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努力をすると、嬉しいことが待っているかもしれない

26/1/7追記


以前の投稿からまたしても二週間空いてしまった……

「忙しいから」ということを僕はなるべく言いたくないのですが、しかし日々忙しいんじゃ……! まじで、作曲を舐めるな(これは自分に対して)。

クラシック音楽で、クラクラシーーーーーーーーーック!!! 
疲れすぎて限界を突破しました。

……まぁしかし”忙しい”というのは、つまるところ「そこに割く時間の優先順位が低い」ということでしかないので、そういうことです。僕のnoteはただの気ままな趣味だから、学生としての本業には含まれていない。

いやでも、思考をまとめるということを考えると、それは日々大学で学んでいることの地続きにあるわけだから、こうして文章を書くことも本業と言えるのかもしれない。

記事を書き始めてから300文字を突破したというのにまだ本題に入っていないのが自分らしいなぁと思っており、あれこれ脱線しまくるのが好きであり、そしてこれこそが僕の文体であり味だ! みたいなものすごく自分都合な調子のよいことまで思ってしまっている。

もっというと、最近流行ってる(?)「タイトルだけ見てわかった気になり誤解しまくったままその記事を判断する人」から距離を置くことができるので、蚊取り線香的な効果も期待できるかもしれないなぁと。

この時点で600文字だけど、ここまで読んで読んでくださっている方は相当に僕を好きな人(勝手に決めつけてごめんなさいねd( ̄  ̄))だと思うので、そろそろ本題に入ります。

そしていつもダラダラとした長文を読んでくださっている方、改めてありがとうございます。


今の僕が思っている結論

から先に言うと、

「努力をすると、嬉しいことが待っているかもしれない」

です。

……いやタイトルそのままじゃないかと言われればそのままです。なにも変えてない。
最初は、じっくり考えました。他の言い表しかたのほうがより正確にカチッと表現できるのではないかと。

しかし、この「かもしれない」という部分こそが、ぼんやりした表現に留めておいているのがミソなのです。

なぜこう思うに至ったか、ということをこれからまた長々と展開していく予定です。

そもそもの発端

結構前に、こんなものを書きました。

ちょうど今これを書いている時から、1年半前みたいですね。
50近いスキ(ハートのやつ)をもらっており、かなり驚いています。ただその時そのままの鬱屈としたものをぶちまけただけだったから。

そして、公開後はこの記事を書いたことをいつもずっともやもやしており、常に頭の片隅にありました。

社会の不平等とか、人生の悲惨さとしかしそこからしか得られない幸福とか。読書したりネット検索でいろんな人の思っている赤裸々なことを読んだり、友達や大学の先生と話したり。

いま自分がいる新しい環境で過ごしてみる中で結構考えが変わり、以前より思考の解像度が上がった気がしていて今ならついに新しいものを書けそうだ、と思ったのでこの記事が誕生しようとしているわけなのです。

昔からずっと、気になっていた

ここまでお読みいただいたのならお分かりかと思いますが、僕は全ての物事に対して「なぜ、それはそうなっているのか」と自分なりに納得しないと生きていけない人間です。

なにもこれは誇張しているのではなく、何かを一度気になると徹底的にそれを調べて考えて”これはこうなっているからこれがこう~”みたいな様式を自分の中に組み上げないと次へいけません。

「まぁいいか」とかで流すことができない。他にどんなに重要なやるべき課題があったとしても気になったことを突き詰め続けるので、文字通り生きていけなくなってしまう。

しかしこれはストレスを感じるとかそんなことはなく、知らなかったことを自分の興味の赴くままに掘り下げていくことはものすごく楽しいので、全く問題とは感じていません。むしろてきと〜に流してしまうほうが圧倒的なストレスを受ける。

……そんなわけで、

「やればできる」「努力が足りない」「それは甘えだ」「もっと頑張ればできる」

といったことを発言する人とか、それを心から信じていそうな人に、ずっと悩まされてきたのです。

べつに僕が誰かから直接的にそういうことを言われ続けてきたからということではなく(言われたことはもちろんある。そしてその度にかなしい気持ちになってきた)、自分で「どうしてこの人はそういうことを言うんだろう?」と疑問に思い続けてきたというだけです。

上記4つのようなことをいう人に対して、

「そもそも”できる”って何? ”努力”とは何かを考えて自分なりに定義づけたことある? 何故”甘え”という言葉を選択したの? 他にもっとその心情をうまく表現できるか最大限まで検討した? それ以前に、”人はそれぞれ全てが違っていて自分と同じように物事ができるわけがない”ということを僅かでも思ったことある? で、”頑張り”って何? なぜ、その手段を最終的に選択したの? 他に効率的で各々の人間に向いている方法は検討した? まさか何も考えずにゴリ押せ、みたいなことじゃないよね?」

ということを無限に問い詰めたくてそれはそれは仕方がない。

これ、別に自ら進んで人に嫌われにいこうとしているのではなく、純粋に気になるのです。機械の仕組みとかが気になるのと全く同じ。

……のですが、人間相手にそんなことをしても望む結果が得られるとは全く思わないほどには僕は愚かではないだろうと思っているつもりなので、自分であれこれ考えることにしたよ、というわけなのです。

ソクラテスは本当に実行したから死んでしまったのさ。
僕は師匠だと勝手に思っているけれど。

そんなわけで、思ったこと

1年半前、記事のタイトルとしてつけてしまったような「努力なんてしないほうが"良い"」とかそういうことでは全然なく、頑張ることが必要だと思うならすればいいし、不要と思うならしなくてもいいのでは、ということがいま感じていることです。

新しい環境で過ごしてみて、こういう考えになりました。
新規に獲得した考え方の枠組み的なもの。

で、「自分は頑張っている。努力している」と思うのも思わないのも自由だから、その辺は各々で好きにしたほうが関係者全員のストレスがないんじゃないかな、と。

そして。

たしかに人それぞれ置かれている環境は違うものの、何もしないで現状の不満とか文句ばかり言っているだけなのは周りの人が離れていくだろうな、というのは思う。

もちろん、ひとには様々な理由があるわけだから、どうしても窮している人はあらゆるものを頼るべき。

だけど、別にそこまで絶望的ではないのに主体性が何もなく後ろ向きで何も行動しないような人は、何か色々周りから言われることはあるかもね、ということです。

これも別に善悪といったことなのではなく、単に文句ばかりな人は他者から好かれにくい傾向だろうなぁということを思っただけ。

そもそも僕はなぜ「努力」とか「頑張り」とかいう言葉が好きではなかったのか? と思い返してみたら、なんかそういう「自分頑張ってるアピール」みたいな自己陶酔じみたものや人が大嫌いなのであって、何かに向かって打ち込むことやよりよく成長したいと願うその純粋なものを否定しているのでは全くないというわけなのです。

何かに一心不乱に打ち込んでいる人は、やはり輝いているよ。それの対象にもよるのかもしれないけど。

だから例えば僕で言うと、「努力してるの? 頑張ってるの?」と聞かれたら、「常に最大限努力してるし、頑張ってるよ」って言います。

というのも、こんなものは結局主観でしかないわけだから僕にとってのキャパシティの中でできることを日々最大限に行っているわけであって。

だからもちろん、こう発言した僕に対して「努力足りない〜そんなに努力してるのか〜?」とか勝手に判断するのはそれをみた人それぞれというわけです。

僕としては、日々めっちゃ色々やってるし、疲れている。ストレスも抱えている。

具体的に言えば、毎日

  • 勉強してるし、大学生として授業(面倒だけど必修で仕方ないものも)へ通い学問をこなしているし、本や新聞を読んでるし、運動してるし、健康にあらゆる角度から気を遣っているし、考えを深めているし、人間関係で揉まれて成長している。

他に保険的なことを言うこともできる。
脳の発達のバランスが色々と凸凹しているらしいし、聴覚過敏をはじめとして外部からの刺激を受けやすいから精神的に消耗しやすいし、とか。

これを「努力してる」「頑張ってる」と思うならそうだし、思わないならそう。

僕自身は別に頑張ってるとかあまり思ってはないです。上に書いたことは、聞かれたらそう答えるというだけのことであり、日々生きる中でそんなことは何も思ってない。

だって気にしたところで何もどうにもならないし、その時間があったら自分にできることを探して、そしてそれこそがやるべきことだからやっているというただそれだけ。まじでただそれだけ。他に何も理由がない。

「いつも努力して頑張ってんな俺!」とか思っても別に得られるものがないし、目標を見誤る可能性がある。無理して続けるより、疲れた時はちゃんと休んだほうが効果的だということだってある。

……が、少なくとももしここまでずっと何もせず無気力で受動的に生きていたら今の自分はあったわけがない、ということは断言できる。常に考えて、ここまできたのだから。
色々な決断を自分で重ねてきて、だから今がある。心の痛い選択だって受け入れてきた。

もっと言うと、僕は「最近頑張ったことはなんですか?」という質問が嫌いです。というか、「なぜそういう問いかけの形を取るのか?」といつも思っていて。

ふつうに、「最近熱中していることは?」でいいのに。

なので、そういった”頑張り〜”みたいな発言を受けたら、「生きること全て」って言います。機会がないから言ったことないけど。

だって、「明確にこれ!」っていうより、自分の人生そのものを、毎日をいかに良く生きるかということは常に考えて実行しているから、それすなわち「生きることを頑張っている」と言ってもいいでしょ、てかむしろそれ以外に適切に当てはまる言い方あるの? って聞きたい。

向き不向きを徹底的に見極めると、余計なストレスが減る

で、ここまで書いて思ったのは、やっぱり僕は

「努力、頑張ってる感を全面に出して、そこに酔いしれてる人」「なんでもかんでも思考停止にゴリ押していく人」「やればなんだってできる、みたいなノリ」

が好きになれないというだけであって、目標を叶えたいのだったら努力は必要だし、そして頑張ってそれを達成した人の足を引っ張るようなことをしてはならないし、ただ何もせず文句だけ言っているのは違うよな、という当たり前かもしれないことにようやく気がついたよというわけでした。

なので、今の答えとしては、タイトルの通り「努力をすると、嬉しいことが待っているかもしれない」ということです。

かもっていうのは、努力して頑張ったからといって望む結果が必ず得られるわけではないから。

そして、「努力は絶対に必要!」って言い切るとなんか強制感があってすごく嫌だし、しなくていいはズレている。しないほうが良いなんてものは、全くもって違う。

目標を見極めてそれを達成するには何が必要なのかを考えて、試してみる。そして、その過程に没頭して楽しめる状態になると、もはやそれは努力とか頑張りとかの次元ではなくなってくるというか超越してくるというか、そういうものを感じなくなってくる。

で、やろうとしていることに完全に適正がないならばそれはやらないほうが無駄な悲しみを抱えなくて済むだろうし、ちょっと向いているなら、やってみると面白い結果が待っているかもしれない。

例えば作曲であれば、めっちゃ面倒でストレスだし疲れるけど、頑張って和声学を勉強してみるとものすごく綺麗な曲を書くことができる、という嬉しいことが待っている。

文章書いていて今ここで思ったのは、やっぱりというか案の定というか、楽器は自分には向いてないな、ということがあります。
それよりも、音楽理論の勉強や読書をして考えること、執筆や作曲のように、一人でじっくり静かに思考と向き合うことのほうがどうみても圧倒的に向いているなぁと。

ピアノでもヴァイオリンでもギターでもなんでも、同じことを反復練習していくのがどうにも苦痛でかなりのストレスを感じて。すぐ飽きてしまうし、やる気が続かない。

しかし文章と曲を書くためには毎回新しいことを考える必要があるから、いつだって新鮮で真新しくて、飽きないのです。それが自分にはとても向いていると思って。

……ちょっと話がそれてしまったけど、目標に向かって進んでいくいく中で、気合いとか根性とかが要らないのならそれは楽にできていいなぁーってなるし、残念ながらそれらを必要としてしまう状況なら、仕方ないけどまぁ頑張ってみる。

だからなんでしょう。

厳しい言い方なのかもしれないけど、自分で必要と思ったのなら努力をするのは至って当然のことで、別にわざわざ努力してるとか言ったりアピールしたりする必要が全くないし、「いいからただやればいいだけじゃん」というか。

やらないなら別にそれはそんなにやりたいと思ってることじゃないということなのだから、やらなくていいのでは?(その時置かれている状況によるけど)と思う。

無理をするのは不健康。というかもそもそも、安定して行動を持続することが不可能な目標は、設定を間違えてる感がかなりある。

努力と頑張りを他者に求めると、おかしなことになる

ここ重要かなと思ってます。

これまで述べてきたことは、あくまでも「努力することや、頑張ることそのものを否定するのは完全に間違ってました。ごめんなさい。努力と頑張りは必要なものです」ということであり、そしてこの”必要”というのは、自分でそうだと思ったのなら努力すればいいし、頑張ればいい、てことです。

だから、他者に努力や頑張りを求めることは何かが違うのではないかなぁ、ということはずっと思っていまして。

もし、誰かから「応援して! 頑張れって言って欲しい」と言われたら「頑張れ! いつもすごく努力しているね!」とか声をかけると良好な人間関係が生まれるのだろうなぁと想像できるけど、他者から頼まれたわけでもないのに、勝手に何でもかんでも努力とか頑張りでくくって解決しようとするとめっちゃめんどい結末が待っているよねぇということです。

この”他者”というのは、面と向かっている一対一の相手といった状況に限らず、全人類を想定しています。今ここにいない人も含まれている。

……

自分で何かを求めた時、それを欲しいと思った時、夢や目標ができた時。
成長したい、ああなりたい、こうあったら楽しいなと願ったとき。
現実と理想の壁を感じて、もっとよくありたいと思った時。

そんな時にこそ、努力や頑張りが必要となる。
日々理想に近づこうと自発的に努力をするから、美しく最大限の効果が発揮される。

すごく大切と思っているので改めて書いておくと、

  • 自分でそうだと思ったのなら努力するし、頑張るのはどうしても必要。が、それを他者に強制してはならない。

最後に

最近はそんな感じだよ、ということでした。

どうにもモヤモヤしていて眠れない夜中に、ベッドの上で言いたいことの核となるようなものが出てきてから流れるようにここまで書けたのですけど(スマホのメモに書いてみたのを後からパソコンでまとめた)、やっぱり思っていることを文章にすると自動的に思考が整理されてとても良いなと書くたびに思います。

そういえばSwitch 2が当たってたいへん嬉しい。なんも考えずゲームを楽しむということはとても大切だなぁと感じる。

またなんか思ったら書きたいと思っている次第でございました。


これは長野県の善光寺というところにあったトイレの看板です。
記事の内容に何も関係ありません。
今年9月に撮影。
記号が好き。

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philosofy (´・ω・)つ旦