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ホーチミンの生家を訪ねる🇻🇳|キムリエン村(ゲアン省)の見どころと歴史まとめ

ベトナム建国の父ホーチミンの生家が残るゲアン省キムリエン村を解説。ホーチミンの人生、父方・母方の生家の見どころ、ヴィン市からのアクセス、見学のコツまでまとめた観光ガイド。

ベトナムのお札の顔といえば、ホーチミン主席である。ベトナム建国の父であり、今もなお「ホーおじさん(Bác Hồ / バック・ホー)」としてベトナム人から最も敬愛されている人物だ。

ベトナムの街を歩けば、至る所にホーおじさんが

本記事ではゲアン省の最も重要な歴史遺産であるホーチミンの生家(キムリエン村)について、現地をすでに20回以上訪問している筆者が観光ガイドをガイドを書いてみたいと思う。


ホーチミンの生家があるキムリエン村とは

50万ドン札に印刷されている生家

ホーチミンが生まれ育ったキムリエン村は、ヴィン市(ハノイから飛行機で40分)から約15キロ地点にあり、日帰りで訪問できるホーチミンの生家跡である。観光で訪れる際、「母方の村」のホアンチュー村(Hoàng Trù)「父方の村」のキムリエン村(Kim Liên)の2箇所を見学することが基本だ。所要時間は1.5〜2.5時間ほど。
彼の生家はベトナム人学生の修学旅行や社員旅行の定番スポットとなっている。しかし、単なる記念館ではなく、貧しい農村に生まれるも、やがてベトナム独立運動の指導者となっていく一人の少年の出発点を、原風景ごと体感できる場所となっている。

ゲアン省に住むJICA海外協力隊として20回近く訪問した私が、あまり知られていないホーチミン氏の激動の幼少期と人生を簡単に振り返りつつ、観光ガイドをお届けしたいと思う。ベトナムの歴史を現地で感じたい人、ちょっと変わったベトナム旅行に興味がある人に届くことを願う。

ホーチミンの人生を簡単に振り返る

ホーチミン誕生|ゲアン省ナムダンの二つの村

彼の人生に触れる前に、少し彼の両親の物語を紹介したい。

ホーチミンの父、グエン・シン・サックは、幼くして両親を亡くした孤児であった。しかし、同じ村の有力者であった儒学者ホアン・スアン・ドゥオンに勉学の才を見出され、その家に迎えられて学問の道へ進むことになる。ドゥオンはサックのひたむきに学ぶ姿勢と人柄を高く評価し、自身の娘であるホアン・ティ・ローンとの結婚を勧めた。そして二人は結婚することとなる。
ドゥオンは自らの家の敷地内にサックとローンのための茅葺きの小さな家を建てた。1890年5月19日、ホーチミンはこの母方の村(チュア村)で、3番目の子として産声を上げる。

ホアンチュー村。右がスアン・ドゥオンの家、左がサックとローンの家
サックとローンの家。3間の小さな家である。

当時のホーチミンの幼名は、グエン・シン・クン(Nguyễn Sinh Cung)。ちなみに彼は生涯で170以上の別名やペンネームを使ったと言われている。「ホー・チ・ミン(胡志明:光をもたらす者の意)」という名も、のちの1942年頃、中国での活動の際に自ら名乗り始め、1945年の独立宣言を経て世界に知れ渡ることとなる。

ホーチミンは5歳まで、この母方の村で過ごした。

一方で、ホーチミンが生まれた頃のベトナムはすでにフランス植民地支配の下にあり、農村では重い生活苦が続いていた。ホーチミンもその貧困の中で幼少期を暮らすこととなる。特にゲアン省はベトナムの中でも最も貧しかったと言われる。

ゲアン省は痩せた土地と過酷な気候のためにベトナムでも最も貧しく、またそのため人々の強い反骨精神を背景に、古くから革命や反乱の温床となってきた土地である。

べトナム戦争 誤算と誤解の戦場(松岡完 著)
1900年ごろのゲアン省ヴィン市の街並み
反政府デモで捕まった人々

首都フエへ|極貧生活と母との別れ

父サックは、当時の官僚登用試験である「科挙(かきょ)」に挑むため、村で猛勉強を続けていた。科挙とは、何千人ものエリートが人生を懸けて挑む非常に難易度の高い国家試験である。家は貧しかったが、学問によって国を憂う父の姿は、幼いクンに大きな影響を与えた。同時に、母ローンも機織りや農作業で家計を懸命に支えていた。

父サックが勉強した机(サックとローンの家にて)

1895年、父サックが科挙のさらに上の試験(会試)を目指し、国立の最高学府で学ぶために当時の首都フエへと移住する。それに伴い、母ローンと幼いクン(ホーチミン)たちもフエへと同行した。

しかし都フエでの暮らしは決して華やかなものではなかった。田畑もなく、家計は常にぎりぎりだった。母ローンは機織りで一家を支えたが、都の職人たちに交じって生計を立てるのは容易ではなく、昼も夜も休みなく働かなければならなかったとされる。

そして、ここで悲劇が一家を襲う。1901年、父が試験のためにフエを離れていた最中、母ローンが第4子を出産した直後に病に倒れ、33歳の若さでこの世を去ってしまう。当時わずか11歳のクン(ホーチミン)は、異郷の地で母の死を看取り、残された乳飲み子の弟の世話をするという壮絶な経験をする(この弟も間もなく亡くなってしまう)。この幼少期の悲しみと原体験が、のちの彼の「弱者への慈愛」の精神を形作ったと言われている。

キムリエン村での日々|憂国と愛国心

深い悲しみの中、父サックはついに科挙の「副榜(ふくぼう:合格者の上位クラス)」という見事な成績を収める。1901年末、父の栄誉に伴い一家はゲアン省へ帰郷。この時、サックの故郷であるキムリエン村(セン村)の人々が、村初の快挙を祝って彼らに家を建てて贈った。現在、50万ドン札の裏側に印刷されているあの茅葺きの家が、この時村人から贈られた家である。
クンはここで11歳から15歳までを過ごす。父はクンが学問で大成することを願い、名前を「グエン・タット・タイン(Nguyễn Tất Thành:必ず成功する者)」へと改名させた。

キムリエン村の父サックの家

タイン(ホーチミン)は父の指導で漢学やフランス語を学ぶ傍ら、父の元を訪れるファン・ボイ・チャウなど、当時の有名な愛国知識人たちの植民地支配への怒りや民族の将来をめぐる議論を間近で聞いて育った。

ファンボイチャウ(ゲアン省ファンボイチャウ記念館にて撮影)

ちなみに、ファンボイチャウは大隈重信、犬養毅、後藤新平と接触し「東遊運動」という当時近代化に成功していた日本に若いベトナム人学生を送り、学び・訓練させる運動を主導した人物である。ホーチミンもファンボイチャウから日本への留学を進められたという。

救国の旅へ|サイゴンからの船出

その後、タイン(ホーチミン)はヴィン市の仏越学校で学び、南部のサイゴン(現在のホーチミン市)へと向かう。

1911年6月5日、21歳になったタインは、サイゴンのニャーロン港(ナロン港)から、フランスの客船アミラル・ラトゥーシュ=トレヴィル号に乗り込む。「ヴァン・バ」という名で船のコック見習いの過酷な職を得て、彼は世界に一歩踏み出すこととなる。

アミラル・ラトゥーシュ=トレヴィル号

彼が西へ向かった理由については、先人たちが日本への留学に活路を見いだしたのに対し、ホーチミンはフランスそのものを知る必要があると考えていたからともされる。また他に、「若いころ(ヴィン市の仏越学校時代)に『自由・平等・博愛』を聞き、その裏に何があるのか自分の目で確かめたかった」とも回想している。

コック見習い時代のホーチミン

海外生活|共産主義との出会い

フランスでの生活は決して華やかなものではなかった。彼は写真館の手伝いや工芸店での仕事など、さまざまな労働でなんとか生活をつなぎながら、新聞に植民地の現実を書き、世界に訴え続けた。
1920年、レーニンの民族・植民地問題に関する論文を読んだ彼は、ベトナム独立の道筋をそこに見いだし、以後、共産主義思想(さらに詳しくいうと、民族独立と社会主義を結びつけるマルクス・レーニン主義の立場)に大きく傾いていった。その後も彼は世界中を渡り歩きながら知見を深め、友を作りながら、最終的にベトナム共産党を創設することとなる。

ホーチミンが訪れた国々
ホーチミンがフランス時代に滞在していたおんぼろアパート
ホーチミンが寄稿した挿絵。この当時ホーチミンは、グエン・アイ・コック(Nguyễn Ái Quốc)という名前で政治活動をしていた。アイ・コックは「愛国」という意味である。

ベトナムへの帰還|第二次世界大戦と独立宣言

ハノイでの独立宣言(1945年)

その後、第二次世界大戦のさなか、日本軍はフランス本国の敗北につけこむ形で、日本軍は1940年にベトナムへ進駐する。日本軍は「日仏二重支配」に近い状態を築いた。当初、日本軍の占領はフランスの支配と弾圧に喘ぐベトナムの人々に「解放軍来たる!」と熱狂をもたらした。しかし、日本の支配はすぐに「解放」ではないことを露わにする。軍事優先の統制や物資調達は人々の生活を圧迫し、1944~45年の大飢饉(餓死者は数十万人、多い数字で200万人)では、日本とフランス双方の政策が深刻な被害をもたらした。

こうした激動の国際情勢を見据え、ホーチミンは30年に及ぶ海外生活ののち、1941年1月に祖国へ帰還する。
そして同年5月、抗日・抗仏のためにベトミン(ベトナム独立同盟)の結成を主導した。さらに1945年3月、日本がフランス当局を武力で排除すると、ホーチミンは対日闘争をいっそう鮮明にした。

そして、1945年8月に日本が敗戦すると、ベトナムには大きな政治的空白が生まれる。この歴史的な瞬間をとらえて、1945年9月2日、ホーチミンはハノイのバーディン広場でベトナム独立を宣言した。

ベトナムは独立を宣言したものの、その後フランスは再度ベトナムに進駐。フランスとの9年にわたる第一次インドシナ戦争(1945年~1954年)が始まる。フランスとの戦争に勝ったのちも、冷戦下で東南アジア諸国の赤化(共産主義化)を阻止したいアメリカとのベトナム戦争(1955年~1975年)も起こり、長い苦難の道を歩むこととなる。

こちらの本に詳しいので気になる方はぜひ読んでいただきたい。

朝日新聞出版 最新刊行物:文庫:ベトナム戦記[新装版]

べトナム戦争 誤算と誤解の戦場 -松岡完 著|中公新書|中央公論新社

51年ぶりの帰郷|ようやくキムリエン村に帰る

世界を巡り、ついに国を率いる国家主席となったホーチミンが、故郷キムリエン村に再び足を踏み入れたのは、故郷を離れてから実に51年後の1957年のことであった(その後1961年にも再訪)。ホーチミンは67歳になっていた。

村人たちは指導者となったホーチミンの凱旋に最高級の歓迎の準備をしたが、彼はそれを制止し、昔のままの質素な衣服で現れたという。「私は国の指導者としてではなく、この村の一人の息子として帰ってきたのです」と語り、幼馴染みと抱き合い、かつて過ごした茅葺きの家で涙を流したという。

ホーチミンの素朴な人柄が分かるエピソードがある。別れ際、人々は、生家の庭に花を植えて美しくしたいと願い出た。しかしホーチミンは、「花を植えるのはいい。でも、サツマイモの花だってきれいじゃないか!」といい、当時なお貧しかった人々の生活に役立つ作物を育ててほしいと語ったという。それ以来、生家の庭では、季節ごとに、その時期にふさわしい作物だけが植えられるようになった。

生家の前のサツマイモ畑

その後|歴史が息づく村へ

ホーチミンは、ベトナム南北統一という悲願の達成を見届けることなく、ベトナム戦争の最中の1969年にこの世を去った。しかし、彼の遺志は今のベトナムの人々に深く刻み込まれている。

ゲアン省のキムリエン村を歩けば、彼が過ごした茅葺きの家、庭の木々、そして静かな池が当時のまま保存されている。単なる偉人の記念館ではなく、一人の貧しい村で育った少年がいかにして国の苦しみを背負い、世界へ羽ばたいていったのか。その息遣いを肌で感じることができる特別な場所である。

観光案内|キムリエン村の見どころ

ゲアン省観光マップ、①ヴィン市、④ホーチミンの生家

ホーチミンの生家はゲアン省省都のヴィン市(Vinh)からタクシーで15分の位置にある。ヴィン市にはヴィン空港があり、ハノイからは約40分、ホーチミン市からは約2時間でゲアン省に来ることができる。

父サックの村(キムリエン村)

父サックの村(ホーチミンが11歳から15歳まで過ごした家)はこちら。50万ドン札に印刷されている家である。ご近所の家を含めて村まるごと保存されている。

ホーチミンを祀る廟もここ、父サックの村内にある。廟の両サイドにはホーチミンの遺品などが展示された博物館があるので時間がある方は見学してほしい。

ホーチミン廟
ホーチミンの名言「独立と自由より尊いものはない」

父の村に入るときは受付にて簡単な登録が必要。Google翻訳を駆使して登録するとよい。また、受付で献花用の花束を買うことができる。

受付施設

母ローンの村(ホアンチュー村)

母ローン(ホーチミンが5歳まで育った)の村はこちら。父サックの村から車で3分、徒歩20分の距離にある。

手前が父サックとローンの家。右奥がホーチミンの母方の祖父母の家。

お土産

周辺にはお土産屋さんもあるので記念にどうぞ!

ゲアン名物クドー(Cu Đơ)と左奥に見える名産の蓮茶(Trà Sen)
軍用車などのタイヤで作られたサンダル、ホーチミンも履いていたらしい

キムリエン村へのアクセス

ヴィン市から生家までの移動は、タクシーの利用がおすすめ。ヴィン市内ではGrabやXanh SM Taxiが利用できる。
ただし、生家周辺ではGrabや流しのタクシーを捕まえるのが難しいため、行きに利用したドライバーにそのまま周辺で待機してもらうのが安心。そのタクシーで母方または父方の生家にも立ち寄り、そのままヴィン市へ戻るとスムーズ。

訪問時の注意点

①昼の時間帯は閉まっていることが多いため、訪問は午前9時〜11時頃、または午後1時〜5時頃がおすすめ。
②ゲアンの夏は暑いので帽子などの暑さ対策をしたほうがよい。
③服装はできれば短パンより長ズボンが良い。

最後に

ベトナムの歴史に興味がある人には、キムリエン村はぜひ訪れてほしい場所である。派手さはないが、ホーチミンという人物の原点と、ベトナムの近代史の重みを静かに感じられる。さらにゲアン省には、ヴィン市、クアロー、タインチュオン茶畑、プーマット国立公園など多彩な見どころもある。
キムリエン村の訪問を入口に、ぜひゲアン省の旅を広げてみてほしい。

ゲアン省観光の全体ガイドはこちら

ゲアン省・ヴィン市観光ガイドはこちら

ゲアン省が誇る北部最大の国立公園のガイドはこちら

ではでは!


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