【掌編】ケーキを膨らませるには
「あちゃー」
オーブンを覗き、思わずうめき声を漏らす。
パウンドケーキに失敗した。
まさか、こんな簡単なもので失敗するとは思ってもみなかった。
見事なV字のパウンドケーキが出来上がり、膨らまなかったV字の部分を哀れっぽく見つめてしまう。この部分が膨らめば、もっと食べる箇所が増えたというのに。
お菓子作りを完全に舐めてかかっていた俺を、アユコがふんっと鼻で笑う。
「料理を舐めてる男って、やなもんね」
「普段はもうちょっとメニュー通りにできるよ」
確かに、料理は苦手だ。アユコは冷蔵庫にあるものでパパっとその日の飯を作ることのできる技量の持ち主。
俺は、メニューを見ながら出ないと作れないタイプの不器用な人間だ。
でも、ちゃんと量を確認し、メニューを見ながら作ったのに失敗したのは、正直に言うとこれが初めてだった。
アユコの厭味ったらしい言い方にカチンときて、ノートパソコンに開きっぱなしの書きかけの小説に向き直る。
時間がない。締め切りまであと半日もなかった。
そんな中で、どうしてケーキでねちねち言われなければならないのか。だが、アユコの攻撃は止まらない。
「第一さ、必ずケーキって膨らむって思っている方がおかしいのよね。膨らまないパターンが何回あると思ってるのよ」
「うるせぇな。だってふくらます奴入れたじゃん。膨らむじゃん、フツー」
「ベーキングパウダーっていいなさいよ。まったくもう」
そんな話をしているせいか、締め切りが近いというのに話のネタが膨らまない。
小説にもあればいいのに、ベーキングパウダー。
覚えたての言葉を心の中で呟きながら、キーボードをたたく。500文字でネタは止まる。
プロットを書けばよかったな、と心の中で呟くがもう遅い。
後ろで、アユコの言葉が続く。
彼女は本を読み、ソファに腰掛けながら、先日焼いたケーキの話を続けるのだ。膨らまないケーキの話を。
あぁ、オチはどこだ。
オチまで膨らまない小説と、ケーキの話がだんだんと頭の中でごっちゃになってくる。
「なぁ、小説が膨らまないんだけど」
「そういう時はどうすんのよ」
「ベーキングパウダー入れればいいんじゃね」
「何言ってんの?」
結構真顔で問い返されてしまった。
だが、次にアユコは真面目に俺の言葉について考えだす。
「物語のベーキングパウダーって、何?」
「何って、刺激?」
起承転結、とよく言うが、俺の小説にはなぜかそれがない。
ただ、流れるままに書いているようなものだし、常にそういうタイプなのだと割り切って書くしかない。
時々、途中で爆発させることがあるので、俺はそれについて言っているつもりだった。
「刺激って言うとチリパウダーじゃん。ベーキングパウダーって、もっと味のない物じゃないの?」
「ふくらますんだから、味はなくてもいいだろ。だって、あれは炭酸の泡でぷわぷわっと膨らむものなんだろう?」
「ふむ。確かにそうか。でも、刺激って言うとちょっと違う気がするわね。刺激って言葉を使うと、色がついていそうな気がする。ベーキングパウダーは無色でしょ」
「色は関係あるのか……」
どうせ小説なのだ。色については関係がないような気がする。
いや、待て。俺は何の話をしているんだ。料理の話か、小説の話か。
思わずキーボードを叩く指が止まる。考え込んでしまう。
「俺のパウンドケーキの敗因は、明らかに常温に冷やしていない卵と、焼いている最中にオーブンを開けて切れ目を入れたことだ」
「原因がわかっているなら、次に改善すればいいよね」
「……じゃあ小説が膨らまない原因も同じか」
「え? 常温じゃない卵と途中に手を入れること?」
「うん。膨らまない理由はたぶんそれだ。ベーキングパウダーは作用しているんだ。俺はまた、同じ過ちを繰り返そうとしている」
ガタリ、と俺は席を立って、体勢を崩していたアユコの前に立つ。
「な、なによ」
目の前に仁王立ちで立たれ、さすがに気の強いアユコもたじろいて、なぜか同じように立ち上がって仁王立ちになって向かい合う。
俺は腕を組みながら言った。
「小説に足りないのは、常温じゃない卵=プロットが温まってないことと、要らないところで手を入れてることだ」
「あれ? ベーキングパウダーはどこにいったの?」
「いや、俺は小説の話をしてる。ベーキングパウダーは入れてるから、多分もういいんだ」
「……違うんじゃない?」
アユコが、小悪魔的に首をかしげる。
ちょっとでも色っぽい、と思ってしまったら負けだ。あと、勘づかれた、と臍を噛んでいるのも隠さなければならない。
「あんたさ、小説の話してないでしょ」
「な、何の話だよ……」
「起承転結のない物語、それって、あんたのことじゃないの?」
ドキリ。
俺は、俺のことを小説にして書いているなんて一言も言ったことはない。ただ、「書いている」とだけしかアユコには伝えていない。
女の勘とは、これほどまでに鋭いものか。
「じゃあ、物語を膨らませるために必要なのはすでに入っているベーキングパウダーを活性化させることね……」
アユコの顔が一気に近づいてくる。
唇に、柔らかな感触が押し付けられる。
俺の顔がぼっと火を噴いたように赤くなったのを見て、アユコはニヤリとそれはそれは可愛く微笑んだ。
「刺激が欲しいんだったら、すでに日常に入っているベーキングパウダー(わたし)をチリパウダーぐらいの刺激に変えて見せなさいよ」
あ、しまった。2000字ちょっと超えました。
自然発生的に生まれた企画ということで、興味を持ってオチのない小説を繰り出してみました。
#今2000字で書けって言われたらどこからの発想で書き始めますか
プロットもアイデアもなしのぶっつけ本番の小説になりました。なぜにこうなった?
直近の出来事とその場のノリで書いていたらこんな作品が出来上がりました。うん。これぞ自然発生。
この企画は秋谷りんこさんの小説で知りました。
企画発起人の豆島さんに感謝を。楽しい企画をありがとうございます。
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