絵本『ありがたいこってす!』と同テーマで同プロット、差異を味わってみる? ~絵本『やかましい!』~
『やかましい!』、アン・マクガバン 文、シムズ・タバック 絵、木坂涼 訳、フレーベル館、2008年4月
[絵本《SHORT》紹介]
Ⅰ.同テーマ・同プロットの2作品だが、《絵》と《言葉》の味わいは異なる
ここで取り上げる絵本『やかましい!』は、かつて紹介した『ありがたいこってす!』と同テーマ・同プロットの作品である。いずれもユダヤの民話に基づいた物語ということだが、まずは表紙を見比べてみよう。
『ありがたいこってす!』の表紙からは、1軒の家に大家族がひしめき合っていて、「せまそうだな」「めっちゃ、にぎやかそう」と読者が感じるような空気が伝わってくる。
一方、『やかましい!』の表紙を見ると、三日月の出ている夜に1人の老爺が耳を塞ぐ姿が描かれていて、「いったい、何が『やかましい!』のだろうか?」と、読者に疑問を抱かせるようになっている。
前者はやや淡い色調の水彩画のようなタッチで、後者はセピア系の色調ながら、くっきりした輪郭によるイラストのようなタッチで描かれている。
『ありがたいこってす!』の詳細については[SideA][SideB]に譲ることにして、ここでは『やかましい!』の物語について捉えていこう。
Ⅱ.絵本『やかましい!』発端部
[1]出版社ホームページの紹介文
絵本『やかましい!』について、出版社のホームページで見られる紹介文は、次のようになっている。潔いというべきか、粗いというべきか、実に見事なまでのシンプルさである。
やかましくって眠れないおじいさんは……
物語の主人公は〈ちいさな ふるい いえ〉に住む〈ひげもじゃもじゃの おじいさん〉である。1部屋しかない家で、独り暮らしをしていた。
ベッドが きーきー いいました。
ゆかも みしみし なりました。
そとでは はっぱが かぜに ゆれて、
やねを ひゅんひゅん こすっています。
そこへ やかんが しゅー!
ある日、彼が気になったのは、これらの音。――「なんてこったい! やかましいったら ありゃしない」。
[2]博士への相談と、提示された解決策
そこで、彼は〈むら いちばんの ものしりはかせの ところ〉へ相談に行く。博士が授けた助言は、老爺(および私たち読者)の期待と予想を軽やかに裏切っていく。その場面を引用しておこう。
すると、はかせが いいました。
「それなら、いい ほうほうが あるぞ。
ウシと いっしょに くらすのじゃ」
「ウシと ですか?」
とにかく、ひげもじゃもじゃの おじいさんは
ウシを さがしに いきました。
「いやいや、それって静寂と真逆の結果が目に見えてるやん」と、私たち読者は思うわけだが、老爺は素直に博士の助言を実行する。太字処理した箇所は、以後も博士の助言の度に繰り返される一連の定型描写である。
Ⅲ.助言は、家畜たちを部屋へ入れること(展開部)
[1]最初の助言「ウシと一緒に暮らしなさい」
博士の助言に従い、老爺は自分の部屋へ牛を入れた。当然ながら、〈ウシは モーモー なきました〉となってしまうわけだが、この時点で老爺の認識はまだ「ちっとも かわらん!」というレベルだった。再び老爺は博士のもとへ相談に向かう。
[2]さらに続く5つの助言「ロバ・ヒツジ・ニワトリ・イヌ・ネコと一緒に暮らしなさい」
老爺は博士のところへ行く度に《相談⇔助言》のサイクルを繰り返すことになるのだが、与えられた助言は「それなら、ロバだ。ロバと いっしょに くらすのじゃ」「それなら、ヒツジだ。ヒツジと いっしょに くらすのじゃ」という具合で、さらに、ニワトリ・イヌ・ネコと、追い討ちをかけるように部屋の騒々しさをどんどん増大させるものであった。
[3]老爺の反応の変化
老爺の反応は、次のように変化していく。それぞれの家畜を招じ入れた後の発話を引用しておこう。
ウシ=「ちっとも かわらん!」
ロバ=「なんてこったい! まだ やかましい」
ヒツジ=「どうにも まだ やかましい!」
ニワトリ=「どうにも ますます やかましい!」
イヌ・ネコ=「なんてこったい!」
さすがに耐えきれなくなった老爺は、とうとう博士に〈くってかか〉った。「あなたの言う通りにしたのに、やかましいったらありゃしない。わしはもう我慢できない!」と。そこで、博士は最後の助言を与えた。
Ⅳ.最後の助言は家畜たちを手放すこと(結末部)
「それならば、
ウシを てばなすのじゃ。
ロバを てばなし、
ヒツジを てばなし、
ニワトリを てばなし、
イヌを てばなすのじゃ。
そして、ネコもな!」
家畜たちがいなくなった家に、当初の時点で彼が気になった音(ベッドや床の軋み音、風が木の葉を揺らし屋根を吹き抜ける音、ヤカンの音)が響いたが、彼はこう感じた。「おどろいた! なんて わしの いえは しずかなんだ」と。家ではずっと無表情だった彼の顔に笑みが浮かび、その夜、彼は静かに眠りについたのである。
最後の画面には、表紙画に類似した構図で、家の窓を開けて佇む彼の姿が描かれている。もはや耳を塞いではいない。三日月のあった位置に太陽が描かれ、窓辺の傍らにある樹上に青い鳥が羽を休める。
発端の時点と同じ静けさであるはずなのに、主人公にはまるで理想郷のように静かな場所として感じられるようになった。この《対比によって状況認識を塗りかえる》という構造は、『ありがたいこってす!』と『やかましい!』に見られる最大の共通点である。
Ⅴ.反復表現の多用
第Ⅲ章で述べたように、類似場面が同じ詞章で反復されていたほか、老爺の家に響く騒音も次のような形で反復されている。最終形態のものを引用したが、あらたに動物が加わる度、その描写が1行目に追加されていく。付言しておくと、太字処理した箇所がデフォルトである。
ネコは ニャーニャー なきました。
イヌは ワンワン ほえました。
ニワトリは コッコッコ、
ヒツジは メエメエ、
ロバは ヒーホー、
ウシは モーモー、
ベッドは きーきー、
ゆかは みしみし、
はっぱは ひゅんひゅん、
やかんは しゅー!
翻訳者の功績だろうが、擬音とともに描写の音律がリズミカルで、読み聞かせの際に子どもたちが楽しめるような《音》がうまく演出されている。これは、『ありがたいこってす!』にあった《狭さ》の問題が省かれて《騒がしさ》に特化したことにもよるだろう。
家畜たちによる騒音の描写が畳みかけられ、その《やかましさ》はページごとに増幅されていく。そんなわけで、『ありがたいこってす!』に比べると、よりテンポのあるドタバタ感を抱かせる物語展開となっている。
『ありがたいこってす!』と『やかましい!』は、同じ根っこと構成からなる物語でありながら、私たちの読後感はかなり異なるはずだ。両作品を読み比べることは、同一テーマ・同一プロットの物語が異なる感性によって多彩に描かれ得ることを知る、ちょっぴり贅沢な体験と言えるだろう。
