「くり返し模様」について、安野光雅さんと考える(マクラメサンプラー完成)
皆さまこんにちは! 懲りない手芸マニアの owarimao です。
およそ2ヶ月前からやっている「マクラメのサンプラーづくり」。先週、最後の模様を作り終えました。
A3の額に入れるつもりですが、背景をどうするかという問題があります。下の写真は、前から買ってあった「洗えるフェルト」。おとなしい色ばかり4色です。材質はウールでなくてポリエステルかなにかです。
淡い緑もいいかな……と思って試しました。茶色や紺色との組み合わせは確かにきれいですが、色がきれいすぎるのは逆に落ち着かないような気がします。
やっぱり地味なベージュのほうが、長い目で見ればいちばんしっくり来るかも。というわけで、ベージュに決定です。

パッケージから出すとシワがあるので、アイロンがけします。
でもなかなか消えない。かなりがんばっても、シワを完全に取ることはできませんでした。
さらに問題は、幅がごくわずかに足りないことです。フェルトの大きさは40cm角ですが、額の横幅はそれよりちょっとだけ大きいのです。

両端をつかんで引っぱると、少し伸びてぴったりのサイズになってくれました。安物の薄っぺらいフェルトだから伸びるのです。
額縁に最初から入っていたダンボールの板に、セロテープで貼りつけ。

表に返して作品を、バランスを考えながら並べていきます。
作品の裏に両面テープをつけて、軽く固定しました。あまりこういうことはしたくないけど、これをしないと、どうしても額の中で位置がずれてしまいます。
「額に入れる」だけなのに、けっこう頭を使わされました。

できました!
朝顔のターコイズブルーが引き立つように、配色を考えました。
作りながら「地味すぎるかな?」と思うこともあったけど、やはりこれで良かったと思います。こういう地味めの色合いが好きなんです。

できばえに有頂天になって、何度も何度も眺めてしまいました。
刺繍とかパッチワークだったら「サンプラー」はよく見かけますよね。それなら「マクラメのサンプラー」があってもいいんじゃないでしょうか?
それにしても……
こういうものを作りながら改めて実感するのは、自分の中に
「模様が好き」
「模様を作りたい、集めたい」
という欲求がある、ということです。
下の写真の右側に写っているのは、有名な「システィナ礼拝堂」の絵葉書です。むかしイタリアを旅したときに買ってきました。

この礼拝堂に入った人はみんな、上を見て歩いています。天井や壁の上部が、ミケランジェロの超有名な絵画で飾られているからです。
でもそれだけではありません。実は礼拝堂の床には、手のこんだ石のモザイクがびっしり施されています。
みんなが上を見ているのに、私は足元のモザイクが気になって、しきりに下を見ていました。こんなすごいものを踏みつけて歩くなんてもったいないな、と思いながら。
だから床のモザイクが写り込んでいる絵葉書を選んで買ってきたのです。その部分だけ切り抜いてみましたので、よかったら拡大してご覧ください。驚くほど細かくて、種類が多くて、しかもカラフルなモザイクで埋め尽くされているのがわかります。

街中のいろんなところに凝ったモザイクが見られる
それにしても不思議なのは、自分がなぜ、ミケランジェロの絵よりもモザイクに強く惹かれるのか、ということです。
「(絵よりも)模様が好き」とは、どういうことなのだろう? 「模様」の何に惹きつけられているのだろう?
その疑問に対する答えを、ある程度まで与えてくれるのが、この『美の幾何学』という本です。

有名な画家で、数学にも造詣の深かった故・安野光雅さんが、幾何学の「美」について、理系の専門家と語り合っている内容です。一般向けに作られた本ですが、数学苦手人間にとってはそれでも難しく、読みこなせない部分が多いです。
でもこの中の「紋と文様の魅力」という章には、ほんとうに「わかるわかる!」と言いたくなる部分がありました。「くり返し文様、その目まいのする快感」「参加する美学」という二つの節です。ほんの10ページ足らずなので、その部分をじっくり読みました。
安野さんらによれば、「くり返し模様の本当の面白さ」は次のような点にあるといいます。
①模様の見え方が一つだけでなく、目を移すにつれて変化する(一つの円が別の円の一部になり、次から次へ広がっていく・図と地が反転する・離れて見ると違って見えるなど)
②模様をただ見るだけでなく、自分で描いてみることができる
(夢中で描いていると「天の命令によって描かされている」ような気持ちになり、単純なくり返しそのものが快感になる)
②との関連で安野さんらは、手仕事の面白さについても語っています。引用してみましょう。
伏見 (くり返し文様は)単に眺めるという姿勢で見ているのではなくて、自分が参画して作っているというような形で見ると、非常に面白くなる。
中村 竹籠編みなんていうのは(……)文様が出来ていくのと物が出来ていくのとがぴたっと一致しているという、その魅力があるんでしょうね。
安野 毛糸編むのも、レース編むのもそうですね。
中村 だから、子どもに毛糸の編み方を教えて、文様のあるのを作りだすと、靴下なんかとめどなく長いのを作っちゃう。(笑)
安野 最近(注:1979年ごろ)、駄菓子屋で売ってるリリアンていうやつがあるでしょう。木の筒があって、糸をかけて編んでいく。なんてことはない、ただ糸を編んで紐を作るだけのことですね。(……)それでもあれをやらしてごらんなさい。(……)限りなくやりますね。男の子のほうにむしろ多いです。あれはもう快感なんですね。その快感と、文様の平面的なくり返しというのは、決して無関係じゃないですよ。
(もとは1979年に、中公新書として出た)
これを読んで共感する手芸好きの方は多いんじゃないでしょうか。
安野さんは画家になる前に、小学校の教師をした経験がありました。たぶんそれを通して、「子どもの遊びとしての手芸」について、実地に知っておられるわけです。日本の伝統文様の一つ「紗綾形」を黒板に描かせたら、子どもたちは夢中になったそうです。
ところで、大人になってもやっぱり「くり返し文様」に惹かれ続けている私が、その理由を自分なりに補足してみたいと思います。
それは、「くり返し」とはそもそも、日常生活の本質じゃないか、ということ。
ミケランジェロとちがって、平凡な人間の生活は、平凡なくり返しの連続です。とりたてて才能は必要ありません。けれどもそれを長いあいだ規則正しく続けていくことはけっこう大変で、だからそれが達成されていると、人間はなんだか共感しちゃう。作った人の平凡な人生がなんだか輝いているみたいに見える。そこに見事さ、立派さを感じとり、「美しい!」と思うのではないか。
うーん、うまく言えないな。でもなんとなく、言いたいことはわかっていただけるんじゃないでしょうか?
