小説:新人作家の一日
窓から真夏の強い日差しが差し込んでいる。外は今日も暑そうだ。エアコンの設定温度を少しさげてから、最近ハマっている烏龍ミルクティーをひとくち啜ってソファに深く座った。
半分ほど読み進めた文庫本のページをめくると、長文の傍点が視界に入って慌てて左手で隠す。傍点で重要な個所を強調して読者を驚かせるのは推理小説の醍醐味だ。目がそちらに動いてしまわないように慎重に読み進める。
──そこは密室だったのだ。
ぞっと鳥肌が立った。論理的でありながら感情をゆさぶってくるミステリが大好きだ。特に密室ものなんて、ぞくぞくする。
そのとき、チャイムが鳴ってビクリと体を震わせた。
本にのめり込んでいると、日常の音にもいちいち驚かされる。チャイムひとつで、心臓が跳ねた。
小説に栞をはさんで立ち上がった。
届いたのは、海外の子会社経営に関する資料。
「お仕事ものを書いてください。医療もの以外で」という依頼にOKを出したばかりだ。資料はいくつあっても困らないだろう。
私は、商業デビューしてから一年ほどたった新人作家だ。デビュー作が、誰も予想していなかったほどに売れてくれて、ありがたいことに仕事が続いている。
元看護師という看板を活かして医療ものばかり出してきた。でも、なかなかそれだけではネタが尽きてしまう。編集者もそう思ったのか、別の職業で書いてほしいと言われることが増えてきた。知らない仕事を想像だけで出すのは難しいとわかっている。フィクションとはいえ、まったく調べなければツッコミどころ満載のおかしなものができあがるのだろう。
分厚い資料を持って廊下を進む。仕事部屋の鍵を開けると、ギイと蝶番の音が鳴った。室内の冷えた空気が足元に流れる。
デスクの資料の山に、九冊目を重ねた。
「どのくらい進んだ?」
パソコンに向かっている男は、無表情で画面を睨んでいる。
「聞いてる?」
語気を強めると、男は怯えた顔で私を見た。
「……2000字くらいです」
声が震えている。
パシンと音がして初めて、手の甲で男の頬をはたいたと自覚した。
「遅い」
「……すみません」
男の顔が屈辱に歪む。
「年内にあと三本、初稿出すんだよ? わかってる?」
「はい」
私はそっと男の前髪を撫で上げ、汗ばんだ額に唇をつける。
「あなたが望んだんでしょう?」
男は忌々しそうに顔をそむける。私は、思わず笑みがこぼれた。
「次の依頼、海外に子会社のあるファンドの話だから、これ読んでおいて」
男の返事を待たずに部屋を出て鍵をしめた。
──才能はあるのにチャンスに恵まれない。
泣きついてきたのは男のほうだ。今までどのくらい公募に挑戦したのか聞いてみると、なんと一度も出していないという。
──審査員にぼくの才能を理解できると思えない。
私は内心で嘲笑した。そう言い訳をして自分の実力を試せない人は多い。「才能がない」と突き付けられるのが怖いだけのことだ。そう言ってやろうと思った矢先、男は意外なことを口にした。
──君の名前で出させてもらえないか。
落ちても私の不名誉にしかならないということか。
落選なんて何も怖くない。
受かる人がいる以上、それ以外の人は全員落選しているのだ。
私は、二つ返事で了承した。
だって、私は読むのは大好きだけれど、書くことなんてまったくできないのだから。
授賞式の輝かしさは忘れられない。またたくフラッシュと大勢の視線。賞賛と羨望。インタビューや取材、メディアなどでライトを浴びるたび、私の体はもっともっととそれを求めた。
「次は何を書くんですか?」
「期待しています」
「素晴らしい活躍ですね」
その言葉の数々に溺れていった。
陽が傾いてきた。ひとつ大きく伸びをしてから、立ち上がってカーテンをひく。推理小説はとてもおもしろくて大満足だった。
あいつの進捗はどうだろう。
仕事部屋のドアを開けると、デスクには誰もいなかった。
「仕事進んでないくせに仮眠?」
思わず眉根を寄せる。しかし、デスクの反対側にあるベッドは、きれいにシーツが整っており、男はいない。
思わず窓に駆け寄る。まさか、ここはマンションの5階だ。さすがに出られないだろう。それに、しっかり鍵がかかっている。
「どういうこと?」
苛立ちが胸の奥からふつふつと沸き上がってきた瞬間、背後で空気が動いた。衣擦れというにはあまりに静かな、だが確かに生き物の気配。振り向く間もなく、首に衝撃が走る。
「……うっ」
叫びにならない声がもれて、首に手をやる。細い何かがまきついて食い込んでいく。
……苦しい。
身悶えながら体をひねる。クローゼットが半開きになっていた。まさか、あそこに隠れて……
そう思った瞬間に、視界が暗転した。
*
「自殺……ですかね」
若い刑事が室内を見渡している。
「そうだな。デビューしたばかりの作家だったらしい。俺は名前も聞いたことないが」
「ええ、自分も知りませんでした」
「遺体の状況には不可解な点もあるが、書きかけの原稿に遺書のような文がある」
【海外の子会社なんてわからない。もう追いつめられたくない。消えたい】
「この作品の構想は、本人と担当編集しか知らなかったそうだ」
「好きなことを仕事にすると大変と聞きますが、そんなひとりだったのでしょうか」
年かさの刑事は肩をすくめた。
「どうだかな」
了
※この物語はフィクションです。
「今、2000字で書けって言われたら、どこからの発想で書き始めますか」
そんなやりとりで始まったらしい小説を拝読した。
即席で、2000字で、あなたなら何を書く?
その2000字は、人によってぜんぜん違って、短いのに読み応えもあり、個性もあり、すごくおもしろかった。
何これ、めっちゃ楽しそうじゃん。
すみません、ぜんぜんその場にもいなかったし、なんならタイムリーに拝読していないし、ぜんぜん関係ないのに、おもしろそう、というだけで勝手に参加しちゃいました。
私は、自分みたいな新人の作家が実は……という感覚で書き始めてみました!どこまで本当でどこからフィクションでしょうか(笑)
2000字を即席で完成させるってけっこう大変。でも、とても楽しかったです✨Wordの文字数カウントとnoteのカウントがけっこう違って(改行と傍点のぶんかな)、ちょっとオーバーしていてごめんなさい💦久しぶりにnoteのために書いた小説になりました。機会をありがとうございます!ちなみに、作中に出てくる「海外に子会社のあるファンド小説」を書く予定はありませんので、ご安心ください(笑)
追記)自然発生的な企画になったみたいです!
#今2000字で書けって言われたらどこからの発想で書き始めますか
このタグでどんどん参加していいみたい🎶楽しみましょう!
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