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90年代アンダーグラウンド・パンク/ハードコアを巡る【第1回】

90年代前半、DIYとツアーが拓いた日本のアンダーグラウンド

1990年代の日本では、音楽文化の多くが東京や大阪といった都市部に集中していました。レコードショップや雑誌メディア、ライブハウスもほとんどが大都市に集まっており、地方に住む音楽ファンやバンドにとって、「発信する」ということ自体がひとつのハードルでもありました。けれどそんな中で、インフラが整っていないからこそ“自分たちのやり方で”やるしかない、という姿勢が芽吹いていきます。それが、後に“DIYパンク”と呼ばれるものの、1990年代前半における一つの形でした。

自分で始め、自分で続けるという方法

当時、まだMP3やSNSはおろか、インターネットすら普及していませんでした。バンドの音源を人に届けるためには、スタジオで録音し、CDやレコード、カセットにして手売りや郵送で流通させるしかなかったのです。

そのため、90年代前半の地下シーンでは、自主制作による7インチレコードやカセットテープといった、“比較的手が届きやすい物理メディア”が主流でした。ジャケットや歌詞カードも自作されることが多く、作品とは呼べないような粗さや不器用さも含めて、“今ここにいる自分たちが鳴らしている音”をそのまま形にするという実感が大事にされていました。

音源とツアーでつながる

音源の制作と並んで、バンド活動に欠かせなかったのが地方ツアーです。ある地方で活動しているバンドが、別の土地のバンドに声をかけられて共演する。そのバンドが次は自分の地元でイベントを開き、今度はそちらへ呼び返す。そうした「相互に呼び合う」かたちで全国的なライブネットワークが築かれていきました。

連絡手段は手紙や電話が中心で、ツアーの宿泊先もたいてい相手バンドの自宅や関係者宅。出演料もほとんど発生せず、友情と信頼で成り立つ“持ちつ持たれつ”の文化が、緩やかに全国をつないでいたのです。

補足:ZINEが“補助的な記録”として機能していた

この頃には、バンドのプロフィールやツアーレポート、レビューなどをまとめた後世でZINEと呼ばれる“自主制作冊子”も制作されていました。ただしこのZINE(仮)は、あくまで一部のプレイヤーが制作・配布していたものであり、シーン全体を支えるような情報基盤だったわけではありません。むしろ当時のやりとりは、ライブ現場での対面や、アナログによる連絡が主軸でした。

ZINE(仮)はそれを補う形で、記録として、あるいは思想や日常の共有の延長として、いわば“副読本”的に機能していたと言えるかもしれません。

SNUFFY SMILEと、音を通じた紹介文化

この時期のDIYシーンを語るうえで外せない存在のひとつが、東京で1992年に設立されたインディーレーベルSNUFFY SMILE(スナッフィースマイル)です。同レーベルは、国内外のメロディックパンクバンドを7インチ中心にリリースしており、とくに2バンドによるスプリット盤の多さが特徴でした。バンド同士が“同じ盤に収まる”ことを通じて、ジャンルや地域を越えて相互に紹介し合う文化が自然に育っていたとも言えるでしょう。

SNUFFY SMILEに関わった主なバンドには、Blew、Lovemen、Sprocket Wheel、Creepなどがあり、いずれも過度な装飾のない、誠実で荒削りなメロディックパンクを鳴らしていました。

地方にも確かな拠点があった

SNUFFY SMILE周辺の文脈とは別に、全国の各地では、同様に自主的で誠実な姿勢を持つバンドたちが自然発生的に登場していました

ローカルライブを中心に信頼を築いたGRUBBY、ツアーにも積極的に参加しながら明るく親しみやすいスカ・パンクサウンドを提供したFRUITYなど。
また、Slime FisherはSNUFFY SMILEの初期リリースに参加するなど一定の接点を持ちながらも、その後は独立した形で活動を展開しました。

これらのバンドの多くは、自分たちの土地でできる範囲の活動を続けながら、無理なく都市との接点をつくり、「地元でもシーンを築ける」という実感を支える存在になっていきました。

音楽性を超えてつながるレーベルたち

この時期、SNUFFY SMILE以外にも個性的なレーベルが複数登場し、シーンの多様性を支えていきます。

たとえばLess Than TVは、ジャンルを超えた雑食性を特徴とし、ノイズ、インディーロック、ハードコアなどを幅広くカバーしていました。U.G MANGOD'S GUTSD.M.B.QfOULといったバンドが関わり、パンクの枠を越えた独特の感覚を持つ作品群をリリースしています。

また、ハードコア/クラスト系に強かったHG Factは、国内外問わず多くのバンドの音源を手がけ、KGSHOLOCAUSTCRUSTY HI CHARGEなどの作品を通じて、よりラディカルな地下流通の一端を担っていました。

これらのレーベルは、単なる音源流通だけでなく、イベント主催、ZINE制作、ツアー調整なども含め、「シーンの記録者」「結節点」として機能していたことも重要です。​

90年代前半は、実験の時代だった

この時代の日本のパンク/ハードコア・シーンは、ジャンルやスタイル以前に、「やってみる」「続けてみる」こと自体が目的になっていたようにも感じられます。

演奏がうまくなくても、録音が粗くても、とにかく音源を作り、ライブをし、他の土地に出かけていく。その実践のすべてが、「どうやったら自分たちがここで表現できるのか」を手探りする試みだったのです。