大人ももっと褒められていいんじゃないか?自分もね
こんにちは、sioです。
私はフルタイムの仕事と子育ての両立でいっぱいいっぱいになり、心のエネルギーが底をついた時期がありました。
その頃は、何をしても自分を否定してしまい、「私以外の誰かになりたい」と本気で思っていました。
今は元気になっていますが、先日その頃のことを高校時代の友人に話したんです。
とにかく優しくて穏やかな、私の憧れの友人です。
すると、彼女は少し驚いた顔をして、こう言ってくれました。
「私はずっとsioちゃんのこと、すごいと思ってたよ。
何でも知ってるし、何でもできるし。
こんな人他になかなかいないもん。
そんなsioちゃんでも“誰かになりたい”って思うんだね。」
私が「何でもできる人」に見えていたのは、実際には「何も手放せず、全部で満点を取ろうとしていた」性格だったせいです(できるわけないのに)。
だからキャパオーバーするんだよ、という話にもつながるのですが、
それよりも「憧れていた友人が、真剣に褒めてくれた」という事実が、ただ嬉しかったです。
こんなこともありました。
キャパオーバーして辞めた職場の同期と飲んでいたとき、私はつい、
「私も続けられる根気があれば良かったんだけどね」
とこぼしました。
今では「やめてよかったー」と思っているんですが、まだ気持ちに整理がついていなかった頃です。
すると同期は、ハッキリと言いました。
「私は辞める勇気がなくて続けてるだけだよ。
子どものことや自分のことを考えて決断できたsioは、本当にすごいと思う。」
その言葉が胸にじんわり染みました。
当時の私はまだ、「もっと頑張れたはず」という心の声に縛られていたからです。
自分のことって、意外と自分では見えません。
「こうすべき」「普通は」といった言葉で自分を縛っていると、なおさらです。
今の私は、そういう言葉から少し自由になり、自分をよく褒めます。
「お、いい感じじゃん」
「頑張ったんだから、今日は休みなよ」
「もう十分できてるよ」
思えばこれは、夫がいつも私にかけてくれている言葉です。
以前の私は、「いや、まだまだでしょ」「もっと頑張らないと」なんて、素直に受け取れていなかったんですよね。
「まったくあなたは甘いのね」なんて思うことも正直ありました(とばっちりすぎる笑)。
でも友人や夫が私の本音に優しく寄り添ってくれるからこそ、
今の私は自分の心にも寄り添えるようになりました。
そのおかげで子どもたちにも
「やったね」
「今日も学校頑張ったんだね。おつかれさま」
「そっか、イヤなんだね」
と自然に言えるようになりました。
少し前までは、「テクニック」として無理に使っていました笑
昔は「自分に厳しく、他人に優しく」なんて思っていたけれど、やっぱり無理があります。
人間そんな複雑なことができるようには、できていないんじゃないでしょうか。
わが子たちがいつか誰かが、あるいは自分が頑張っているときや落ち込んでいるときに、そっと
「そのままで十分素敵だよ」
と言える人になってくれたらいいなぁ、と思っています。
案外、親が子どもに継承してあげられるものって、こういうものかもしれないと思いました。
