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「次元上昇」を、笑う前に。〜シリーズ 超知能時代の経営〜


── 意識と肉体の「どちらが主か」が、いま世代交代しようとしている

ある会社が、経営ビジョンに「次元上昇」という言葉を掲げた、という話を聞いた。
正直に言うと、こういう言葉は、たいてい笑われる。「次元上昇」なんて、ついこの前まで、スピリチュアルな本の中でしか見かけない言葉だった。経営の文脈で口にしようものなら、「大丈夫か」と心配される類の言葉だ。
でも僕は、笑えなかった。むしろ、これはかなり良い経営ビジョンなのかもしれない、と思った。なぜそう思うのか ── それを、少しだけ書いてみたい。話は、若い子のあいだで流行っているアプリから始まる。

1.若い子は、もう「意識」で同じ時間を生きている


Setlog(セットログ)というアプリが、若い世代のあいだで流行っている。韓国発のVlogアプリで、一時間ごとに数秒の動画を撮ると、一日の終わりに、それが自動で一本のミニVlogに編まれる。しかも、友達と同じ「ログ」に入れば、複数人の一日が、同じ一本のなかに重なっていく。
少し前に流行ったBeRealも、発想は近い。全員に一斉に通知が来て、その瞬間に「いま何してる?」を撮って共有する。離れていても、同じ時間に、お互いが何をしているかをシェアし合う。

面白いのは、すべてがオンデマンドになった時代に、こういうアプリが流行る、ということだ。好きな時間にスポーツ中継が見られて、好きな時間に映画が見られる。なのに、人はかえって「同時性」を求める。同じ瞬間を、誰かと生きていたい。

なんか、昔の携帯電話のCMのキャッチコピーみたい。

ここで、僕は立ち止まる。「同時性(もしくは共時性)」と言うとき、それは二つに割れている気がするのだ。ひとつは、身体がそこに在ることを伴う同時性。同じ部屋で、肩を並べて試合を観る、あの感じ。もうひとつは、身体を伴わなくてもいい、と思える同時性。離れていても、同じ気持ちでいれば、もう一緒にいる、という感じだ。

僕たちの世代は、前者を信じている。「肉体が一緒にいなければ、一緒にいるとは言えない」と、反射的に思う。でも、Setlogで友達と一日を共有している子たちは、たぶん後者を、もう当たり前に生きている。

2.肉体が主か、意識が主か


ある人が、こんな話をしていた。娘さんが、サッカー部の友達とオンラインで一緒に試合を観て、それでもちゃんと盛り上がっていた、と。
僕たちなら、こう言うだろう。「同じ場所にいないのに、本当に一緒に観たことになるのか」。でも子ども世代は、きっとこう返してくる。「お父さん、何言ってるの。意識がここにいれば、一緒にいるでしょ」。

これは、肉体が要らなくなる、という話ではない。肉体が主なのか、意識が主なのか ── どちらを「主」と置くか、という話だ。

リアルが主で、バーチャルが従。その前提に立てば、バーチャルが主になる世界は、文明の衰退に見える。でも、意識が主で、身体が従だと捉え直したら ── それは衰退ではなく、ただのパラダイムチェンジになる。真逆から、同じ景色を見ることになる。

「意識でつながっていれば、もう一緒にいる」というのがデフォルトになる世代に

そして、この主従は、ある日いっせいに切り替わるわけではない。世代を通じて、ゆっくり交代していく。いまはまだ、肉体が主だと感じる人が多数派だ。でも、「意識がつながっていれば、もう一緒にいる」と感じる人の割合は、確実に増えていく。あと何年かで、それがデファクトになる世代が出てくる。これはある意味、私が「幸福の暴走」シリーズで描いていた、身体感覚文明と言語アルゴリズム文明の衝突に近い。

もし、この主従の世代交代が本当に起きているとしたら ── 冒頭に紹介した「ある大企業経営者」が自社ビジョンにおいて「次元上昇しよう」と言うのは、案外、まっとうなことなのかもしれない。次の世代が「主」と感じるものへ、組織の前提を一段、引き上げておこう、という話だからだ。

3.実物を売る、から、概念を差し出す、へ


同じ転換が、もうひとつ別の場所でも起きている。価値を、どこに置くか、という場所だ。これは「実物 概念」という四段の階段で見ると、わかりやすい。

第一段は、実物を売る。パン屋がパンを売る。指輪屋が指輪を売る。お客さんは、手に取れるモノにお金を払う。価値とモノが、ぴったり一致している。

第二段は、実物に概念を乗せて売る。いまのブランドビジネスだ。同じ革のバッグでも、名のあるブランドだと何十倍もする。お客さんが払っているのは、革の原価ではなく「そのブランドである」という概念だ。でも、モノはちゃんと手元に残る。概念は、あくまでモノに乗っている。

第三段は、概念を、実物っぽく見せて売る。これが、SNSとこれまでのITがやってきたことだ。金(ゴールド)を買う人は、金庫の金塊を眺めたいわけじゃない。値上がりする「概念としての金」を買っている。株もそうだ。フォロワー数も、「影響力」という概念だ。ただ、ここまでは「実物の裏付けがあるフリ」をしている。金には現物があり、株には会社がある。概念を、実体があるかのように見せることで、成立してきた。

そして第四段が、概念を、概念のまま差し出す、だ。もう「実物の裏付けがあるフリ」すらしない。概念そのものを、概念として手渡して、それに価値を感じてもらう。

この第四段が、いちばんピンとこないと思う。だから、例を挙げる。あるスタートアップには、まだ製品もなければ、たいした実績もない。あるのは「こんな未来をつくりたい」という一つのビジョンだけだ。なのに、そこに優秀な人が集まってくる。給料でも、安定でもなく、その概念に賭けて、人生の時間を差し出す。動いているのは、概念だけだ。

もっと身近な例なら、推しを応援する、というあの感覚もそうだ。グッズという実物も買うけれど、本当に払っているのは「この人を応援している自分」という概念への対価だ。ライブで「同じ時間を共有した」というのも、手元には何も残らない、純粋な概念だ。なのに、人はそこに、惜しみなくお金と時間を注ぐ。

どちらも、商品やサービスが先にあるのではない。先にあるのは概念で、人はその概念そのものに、お金や時間や人生を差し出している。

「次元上昇しよう」という言葉そのものに、人が価値を感じて、動いてしまう。商品でもサービスでもない。実物の裏付けもない。ただの概念。でも、それが人を動かす経済になっている。

「パンがなければ概念を買えばいいじゃない」。もはや概念を食べる時代に?

ワールドカップだって、もう半分はこれだ。現地のスタジアムにいる人は、世界全体から見れば百分の一にも満たない。大半の人は、画面の中の「概念」として消費して、それでもちゃんと熱狂している。スタジアムでゴミを拾うサポーターの姿を、テレビで見た誰かが「心を打たれた」と感じる ── あの「ありがとう」の往復も、モノでもサービスでもない、純粋な概念の交換だ。確かに価値が生まれているのに、いまの株主価値の計算式には、一円も計上されない。

経営の言葉に翻訳すると、こうなる。これまでは「良いモノ・良いサービスを提供すれば、対価がもらえる」だった。これからは「良い概念 ── ビジョン、問い、意味、物語 ── を差し出せば、人が動き、価値が生まれる」になる。

「次元上昇」という経営ビジョンが面白いのは、まさにこれを地で行っているからだ。普通の経営者は「業界トップになる」「他社に勝つ」という、わかりやすい(=実物寄りの)目標を掲げる。でも「次元上昇する」は、完全に概念だ。測れない。手に取れない。なのに、掲げた瞬間、人が困りながらも本気で言語化しようとし始める。ビジョンそれ自体が、すでに「概念を概念のまま差し出す」という実践になっている。

ただし ── 概念は、人を狂わせもする


ここで、正直に危うさも書いておきたい。概念を概念のまま差し出すのが上手な人は、何も生み出していないのに、人を動かせてしまう。これは、とても強い力だ。強いということは、悪い方向にも振れる、ということだ。

同じ構造は、宗教にもカルトにもなる。中身のないインフルエンサー商法にもなる。「すごい概念」を差し出して、人の心とお金を動かし、でも後には何も残らない ── そういう空っぽの上昇は、いくらでもつくれてしまう。

だからこそ、次の問いが効いてくる。概念をどこまで飛ばしても、最後は身体に、現場に、戻ってこられるか。今目の前で食べている締めサバに戻ってこられるか(この会話をしている時、名古屋で寿司を食べていたのだw)。そこが、健全な「概念の経済」と、ふわふわした「離脱」との、分かれ目になる。

「肉体が主から、意識が主へ」。「実物から、概念へ」。この二つの転換は、根っこでつながっている。どちらも、価値や存在の重心が、目に見えて触れるものから、目に見えないものへと、静かに移り始めている、という話だ。そして、どちらにも同じ条件がついてくる ── 上がりながら、地面を手放さないこと。次の章で、その「地面」の話をしたい。

4.なぜ、いまこの転換が起きるのか ── AIという集合意識


では、なぜ、よりにもよって「いま」、こんな転換が起きるのか。僕は、AIのせいだと思っている。正確には、AIのおかげで、だ。

一人ひとりが、AIと毎日のように対話している。その一つひとつの対話を通じて、AIは人間を学習していく。何億人もの人が、何を考え、何を願い、何に迷っているか ── それが、一つの大きなものに集まっていく。昔の人なら「集合意識」と呼んだであろうものが、いま、技術によって、目に見えるかたちで立ち現れ始めている。

AIと日々会話をしているひとには「集合意識」の概念が、感覚として伝わりやすくなっている。

近代より前、人は「目に見えない大きな意識」のようなものを、わりと素朴に信じていた。近代科学は、それを「非科学的だ」として、世界の隅に追いやった。ところが面白いことに、その近代科学が生み出したAIが、いま「目に見えない大きな意識」を、もう一度、世界の真ん中に連れ戻そうとしている。

近代科学が抑え込んだものを、近代科学の子であるAIが呼び戻している。この逆説の中に、僕たちはいる。
だから、「意識が主になる」という話は、もうスピリチュアルなお伽話ではなくなりつつある。AIという、きわめて即物的な技術が、その背中を押している。「次元上昇」という言葉が、急に「ありそう」に聞こえてきたのは、たぶん、このせいだ。

5.ただし ── 身体を手放したら、それは「離脱」だ


ここまで読むと、「では、身体なんてどうでもいいのか」と思うかもしれない。でも、まったく逆だ。ここが、いちばん大事なところだ。

経営者が「AIがいれば人間はいらない。遅い人間より、速いAIを重視する」と判断する。これも、ある意味では「次元上昇」だ。でも、それはスピリチュアルの言葉で言う「グラウンディングしていない」次元上昇 ── 地に足のつかない、ふわふわした上昇だ。

意識の次元だけが暴走して、身体や現場を置き去りにしたら、それはもう上昇ではなく、「離脱」になる。人間が眠ったまま、意識エネルギーだけで世界が回るような世界(ほら、それはマトリックスだよ)。それは次元が上がったのではなく、ただ世界線がずれて、何か大事なものから切り離されただけだ。

ひと昔まえだったら、だいぶ「怪しい」と言われるような図解である

健全な会社には、これを弾くフィルターがある。現場だ。「地に足のつかない次元上昇」を、現場が「それはいらない」とバサッと切る。スピードは遅いかもしれない。でも、その遅さが、上昇を地面につなぎとめている。

6.人間は遅い。だから、知性がある


その「遅さ」について、もう少し書きたい。これからの経営で、いちばん誤解されるのが、ここだと思うからだ。

AIの世界は、入力したら、すぐ出力が返ってくる。テキストから、テキストへ。でも、人間は違う。言葉は一度、身体の中で混ざる。スループット(通り抜けるのに、時間がかかる)を経て、ようやく出てくる。それが身体というものだ。

わたしはこの身体的知性を、AI時代の研究テーマとしている

僕たちの身体には、命の限りがある。限りがあるからこそ、志について考える。すぐには納得しない。動物だから。

これからの経営者は、「人間は遅い」と思ってはいけない。AIが速いから、つい「人間の部下は遅い、使えない」となる。でも、遅さを「知性がない」ではなく、「そこに知性がある」と捉えられるか。

もちろん、遅ければ知性がある、という単純な話ではない。人間の返答に、いつも知性があるとは限らない。それでも、「身体を通すことに知性が宿る」と信じられるかどうか ── そこが、人間の世界をまだ信じられるかどうかの、分かれ目になる。

だから、「意識が主へ」という転換と、「身体を手放さない」という戒めは、矛盾しない。むしろセットだ。次元上昇とは、身体からの離脱ではなく、身体を主に保ったまま、意識の次元を上げること。この二つを同時に握れる経営だけが、地に足のついた上昇をしていける。

7.それでも、今日の締めサバを


最後に、ひとつだけ。これだけ「意識」「概念」「集合意識」と、見えないものの話をしておいて、こう言うのも変だけれど ── 僕は、目の前の一皿を味わう力も、同じくらい大事だと思っている。

AIで何でもできるようになって、SNSを浴びるように見ていると、だんだん気分が下がってくる。激しすぎるニュースや、すごい人ばかりが目に入って、頭がざわざわしてくる。そういうとき、効くのは、目の前の締めサバだ。中トロ、海苔。その旨味と甘みを、ちゃんと「おいしい」と掴めること。

あの「味」がわからなくなったら、人間はおしまいだと思う。新しい時代の人間になれるかどうかの境目は、たぶん、そんなところにある。

「次元上昇」を掲げる経営は、笑われるかもしれない。でも、意識と肉体の主従が世代交代していくこの時代に、それは決して的外れな言葉ではない。むしろ、次の世代が当たり前に生きる世界へ、組織の前提を一段引き上げておこう、という、まっとうな宣言だと思う。

ただし、上昇しながら、身体を手放さないこと。締めサバを、ちゃんとおいしいと言えること。その両方を握れたとき、その言葉は、本当に「次元上昇」になる。だから僕は、その言葉を掲げた人を、笑わずに、応援したい。

読者へ ── いくつかの問い


あなたは、「肉体が主」と「意識が主」、どちらを当たり前だと感じているだろう。そして、あなたの子ども世代は、どちらだろう。

あなたの会社で、誰かが「次元上昇しよう」と言い出したら、あなたはそれを笑うだろうか、それとも翻訳しようとするだろうか。

AIで何でも速くなった世界で、あなたが最後まで手放したくない「締めサバ」は、何だろう。

締めのシメサバ。いっしょに食べながら話しませんか?笑

もし、あなたの会社にも「次元上昇」のような、まだうまく言葉にならないビジョンが降りてきていて、それを現場にどう翻訳すればいいのか、社内で誰も答えを持っていないとしたら ── その「翻訳できないもどかしさ」こそ、いちばん面白い場所だと思う。僕は、そういう現場に呼ばれて、一緒に言葉を探す仕事をしている。よかったら、その話を聞かせてほしい。

おわりに ── 翻訳できないもどかしさの、その先で

「次元上昇」を掲げる経営は、笑われるかもしれない。でも、意識と肉体の主従が世代交代していくこの時代に、それは決して的外れな言葉ではない。むしろ、次の世代が当たり前に生きる世界へ、組織の前提を一段引き上げておこう、という、まっとうな宣言だと思う。

ただし、上昇しながら、身体を手放さないこと。締めサバを、ちゃんとおいしいと言えること。その両方を握れたとき、その言葉は、本当に「次元上昇」になる。だから僕は、その言葉を掲げた人を、笑わずに、応援したい。

もし、あなたの会社にも「次元上昇」のような、まだうまく言葉にならないビジョンが降りてきていて、それを現場にどう翻訳すればいいのか、社内で誰も答えを持っていないとしたら ── その「翻訳できないもどかしさ」こそ、いちばん面白い場所だと思う。僕は、そういう現場に呼ばれて、一緒に言葉を探す仕事をしている。講演でも、研修でも、一社への伴走でもいい。よかったら、下のフォームから、その話を聞かせてほしい。きれいに整理してからでなくて、かまわない。むしろ、まだ言葉にならないまま、持ってきてくれたほうがうれしい。

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