想いと現実の狭間で | 「守る」ことを決めた日 【自分史を紐解く⑦】
こんばんは!
低音に静かな情熱を注ぐアラフィフ、チューバ吹きのサンチです。
前回、私は、徒歩圏内のアマチュア吹奏楽団(ON楽団)に入団しました。
久しぶりに音楽と触れ合う生活に身を置くことで、チューバを吹く楽しさのみならず、気心の知れた団員の皆さんとの交流を通じ、自らの世界・視野の拡がりを実感することができました。
※前回のお話を知らない方はこちらをどーぞ!(リンク)
その後、仕事の関係で渡米したりなど環境の大きな変化が色々起き、チューバを吹かない日々が一定期間続いたりもしました。
しかし私の中では、
いずれON楽団に戻って相棒とまた一緒に演奏するんだから、まぁいっか!
などと(根拠は特段ないのですが)楽観的な見通しを持っていました。
実際、帰国したあと、何事もなかったかのようにON楽団に復帰できた私。
久しぶりだけど、おなじみの青いソフトケースを開けて、
ただいまー!
そして、何事もなかったかのようにまた相棒に息を吹き込む
これからもON楽団でのそんな穏やかで、何より楽しい日々を続けられるものと能天気に構えていたのです。
しかし、ここで私の人生に2つの大きな転機が訪れます。
1. ON楽団の解散
楽団に復帰してしばらくした頃、団長のOさんから突然「次回の定期演奏会で楽団を解散することとしたい」という話をされました。
まさに青天の霹靂!
まだ次回の定期演奏会まで半年近くありましたが、これからも続くと思っていた未来が突然時限付きで終わりを迎えるという事実に、私は少なからずショックを受けました。
ただ、Oさんからの説明で、今回の解散は、OさんとNさんが悩み抜いた末に、「(人生の次のステージに進むため)いったん区切りをつけよう」と決断したものだと分かりました。
ON楽団は、OさんとNさんが社会人になりたての頃に設立し、2人の特別な想い入れがこもった楽団でした。
だからこそ、二人の熟慮の末の決断は、何より尊重されるべきと思いました。
その上で、私個人としては、先のことはとりあえず脇において、ラストの定演に向けて、全力で取り組もうと心に決めました。
当時、私は公私ともにかなり多忙な状況でした。
特に、渡米前からつきあっていた妻と遂に結婚することになり、式の準備に大わらわの状況でした。
そんな中、演奏の練習はもちろん、パンフレットの作成、広報など運営面での各種対応にも積極的に参画するようにしました。今振り返ってもかなりの無茶をしたなー(笑)と思います。
とにもかくにも、次の年の春、無事最後の定期演奏会は開催されました。
本番のブザー、アナウンス
舞台が一気に明るくなり
そして開演
最初の曲は、スウェアリンジェンの「管楽器と打楽器のためのセレブレーション」
あとは、もうただ自分のすべてを込めて演奏するだけ。
悲しいといった感情はなく、とにかく楽しかったことを今も覚えています。
演奏会には妻も一緒に参加し、有終の美を飾ることができました。
演奏会の録画映像を再編集し、団員に配布された特製DVDは、一生の宝物です。
(この最後の定期演奏会での思い出は、演奏した曲目も含め、語りたいことがまだたくさんあるのですが、そのあたりはまたいずれ、機会があればお話したいと思います。)
2. 新たな命の誕生
こうしてサードプレイスと別れを告げた私ではありましたが、また別の楽団で新たな演奏活動を始められないか模索していました。
しかし、そんな中、妻の妊娠が判明しました。
自分が父親になる
正直実感はないものの、心の底から嬉しいことでした。しかしここで、相棒との演奏活動は続けられるのかという問題に間もなくぶち当たりました。
妻とEテレの「すくすく子育て」という育児番組を見ていたとき、出演していた育児評論家の「育児において夫は妻の『戦友』であるべき」というコメントが個人的にものすごく刺さったのを今でも覚えています。
当時徐々にもてはやされていた「イクメン」という、どこか薄っぺらいセルフブランディングのような言葉よりも、はるかに子育ての本質を表しているように感じました。
自分が妻にとって子育ての「戦友」でありたいと思ったとき、自分の人生にとって大切なものとはいえ、妻と赤ちゃんを家に置いて、楽団で楽しく演奏する自分の姿を想像したとき、私は半ば嫌悪感にも似た違和感を覚えざるを得ませんでした。
とはいえ、そう簡単にチューバへの想いも捨てきれるはずもなく…
なかなか自分の中で整理がつかないまま、いよいよ目の前の「現実」が私に決断を迫りました。
妻は、丸一日を超える難産の末、無事長男を出産しました。
産婦人科で出産に立ち会った私は、激痛に苦しむ妻に何の支えにもなれない無力感に打ちひしがれつつ、ただただ、母子の健康を祈ることしかできませんでした。
そして、分娩室に赤ちゃんの泣き声が響き渡ったとき、涙を浮かべながら頑張ってくれた妻と長男に心から感謝しつつ、父親として2人を守らなければという決意を新たにしました。
そして、退院後、いよいよ3人での新生活が始まったわけですが、そんな決意を早速試すかのように、「赤ちゃんを育てる」ことの過酷な現実が我々を襲ってきました。
数時間ごとの授乳
いつ止むとも分からぬ夜泣き
突然の発熱や嘔吐
事前に色々学んだつもりの私でしたが、所詮頭での理解。いざ実践となると分からないこと、うまくいかないことばかりで、妻の力になるどころか、むしろ余計な迷惑をかけたこともしばしばあったと思います。
日々子育てに向き合い、奮闘する妻に対して、そんな自分が、趣味のチューバを再開したいなどと、なぜ言えるでしょうか?
こうして、子育てという新たな人生のステージを迎えた私は、
仕方ないよね
2人のことをまず大切にしなきゃ
などと言い訳がましい思いを心の中でつぶやきつつ、未練を振り切るかのように、相棒を6畳の和室の押し入れに押し込め、「封印」したのでした。
皆さんにとって、子育てと引き換えに、諦めた大切なものはありますか?
こうして、私は、2度目のチューバとの別れを選びました。
1年、3年、5年と年月を重ねるに従い、恥ずかしながら、相棒が傍らで眠っていることをすっかり忘れてしまうこともありました。
ただ、季節の衣替えで服を交換するため、押し入れを開けたとき、奥に青いソフトケースが目に入ると、本当に申し訳ない、後ろめたい気持ちがこみ上げてきたことを思い出します。
もうチューバを吹くことは金輪際ないんだろうな
そんな考えが何度も浮かびました。
それでも私は、相棒を楽器屋さんに売ることは、どうしてもできませんでした。
そして、15年が経ったとき、私は、再び相棒を背負って前に踏み出す決意をしたのです。
次回「15年ぶりの目覚め」
お楽しみに!
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