あの人が、もう少しわかってくれたら」

「あの人が、変わってくれたら」

「あの人さえいなければ」

そうしたら、
わたしはもっと穏やかに生きられるのに。


幸せに、
なれるのに。


こんばんは。
おさゆです。

過去、
薬物依存症という病を抱えた家族との
関係に苦しんでいた頃のわたしは、

自分の幸せを左右する鍵を、いつも
「わたし以外の人」の手に預けていました。

相手の機嫌がよければ、ほっとする。

冷たい態度をとられれば、
「わたしが何かしたんだろうか」と
不安になる。

相手が困っていれば、自分のことは
後回しにしてでも助けようとする。

そうやって、
相手の表情や言葉や行動に、長い間
揺さぶられながら生きていたんです。

そして、当時のわたしは、
それを「依存」だとは思っていませんでした。

大切な人を思いやっている。

家族だから支えるのは当然。

わたしが頑張れば、
きっとこの関係はよくなる。

そう信じていました。

でも、どれだけ頑張っても、
こころが満たされることはなかった。

相手の問題がひとつ片づけば、
また次の問題が起きる。

一瞬ほっとしても、
すぐに新しい不安を探し始める。

気づけば、
目の前の人が何を考えているのかは
一生懸命に考えているのに、

自分が何を感じ、
何を望んでいるのかは、
わからなくなっていました。

「自分以外の誰か」が、
いつも自分の人生の中心でした。

生きづらさは、どこから来るんだろう

人との関係に苦しんでいるとき、
わたしたちは、その原因を目の前の
相手に探します。

相手が優しくないから。

親があんな育て方をしたから。

パートナーが変わってくれないから。

もちろん、
実際に傷つけられたことや、
理不尽な扱いを受けたことまで、
なかったことにする必要はありません。

「自分の受け取り方が悪かっただけ」と、
自分にすべての責任を負わせる必要もない。

傷ついたものは、傷ついたんです。

嫌だったものは、嫌だった。

あのとき、本当は怖かった。

寂しかった。

助けてほしかった。

まずは、その事実を自分の中で
認めてあげることは必要です。

でも、
傷つけた相手だけを見続けていると、
いつまでも自分の人生がその人の言動に
結びついたままになってしまいます。

「あの人が変わらない限り、
わたしは幸せになれない」

そう思っている間、
「わたしの幸せ」の行方を決めるのは、
やはり「あの人」で、

たとえ憎しみや怒りという形であっても、
人生の中心にはその人が居続けます。

だからこそ、
どこかで視線を自分の内側へ戻していく
必要があります。

どうしてわたしは、
この関係から離れられないんだろう。

どうして嫌われることが、
こんなにも怖いんだろう。

どうしていつも、自分より相手を
優先してしまうんだろう。

どうして必要とされていないと、
自分には価値がないように感じるんだろう。

これらの問いは、
自分を責めるためのものじゃありません。

これまで自分を守り、
生き延びるために身につけてきたもの。

それを理解していくための問いです。

わたしたちは、それぞれの「決まり」を持っている

子どもの頃、わたしたちは、
置かれた環境の中で安全に生きる方法を
覚えていきます。

泣いたときに、
「そんなことで泣かないの」
と言われたこと。

自分の意見を伝えたときに、
「わがままを言わないの」
とたしなめられたこと。

家の中の空気が悪くならないように、
明るく振る舞ったこと。

忙しそうな親を困らせないように、
自分の気持ちを飲み込んだこと。

何度も似た体験を重ねるうちに、
子どものこころには小さな「決まり」
生まれていきます。

「泣いてはいけない」

「迷惑をかけてはいけない」

「本音を言ってはいけない」

「期待に応えなければならない」

「誰かの役に立たなければ、
ここにいてはいけない」

それは誰かから、
はっきりと言い渡された決まりでは
ないかもしれません。

でも、
その環境の中で傷つかずに生きるために、
自分なりに感じ取り、自分の中につくった
決まりです。

そして、
その決まりに従っているうちに、
わたしたちは「役割」を身につけていきます。

「いつもしっかりしている人」

「場の空気を明るくする人」

「家族の問題を引き受ける人」

「誰かの世話をする人」

「何も望まず、我慢できる人」

その役割は、かつての自分を
守ってくれたものでもあります。

だから、簡単には脱げない。

大人になり、環境が変わっても、
昔と同じ役割を繰り返してしまう。

本当は助けてほしいのに、
「大丈夫」と笑う。

嫌だと思っているのに、相手に合わせる。

自分が疲れ切っていても、
困っている人を放っておけない。

関係が苦しくても、
「わたしがいなければ、この人は
だめになる」と離れられない。

昔は自分を守ってくれたはずの
「決まり」や「役割」が、今の自分を
苦しめるものになっているんです。

「親密さ」と、自分を明け渡すことは違う

人と親しくなるということは、
相手とひとつになることではありません。

相手の気持ちをすべて理解することでも、
相手の望みをすべてかなえることでもない。

わたしが考える親密さとは、

「あなたはあなたでいていい」
「わたしも、わたしでいていい」

と、お互いの違いを残したまま、
近くにいられることです。

意見が違っても、
すぐに関係が壊れるわけじゃない。

「今はできない」と断っても、
愛情がなくなるわけでもない。

一人の時間が必要でも、相手を拒絶して
いるわけではないし、

わかり合えないことがあっても、
どちらかが間違っているとは限らない。

そこには、
自分と相手との間に境界があります。

そしてそれは、
相手を締め出す壁ではありません。

自分がどこまでを引き受け、どこから先は
相手に返すのかを知るためのものです。

以前わたしは、境界線をファスナーのついた
透明な袋にたとえました。

もし良ければ、
こちらの記事も合わせてご覧ください。

その袋は、自分のこころを
閉じ込めるためのものじゃありません。

安心できるときには、
自分の意思でファスナーを開ける。

怖いときや傷ついたときには、
いったん閉じて自分を守る。

大切なのは、
そのファスナーを開け閉めする持ち手を、
自分が持っていることです。

誰かに無理やり開けられるのでもなく、

嫌われないために、
開けたままにするのでもない。

自分の感覚を確かめながら、
人との距離を選べること。

その土台があって、
初めて人は、自分を失わずに誰かと
親しくなれるんだと思います。

「何かがあれば幸せ」から離れていく

わたしたちは、
ときどき幸せに条件をつけます。

「愛してくれる人がいれば」

「家族が変わってくれれば」

「もっと認められたら」

「お金があれば」

「欲しいものが手に入れば」

もちろん、
人とのつながりも、暮らしの豊かさも、
人生を支えてくれる大切なものです。

でも、それらがなければ
幸せになれないと思ったとき、

わたしのこころは、
いつも外側の何かに満たしてもらうのを
待つことになります。

手に入れば一瞬は満たされる。

でも、失うことが怖くなる。

もっと欲しくなる。

足りないものを探し続ける。

それでは、どれだけ多くのものを
手にしても、

「これで大丈夫」

と、自分の中に腰を下ろすことが
できません。

必要なのは、誰にも頼らず、一人で
生きられる強さではないんだと思います。

自分の寂しさを、
誰かに埋めさせるのではなく、

「わたしはいま寂しいんだ」と、
自分で気づいてあげること。

苦しいときには、自分の限界を認めて
人に助けを求めること。

誰かに愛されることで
自分の価値を証明するのではなく、

うまくできない日も含めて、
自分を見捨てずにいること。

わたしはこれを、
「こころの自給自足する力」と
呼びたいんです。

それは、何もかもを
自分一人でまかなうことではありません。

まず自分の気持ちを自分が受け取り、
自分に必要なものを知ったうえで人と
つながっていく力です。

「満たしてもらわなければ
生きられない」ではなく、

「自分の人生を生きながら、
あなたとも喜びを分かち合いたい」

と、言えるようになることです。

幸せの責任を、自分の手に戻す

過去の環境は、
選べなかったかもしれません。

子どもの頃の自分には、
家を出ることも、かかわる大人を
選ぶこともできませんでした。

だからその場所で、
生きていくための「決まり」をつくり、
必要な「役割」を引き受けた。

そうしなければならなかった自分を、
責める必要はありません。

むしろ、

「よくその方法で、
ここまで生きてきたね」と、声を
かけてあげていいんです。

でも、大人になった今、
その決まりを守り続けなければならない
わけじゃない。

親がどうだったか。

パートナーが何をしたか。

誰に傷つけられたか。

それを見つめることは、
回復の大切な過程です。

ただその先には、

「じゃあわたしは、
これからどう生きたいんだろう」

という問いがあります。

その問いを持ったとき、
止まっていた人生の針が、かすかに
動き始める。

誰かを許せなくてもいいんです。

すぐに手放せなくてもいい。

立派に自立した人になろうと
しなくてもいい。

ただ、自分の中にある決まりや役割に、
ひとつずつ気づいていく。

そして今の自分にも、その決まりが
必要なのかを確かめながら、

もう必要のないものなら、
少しずつ手をゆるめていく。

その繰り返しの中で、自分の感情は
自分のもとへ戻ってきます。

相手の機嫌ではなく、
自分の感覚を確かめる。

誰かの期待ではなく、
自分が望む方向を選ぶ。

足りないものばかりを
数えるんではなく、

すでに自分の中にあるものにも
気づいていく。

そうして、幸せの責任を誰かに
背負わせるんじゃなく、

自分だけですべてを抱え込む
のでもない生き方へ、少しずつ移って
いくんだと思います。

自分に充足することができる人は、
人を必要としなくなるんじゃないんです。

人とのかかわりを、
もっと自由に選べるようになる。

相手を変えるためでもなく、
自分の空白を埋めてもらうためでもなく、

「わたしはわたしとして、ここにいる」

その自分で、
誰かと出会えるようになるんです。

本当の親密さは、
誰かとひとつになることじゃありません。

自分を失わずに、誰かとつながること。

そしてその始まりは、自分のこころに戻り、
自分の声を聴くことなんだと思います。

今日もし、
誰かのことで頭の中がいっぱいに
なっているなら、

ほんの少しだけ、
視線を自分へ戻してみてください。

「あの人は、どうしてくれたらいい?」

ではなく、

「わたしは今、どう感じている?」と。

その小さな問いが、
誰かの手に預けたままになっていた人生を、

「自分のもとへ戻していく」

その、最初の一歩になるかもしれません。


今日も最後まで読んでくださって
ありがとうございました。

こころから感謝を込めて。

おさゆ


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