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90年代アンダーグラウンド・パンク/ハードコアを巡る【第2回】

「Set You Free」という旅— ツアー文化が紡いだ人とバンドのネットワーク

1990年代の日本のアンダーグラウンド・シーンにおいて、「イベント」という言葉は、単なる一夜の企画ではなく、地続きの交流と信頼の場としての意味合いを強く持っていました。

なかでも、1995年頃から始まった『Set You Free』というツアーイベントは、その象徴とも言える存在です。ここでは、ジャンルを問わずさまざまなバンドが交差しながら、全国を移動し、観客と出会い、時に家に泊まり合いながら、「ライブをしに行く」ことそのものが文化になっていった様子を紹介します。

千葉氏と「Set You Free」のはじまり

Set You Freeを立ち上げたのは、当時から音楽業界で幅広い活動を行っていた千葉英樹氏。彼はもともとパンク、ガレージ、オルタナなどに造詣が深く、メジャー/インディーの垣根を越えた独特の審美眼を持つ人物でした。

Set You Freeは、もともと小規模なブッキング企画として始まりましたが、「一回のイベント」ではなく「巡る企画」として継続的に開催された点が特徴的でした。地方ライブハウスやクラブと連携しながら、同じバンドを複数都市で出演させ、各地の観客やプレイヤーとの接点を育てていく。この運営スタイルは、ライブ文化を「点」から「線」、そして「面」へと拡張していく仕組みでもあったのです。

シーン横断的な選曲と独自のバランス感覚

Set You Freeの特異性は、その選ばれるバンドの幅の広さにも表れていました。ガレージパンクやロックンロール、メロディックパンク、オルタナティブ、ノイズ寄りのバンドまで、ジャンルに縛られず、それぞれが“ライブが面白い”という一点で結びつけられていたのです。

このイベントに出演していたバンドには、

  • ニューロティカ

  • SUPERSNAZZ

  • THE HAVENOT'S

  • FRUITY

  • DMBQ

  • ロリータ18号

  • SUPER JUNKY MONKEY

といった面々が名を連ねており、いずれもジャンルを超えて観客と交わることのできるバンドばかりでした。

中でもFRUITYのように、明るく親しみやすいポップパンクで観客を巻き込むタイプのバンドと、SUPER JUNKY MONKEYのようなテクニカルかつアグレッシブなスタイルのバンドが同じ企画で共演するということ自体が、Set You Freeの象徴的な風景だったと言えるでしょう。

地方と都市をつなぐ「対等な場所」

Set You Freeは、都市部だけでなく、地方都市での開催にも力を入れていました。北は北海道から南は九州まで、大小問わず全国のライブハウスを巡回するスタイルは、当時のインディーシーンでは異例とも言えるものでした。

それは、単に出演者を移動させるだけでなく、地方にいる観客やプレイヤーに「この場所で何かを起こせる」という実感を届ける試みでもあったのです。

また、Set You Freeは出演バンドに“上下関係”を持たせずに組まれるブッキングでも知られており、知名度の有無にかかわらず、出演者が同じ目線で舞台に立つことができました。これは「ライブハウスで会おう」という精神を、そのまま実践したような姿勢だったとも言えるでしょう。

レーベルやメディアの補完としての機能

Set You Freeのようなツアー型イベントは、単にライブを見せるだけではなく、作品リリースの文脈とは別に、バンドの魅力を観客に直接届ける“物理的なメディア”としての機能を果たしていました。

とくにまだ音源を出していない新人バンドにとって、ライブでの評判や、現場での口コミが最大のプロモーション手段であり、Set You Freeの場はそのための“最初の踏み台”にもなっていたのです。

レーベルの所属や販売網の有無よりも、ライブ現場で光るかどうか
Set You Freeは、まさにそうした判断基準を共有していた場であり、音源よりも先に“体験される”バンドを生み出す土壌になっていたと言えるでしょう。

旅するイベントが遺したもの

Set You Freeは、2000年代以降も継続的に開催され、その後の日本のインディー/ガレージ/パンク系ツアーイベントのモデルにもなっていきました。

このイベントが遺した最大の功績は、「ライブをすること」と「旅をすること」を不可分なものとして文化化した点にあるのではないでしょうか。

音源だけでは生まれない空気、ZINEやインタビューにも記録されない一体感。それは車で移動し、知らない土地でセッティングをし、飯を食ってライブをして、打ち上げをして寝るという、身体を通じてしか得られない何かでした。

そして、その「何か」を信じて音楽を続けていく人たちの、静かで熱い往復運動のなかに、90年代の地下音楽文化の根幹が見えてくる気がします。