90年代アンダーグラウンド・パンク/ハードコアを巡る【第3回】
ジャンルが裂けていく
90年代後半、日本のアンダーグラウンド・シーンはどこへ向かったか
1990年代の中盤から後半にかけて、日本のアンダーグラウンド・パンク/ハードコア・シーンは、目に見えて“分かれて”いきました。それは、衰退でも縮小でもありません。むしろ、それぞれの方向性が先鋭化し、多様なジャンルとして「深化」していった時代だったとも言えるでしょう。
「パンク自体はライフスタイルで、音楽ジャンルではない」としたら、その中で、ある基準に沿った集積が個別の深化を辿るのは当然といえば当然です。ハードコア、メロコア、ミクスチャー、ポストロック、エモ、ポップパンク…ひとつだったものが割れていったのではなく、もともと内包していた多様性が、それぞれの居場所を見つけ始めた。そんな表現が正しいかと思います。今回はそんな90年代後半の「ジャンル的深化」について、いくつかの流れを見ていきます。
「パンクが売れた」「メインストリームパンク」という衝撃:Hi-STANDARD
90年代後半、日本の音楽シーンにおいて「パンクが売れる」という現象が現実のものとなりました。その最前線にいたのが、Hi-STANDARDです。
英語詞、メロディックなコード進行、キャッチーなコーラス、速いビート。
彼らはそれまでの「不器用なDIYパンク」から一歩踏み出し、音楽的完成度とポップネス、そして独立精神の両立を成し遂げたバンドとして、多くの若者を惹きつけました。
メロディックハードコアの金字塔となった「MAKING THE ROAD」は、インディーレーベルであるPIZZA OF DEATHからのリリースにもかかわらずミリオンセールス、レコ発のツアーは即完売、音楽誌では多くの特集が組まれ、完全に“メジャー級”の存在へと成長しました。その成功は、「インディーでも、英語でも、パンクでも売れる」というありえない事象を可視化したという意味で、日本のメロコア/パンクシーンに計り知れないインパクトを与えました。若年層を中心に“メロコアブーム”とも呼ばれる一種のスタイル模倣と量産の時代が幕を開けます。
その隣で進んでいた、もう一つの深化:HUSKING BEE、THUMB、REACH
そのHi-STANDARDの影響下にあるようで、それとは若干空気が異なる場所で、地道に実直な進化を遂げていたバンドたちもいました。
Hi-STANDARDがNOFX直系のメロコアを比較的ストレートに継承する立場に置いたことに対して、90年代前半のDIYメロディックを土台にしながら、より演奏や音質の洗練を進め、メロディックパンクというジャンルを「音楽性そのものとして掘り下げよう」としていた動きです。この時期に頭角を現したのが、HUSKING BEE、そしてTHUMB、REACHといったバンドたちです。彼らはHi-STANDARDと活動時期も重なり、Hi-STANDARDを中心とした当時のムーブメントに巻き込まれる形でファンを獲得できた側面は否めませんが、独自性のある活動方針と音楽性を徐々に形にしていきました。
このへんの話は、前身のSherbetやGreenGiant、Damegeにまでに及んだ、比較的この界隈でも有名なエピソード群があり、それこそ語り出すとキリがないので簡単な紹介とします。これらのバンドは“Hi-STANDARD周辺”としての認知拡大が背景にあったものの、その影に隠れることなく、むしろ対照的な立ち位置として「売れるパンク」とは別の道を歩んだ“深化系”メロディックの代表格といえるでしょう。
サウンドの交差と雑食性:BACK DROP BOMB、ヌンチャク、The Mad Capsule Markets
また、90年代後半は、ハードコアやパンクの枠を越えてさまざまなジャンルが交差する実験的な時代でもありました。ヌンチャクは、暴力的なまでのパフォーマンスとコミカル、ユーモアを混在させ、ハードコアの持つ破壊性を比較的キャッチーに表現したことでファンを獲得しました。BACK DROP BOMBは、ヒップホップ、ファンク、ラウドロックの要素をミックスしたサウンドで、オーディエンスを踊らせることを重視しました。そのライブはフェス型イベントにも高く適応し、パンクにクラブ的身体性を持ち込んだ象徴でもありました。The Mad Capsule Marketsは、90年代中盤以降にデジタルハードコアやインダストリアル要素を大々的に取り入れました。日本においてテクノロジーとラウドのクロスオーバーをいち早く実現し、他のミクスチャーバンドと一線を画す存在でした。
これらのバンドは、ジャンルの溝をあえてまたぐことで、身体性・速度・圧力といった感覚の領域で、音楽の可能性を押し広げていたと言えるでしょう。
激情と美学のハードコア:envy
同じく90年代後半、世界的にも“激情系”あるいは“エモーショナル・ハードコア(エモコア)”と呼ばれるスタイルが確立していく中で、後に国際的にも広く注目を集めるバンドが登場しました。それが、envyです。
envyはポストロック的な展開を取り入れた独自性の強いハードコアを構築。この時期はハードコアから、比較的音質として軽いエモコアへの派生が増えていた時期でしたが、彼らはハードコアを別のベクトルで深化させた存在です。怒りや暴力だけではなく、叙情性・絶望・祈りといった感情のうねりを音に変える。かつ音はより重く、壮大にという方向性を示しました。
言葉と旋律の深化:eastern youth
一方で、音響の厚みとはまた違う方向に、言葉と旋律の精度で深度を増していったバンドも存在します。その代表格が、eastern youthです。
札幌で活動を始めた彼らは、後に東京へ拠点を移し、自身のレーベル「坂本商店」からコンスタントに作品を発表。日本語でしか歌えない/語れないものを誠実に追求し続け、聴く者の内側に静かに入り込むようなパンクを奏でました。
爆発力やスピードとは異なる軸で、“個の物語”を社会と接続する手段としてのパンク”を体現していたとも言えるでしょう。激情という言葉に頼らず、語りと旋律の反復で浸透していく音楽。その静かな存在感は、同時代の激情ハードコアや内省的メロディックとも接点を持ちながら、明らかに独自の位置を保っていたのです。
90年代後半、それは分裂ではなく、分化だった
90年代後半にパンク/ハードコア・シーンがバラバラに見えたのは、むしろそれぞれが自分の文法、自分の音楽、自分の身体性を手に入れたからではないでしょうか。
Hi-STANDARDのように突き抜けるバンドがあれば、HUSKING BEEのように内側へ掘っていくバンドもあり、BACK DROP BOMBやThe Mad Capsule Marketsのように横断を試みる者もいれば、eastern youthのように足元を見つめる者もいました。分裂ではない、分化だった。この言葉が、90年代後半の日本の地下音楽文化の本質を、最もよく言い表しているのかもしれません。
この時期は非常に紹介したい、本来はすべきバンドが多いのですが(ブラフマンやショートサーキットはどうした、とか言われなくても分かってはいます)個人的に印象的、象徴的なバンドの紹介に留まっていることをご了承下さい。また次回は「ポスト2000年代の“地下”のゆくえ」と題し、インターネット時代の到来とともに変容していくシーンの姿を見ていきます。
