名護屋城 後編(草庵茶室跡・山里丸・日本100名城)
2026年2月、佐賀県唐津市の「名護屋城(なごやじょう)」に登城しました。
トップ画像は現地で「バーチャル名護屋城」アプリで見た「草庵茶室(そうあんちゃしつ)」の画像です。外郭の遺構でも利用できて楽しかったです♪

「三ノ丸」から「本丸北」口方面へ向かいます。そのまま直進して「水手曲輪」へ降りてみます。



「水手曲輪」は整備中の様ですね。水に関する施設があったようです。


「水手口」を出て「上山里丸」にある「草庵茶室跡」を目指します。

名護屋城と大名陣屋では、当時の政治や外交の手段として「茶の湯」が重要な役割を果たしており、数多くの「草庵茶室(そうあんちゃしつ)」が造られました。




「草庵」とは、山里の質素な小屋をイメージした茶室のことです。二畳や三畳といった極めて狭い空間に、土壁、竹、皮付きの柱など、自然の素材をそのまま活かした造りです。
文禄の役のでは、名護屋城には徳川家康、伊達政宗、加藤清正など、全国から100以上の大名が集結しました。緊迫した状況下で、秀吉さんは大名たちを茶会に招いて結束を固めたり、自らの権威を誇示したりしました。
密談もしていましたよね、家康さん!?


千利休は名護屋城が完成する直前に切腹していますが、彼が確立した「わび茶」の精神(草庵茶室)は、この地で花開しました。









名護屋城において、「古田織部(ふるたおりべ)」は、武将としての任務を遂行する一方で、千利休亡き後の「天下の茶の湯の指導者」としての地位を確立しました。

古織さんは豊臣秀吉の直臣大名(3万5千石)として名護屋城に参陣しました。
千利休が切腹した後に、秀吉さんの茶の湯の師範役を実質的に引き継いだのが古織さんでした。秀吉さんが諸大名を招いて開く茶会の演出や指導を行いました。
名護屋城には全国から大名が集結していたため、古織さんは彼らに茶の湯を教えることで強力な人脈を築きました。

「台所丸」にある「太閤井戸」は、今でも水をたたえています。

最後の目的地「山里口」に辿り着きました。こちらの石垣はきれいに遺されていますね。普通のお城なら大手口の規模です。



本当に巨大な城郭でした。ノンストップで3時間かかりました。とてつもなく楽しかったです!
まだ陣屋巡りと唐津城攻めが残っています。ワクワク〜
ところが、このあと暗雲が立ち込めます。
てことで、完結編に続いてしまいます。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

