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昭和55年。 Wikipedia には載っていない「リリヤーン」の話

 皆さまこんにちは! あいかわらずリリヤーンを使ってマクラメをしている owarimao です。  
(前回、前々回の記事はこちら↓)

 現在でも手に入る素材「リリヤーン」は、大正の末ごろに日本で開発されました。ちょうどその頃から昭和初期にかけて、何冊ものマクラメの本が出版され、マクラメブームが起こりました。
 「人絹(レーヨン)」のリリヤーンは、安価でカラフルな素材として本の中で推奨されたので、当時のマクラメの世界で持てはやされていました。
 これについて調べていたら、面白い資料が見つかったのでご紹介しましょう。ネット上で公開されているので、誰でも読むことができます。↓

 教育学者の皆川美恵子さんが、昭和55年に雑誌に発表された『児童文化探訪 リリヤン』という文章です。論文ではなく随筆風ですが、興味深い事実がいくつも含まれています。
 たとえばリリヤーンについて、ウィキペディアには下のようなざっくりした記述がありますが……

1923年(大正12年)に京都の糸職人がアメリカの商品から着想して発明した人造絹糸のメリヤス編み糸を、東京の糸問屋が(…)商品名を「リリヤーン」、商標をユリの花として販売した。

ウィキペディア「リリヤン」

 皆川さんの調査によればリリヤーンは、京都の「猪飼いかいさん」というメリヤス職人が「新しいひもの試みでいろいろいたずらをしている時にできあがった品らしい」といいます。
 つまり特定の目的があって開発されたわけではなく、遊び心の産物だったのですね。
 猪飼さんは、東京の糸問屋「池田兵三郎商店」にこれを持ち込み、売ってくれないかと頼みます。大正12年のことでした。

 時代はまさに大正末期から昭和にかけての、洋風文化が中流階層に浸透をみる頃であった。
(中略)
日本橋区若松町の、わが国における手芸専門店の先駆である三瀬商店では、1冊1円の円本をまねた、手芸の叢書を刊行する準備がととのえられていた。(中略)西欧手芸の流行に合わせ、手芸材料を専門に扱っていたこの店で、池田兵三郎商店のリリーヤーンも手芸用糸として大量に販売されていたのである。
 リリーヤーンは、はじめ何に用いられる糸かわからずに作り出されたものの、そのふっくらした光沢のあるしなやかさは、マクラメレースの材料として盛んに用いられるようになっていく。このような背景には、三瀬商店や手芸の先生方との連携が勿論考えられよう。三瀬商店が欧風手芸を紹介するわが国で初めての叢書『現代婦人手芸全集』を刊行し、手芸への案内・普及を試みたのは、その誠実で丁寧な営利をはなれた本作りとはいえ、手芸用品の売上げへの意図が全くなかったとはいえないであろう。
(中略)
しかし、三瀬商店はその後、全集の刊行がたたり、経営が苦しくなって倒産してしまっている。

皆川美恵子『児童文化探訪 リリヤン』
雑誌『幼児の教育』 昭和55所収

 ああ……何という……
 「営利をはなれた」手芸本は、やっぱりちょっと現実離れした「お花畑」だったのでしょうか……?

 しかし皆川さんの調査は、ここで終わらないのです。
 今とちがって昭和の時代は、電話帳で個人の電話番号を調べることができました。その結果、手芸全集の発行者である、三瀬商店の「瀬越喜作」氏(当時83歳)と連絡が取れたといいます。

 喜作氏のお話はまとめると次のようになる。
 『現代婦人手芸全集』は全7冊で、本屋では売らずに、全国に手芸愛好者の会員を募り、会員3万5千人の人達に対して、毎月1冊ずつ発行して送った。マクラメレース篇により、リリーヤーンは大いに売れ、池田兵三郎商店は大あたりをとった。

瀬越喜作氏は、囲碁の世界で有名な「瀬越憲作」の弟さんだとか

 3万5千という部数は、今日でも一般に大ヒットと呼ばれる数なので、昔の手芸の本としては超ベストセラーと言えるのではないでしょうか。
 それでも倒産したということは、やはり「営利をはなれ」すぎたのかと思われます。あと「円本ブーム」や「マクラメブーム」が数年で過ぎ去ってしまったことも関係しているかもしれません。
 債権者に追われるはめになった瀬越氏は、のちに「シルバー編機」の会社を興して成功されたということです(よかった)。

 ところで私はリリヤーンについて、過去に下のような記事を書きました。

 ただしこの中には、子どもの遊びとしての「リリアン」に関する、いいかげんな憶測↓も混じっていました。

 戦前の富裕層を連想させるリリヤーンは「古めかしいもの」になってしまい、戦後の気分にはマッチしなかったのかもしれません。
 そんなとき登場したのが、この糸を使った「リリアン」という遊びです。

owarimao の過去の記事

 つまり私はここで、遊びとしての「リリアン」は戦後初めて登場したもの、と書いてしまっているのです。それは下のようなウィキペディアの記事を鵜呑うのみにした結果でした。

筒状編み機「ニッチング」を用いてリリヤン糸をメリヤス編みする手芸が、「リリアン」と称されて昭和30 - 50年頃に手芸遊びとして大流行した。

ウィキペディア「リリヤン」

 ところが皆川さんの文章をよく読むと、こんなことが書いてありました。

●(玩具店に勤めた人によれば)リリヤンの最盛期は昭和7、8年から15、6年で、戦後になり少しまた流行したものの、それからは横這いといえるとのことだった。
●(瀬越氏によれば)子どもが使うニッチングは、大正末から昭和のはじめにかけ、三瀬商店で売っていた。しかし誰が考案したものか知らない。下町の木工所の職人が店にもってきたのを売った。ニッチングは当時、全国の手芸材料店で何十万個と売られていた。

 遊びとしての「リリアン」は、すでに戦前からありました……というより、戦前のほうがもっと盛んだったことがわかりました。
 大発見!

なかなか完成しないな

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