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亀戸町のお為さん(文化文政期)

1 小松川村の瀧


 名優九代目市川団十郎の母、為は 文化元年一八〇四年小松川村の百姓甚平とみつの娘として生まれた。幼名は瀧といった。小松川村では主に米や小麦、胡瓜、茄子などを栽培していた。瀧に兄弟姉妹がいたかは不明だが、当時は男が主に農業を、女は家事を手伝うのが一般的で、経済的な理由から娘が他家に奉公に出されることも少なくなかった。瀧も例外ではなく、九歳の時に亀戸町の料理屋へ年季奉公に出ている。
 瀧が奉公に出た文化九年一八一三年、川向かいの亀戸は小松川村と同様ほとんどが農地だったが、北西の亀戸天神周辺や最西を流れる十間川沿いは町地化され、飲食店や商店が立ち並ぶ盛り場となっていた。本所開発が、亀戸天神までを範囲としたからだ。瀧の奉公先である料理屋は、十間川に架かる天神橋の際にあった。屋号は越前屋といい、主人は吉右衛門といった。店脇には松の木があった。

斎藤長秋編 雪旦画「江戸名所図会」より天神橋部分切抜
⭕️で囲んでいるのが越前屋


 舟着場に近かったこともあり、店はいつも賑わっていた。亀戸天神は花の天神様とも呼ばれ、梅、藤、菊の季節には、毎年多くの花見客が訪れる。特に藤の時期の十間川の渋滞は風物詩となり、船頭たちはいかに巧く舟を操り、乗客をスムーズに乗降させられるかを競い合った。
 一面農村地帯だった小松川村からいきなり門前町、しかも複数の客が出入りする飲食店に奉公することになり、瀧の日常は一変した。家の雑用に加え店の手伝いもしていた瀧は、日々いろいろな大人相手に酒や料理を運んだ。正月や花見の季節には江戸からの客も多く、瀧は江戸の武士や商人たちと、初めて直に言葉を交わした。農村育ちの瀧にとって、耳に入る会話全てが新鮮で、面白かった。瀧は利発で覚えが早く、客あしらいもうまかった。そして人目を惹くきれいな顔立ちをしていた。瀧は徐々に客の人気を集め、吉右衛門にも気に入られた。 

越前屋の瀧(イメージ)

 門前町は同業者だらけである。天神橋で舟を降りず、北へ一分ほど進むとと右手に鳥居が見えてくる。そこの舟着場で降りると西から境内に入ることができる。川からの参詣者の多くは南の正門ではなくこの西の鳥居をくぐり、西門から境内に入った。鳥居をくぐると右角に、しじみ汁を扱う巴屋がある。しじみ汁は黄疸に効くと言われ、酒飲みに人気があった。寛政十二年一八〇〇年刊行の草双紙「見物左衛門」では、巴屋の名物としてしじみ汁が取り上げられている。
 巴屋の右向かいにある料亭玉屋も、巴屋同様、繁盛していた。享和三年一八〇三年一月十七日の太田南畝の日記には、梅屋敷の帰りに玉屋へ立ち寄り、仲間と酒宴をした記録が残されている。

 越前屋は玉屋のような広さはないが、それだけ店主との距離が近く、馴染み客が多かった。彼らは瀧に注がせたがり、その分酒量が増えた。九歳で奉公に来た瀧は年々美しさを増し、十三、四の頃には町で評判の美人として、一枚絵にも描かれるほどだった。その一枚摺りの浮世絵を持って、越前屋を訪れる者も多かった。吉右衛門は店の繁盛を喜んだ。

西門の賑わい(イメージ)

 瀧がすっかり越前屋の仕事に慣れた頃、瀧の母、みつが亡くなった。母病死の知らせが届いたのは、瀧が十四の時だった。瀧を手放したくない吉右衛門は、その折に年季奉公だった瀧を養女として貰いたがった。父甚平は経済的な事情から、泣く泣くその申し出を受けた。
 瀧は越前屋の養女となり、名を為と改めた。越前屋から小松川村までは為の足でも一亥もかからない距離だったが、縁切りのお金を受け取った甚平とは、それきりとなった。

 為の母が亡くなった年の暮れ、本所から客で来ていた鵜飼という旗本が為を見初めた。商売柄、有力者との人脈は貴重である。吉右衛門は旗本の申し出を断れなかった。為は妾奉公に出され、二年程錦糸堀に囲われた。為を妾に望む客は多く、奉公を終え越前屋に戻ると、またすぐに奉公に出された。
 戻ってはまた妾奉公に出るといった生活が、それから十数年続いた。為が妾奉公に出た先は、本所の旗本鵜飼、四ツ目で桐の量り売りをしていた材木屋信濃屋丸山伝右衛門、名主岡本(支配地不明)、名主勝田次郎助(亀戸堺町、亀戸清水町、深川北松代町三~四丁目を支配)、蔵前の札差近江屋佐平次、蔵前の札差下野屋又兵衛、堺町中村座の金主をしていた越ケ谷のこんにゃく屋の主人、酒井雅楽頭家忠誨ただみちである。いずれも契約が切れるか、生活が立ち行かなくなると為を手放した。
 妾奉公の日々は、為にとっては辛いものだった。笑顔でそつなく振る舞いながらも、心は誰にも開けなかった。為をあちこちの男に手を出す好色と見る者もいた。為は黙ってそれに耐えた。商売柄、吉右衛門が客の申し出を断れないことを為はよくわかっていた。実家の窮状を救ってくれた恩義もあった。これ以上世話になれない遠慮もあった。吉右衛門は吉右衛門で、奉公先の中から為に良い落ち着き先が決まることを願っていた。
 その頃江戸は、歌舞伎熱に沸いていた。



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