病院受診したのに、「様子を見ましょう」ってなんだよ!!
こんにちは。
小児の理学療法士をしているアラサーです。
私は、医療従事者ですが医師の対応に対しこのように思うことが時折あります。
病院に行って、勇気を出して相談して、こっちは不安でたまらなくて、ちゃんとお金も払って、時間も使って、場合によっては仕事も予定もずらして受診しているのに。最後に返ってくるのが、
「しばらく様子を見ましょう」
いや、は??? です。
なんですか、それ。
その一言で全部済むなら、こっちは最初から来ていません。
安心したいから来たんです。
知りたいから来たんです。
今どういう状態なのか、何が起きていそうなのか、何を気をつければいいのか、それを聞きに来たんです。
それなのに、最後が
「様子を見ましょう」で終わる。
雑すぎませんか。
軽すぎませんか。
こっちの不安、ちゃんと見えてますか。
その様子が分からないから来てるんですけど
本当にこれです。
ここなんです。
こっちがキレそうになる理由は、様子を見ろと言うけれど、
何を見ればいいんですか。
どこまでなら大丈夫なんですか。
どこからが危ないんですか。
いつまで見て変わらなかったら、もう一回来ればいいんですか。
それが分からないから受診しているんです。
熱がある。
咳が続く。
食欲がない。
元気がない。
機嫌が悪い。
なんかいつもと違う。
でも、その「いつもと違う」が、よくある範囲なのか、今は待っていいのか、もう一回受診した方がいいのか、そんなの分からないんです。
分からないから来てるんです。
なのに最後に
「様子を見てくださいね」
で終わる。
いや、だから。
その様子の見方を教えてくれって言ってるんです。
そこをすっ飛ばして「様子見」で締めるの、さすがに乱暴です。
言われた側は、何も解決していません。
むしろ不安だけ追加されています。
こっちは“なんとなく”で家に帰るわけじゃないんです
病院を出たあと、全部終わるわけではありません。
むしろそこからなんです。
家に帰ってから、
・今日は寝られるのか
・夜に悪くなったらどうするのか
・ごはんが食べられないのはどこまで大丈夫か
・このぐったりは「しんどそう」なのか「まずい」のか
・明日まで待っていいのか、それとももう一回来るべきか
そういう判断を、家でやることになります。
つまり、
様子を見るの実務を引き受けるのは、こっちなんです。
言う側は一言かもしれません。
でも受け取る側は、その一言を抱えて家に帰って、そのあと何時間も何日も考えるんです。
それなのに説明がない。
目安もない。
見るポイントもない。
再受診の基準もない。
それで「様子見」です、では、そりゃ腹も立ちます。
丸投げじゃないですか。
「様子を見る」が悪いわけじゃないです
でも、説明なしの様子見は雑です
ここはちゃんと分けたいです。
事実として、その場で断定できないことはあります。
今すぐ強い治療が必要とは言えない。
今日の時点では重い異常はなさそう。
だから少し経過を見る。
これは普通にあります。
医療としておかしい話ではありません。
でも、こっちが引っかかっているのはそこではないんです。
理由を言わない。
見てほしいポイントを言わない。
これが出たら再受診、という線引きを言わない。
そのくせ「様子見」で締める。
それはもう、正直かなり雑です。
医師の頭の中には、たぶん判断材料があるんだと思います。
今の所見なら緊急性は低い。
この経過なら数日で変化する可能性がある。
このサインが出たら再評価。
でも、それを口にしてもらえなかったら、こっちには存在しないのと同じです。
頭の中で考えてくれているだけでは、伝わりません。
伝わらなかったら、不安は減りません。
減らないどころか、こっちは「何も分からないまま帰された」と感じます。
「大丈夫」の根拠がないと、人は全然大丈夫じゃないです
これも本当にそうです。人は、症状だけで不安になるわけではありません。
見通しがないことで不安になります。
・これはよくある経過なのか
・何日くらい続くものなのか
・何が危険サインなのか
・どの変化があったら行動を変えるべきなのか
この目印がないと、ずっとしんどいんです。
逆に、完璧な答えでなくてもいいんです。
未来を100%当ててほしいわけではありません。
ただ、
「今の時点ではこう見えます」
「だから今すぐの緊急性は高くなさそうです」
「ただし、これが出たらもう一度来てください」
「家ではここを見てください」
ここまで言ってもらえたら、全然違うんです。
同じ様子見でも、
そこに理由と目印があるなら、それは判断です。
でも、何もない“様子見”は、ただの放置に聞こえます。
たぶん、みんながブチ切れているのは言葉そのものじゃないです
「様子を見ましょう」にイラつくのって、別にその言葉自体が憎いわけではないんです。
そうじゃなくて、
不安を受け止めてもらえなかった感じ。
説明を省かれた感じ。
分からないまま帰される感じ。
こっちだけが家で背負う感じ。
そこに腹が立つんです。
ちゃんと話を聞いてくれて、
理由も説明してくれて、
見るポイントも伝えてくれて、
その上で「少し様子を見ましょう」なら、全然違います。
でも、現実にはそうじゃないことがある。
流れ作業みたいに、その言葉だけ置いていかれることがある。
あれ、本当にしんどいです。
その場では「はい」と言って帰っても、家に着いてからどんどん腹が立ってくるやつです。
いや、結局なんだったんだよ。
私は何を見ればいいんだよ。
来た意味あったのかよ。
ってなります。
「様子を見ましょう」は、説明したことにはなりません
ここははっきり言いたいです。
「様子を見ましょう」は、単体では説明ではありません。
方針です。
結論の一部です。
でも、それだけでは足りません。
なぜそう判断したのか。
家で何を見ればいいのか。
どこから再受診なのか。
そこまであって、初めて意味のある言葉になります。
そこを抜いて「様子見」で終わらせるのは、
正直、説明したことにしないでほしいです。
だって、こっちはそのあと家で悩むんです。
検索するんです。
不安になるんです。
夜になると余計に怖くなるんです。
その負担、言う側が思っているよりずっと重いです。
「様子を見ましょう」と言われたら、聞き返していいです
これは本当にそうです。
聞き返していいです。
全然失礼ではありません。
・何を様子見したらいいですか?
・どんな変化があったら再受診ですか?
・どれくらいの期間、見て大丈夫ですか?
・今の時点で強く心配していない理由は何ですか?
これ、聞いていいです。
むしろ聞いた方がいいです。
だって、そのあと実際に家で見るのは自分たちなんですから。
判断を引き受ける側に材料が渡されないなんて、おかしいです。
最後に
「様子を見ましょう」って、便利な言葉です。
便利だからこそ、雑に使うと人を置いていきます。
こっちは、不安で来ています。
怖くて来ています。
ただ診断名が欲しいわけではありません。
この先どう見ればいいのか、その目印が欲しくて来ています。
だから言いたいです。
「様子を見ましょう」で終わらせるな。
せめて理由をください。
せめて見るポイントをください。
せめて再受診の目安をください。
こっちは、その様子が分からないから受診しているんです。
そこを置き去りにしたままの
「様子を見ましょう」
は、優しい言葉ではありません。
不安の丸投げです。
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