“聞く耳を持つ経営者”でありたいと思った理由
以前、会社を任される立場になった時、私が最初に考えたのは、
「自分らしい経営とは何か」
ということでした。
もっと言えば、
自分にしかできない経営とは何か。
そこを考える必要があると思いました。
0から自分で作った会社ではありません。
今までの土台がある会社です。
だから、全部を一から作り直すのは違う。
でも、今までのやり方をそのまま踏襲するだけでも違う。
今までの土台を活かしながら、さらに発展させるために、
自分の良さや、自分が大事にしている生き方を、どう会社に活かせばいいのか。
新しい仕事に向き合うというのは、
単に新しい役割をこなすことではなく、
その役割の中で、自分が何を大事にして立つのかを問われることでもあるのだと思います。
その時、私は会社の方針とは別に、
自分自身の生き方の指針のようなものを、こっそり作りました。
自分と、自分に関わる人たちが、
前を向き、共に助け合いながら成長すること。
誰かに与えられてきたものを、
今度は自分が周りに恩として送っていくこと。
その結果、みんなが笑顔で幸せになっていくこと。
それが、自分にとっての幸せであり、
生きがいであり、存在価値なのだと思いました。
今振り返ると、今こうして人と組織について書いている根っこも、たぶんここにあります。
みんなの中にある火を、消したくなかった
私が任された会社は、強い創業者が作り上げてきた会社でした。
強いリーダーシップがあり、会社をここまで成長させてきた力がありました。
その土台があったからこそ、今の会社がある。
そこへの敬意は当然あります。
ただ一方で、社員が自分の思ったことを言いやすい風土ではありませんでした。
トップの意見と違うことを言うと、論破されてしまう。
意見を出しても、つぶされてしまう。
そういう経験が重なると、人はだんだん話さなくなります。
本当は感じていることがある。
本当は考えていることがある。
本当はもっと良くしたい気持ちもある。
でも、言っても仕方ないと思うようになる。
話すことをやめる。
自分の中にある火を、静かにしまい込んでしまう。
私は、それがすごく嫌でした。
自分は昔から、どちらかというと声の大きい人間です。
物事を論理的に考える癖もあります。
理詰めで来られても、簡単に言い負けるタイプではありません。
会社の中での立場もありました。
でも、ほとんどの社員はそうではありません。
言いたいことがあっても言えない。
言ってもつぶされる。
そうなると、会社の中にある知恵や火種が消えていきます。
それはもったいない。
何より、つらいことだと思いました。
自分の考えは、そんなに完璧なものではありません。
一人で考えるより、みんなの知恵を結集した方が、絶対により良いものができる。
そして、自分事になっていない行動は、どれだけやっても効果が少ない。
だから私は、
聞く耳を持った経営者でありたい
と思いました。
聞く耳を持つとは、どういうことなのか
ただ、聞く耳を持つといっても、簡単ではありません。
「何でも話していいよ」と言ったからといって、人は本音を話してくれるわけではありません。
特に、自分の弱さや不安や迷いは、簡単には出てこないものです。
私は面接や面談の中で、相手が自分の弱さを受け入れられる人かどうかを大事にしていました。
短所を聞いた時に、かたくなに一つも出てこない人は、少し難しい。
でも、弱さや未熟さを自分で見られる人は、必ず変われると思っています。
ただ、それを面接や面談で確認しようとすると、やり方を間違えれば圧迫のようになってしまいます。
相手に無理やり弱さを言わせたいわけではない。
相手を追い詰めたいわけでもない。
自然に、自分のことを話しても大丈夫だと思ってもらうにはどうすればいいのか。
本音に触れるには、どう関わればいいのか。
そこにヒントがあると思って、キャリアカウンセリングを学びました。
資格を取ることが目的だったわけではありません。
従業員や面接に来る求職者と話す時間を、その人の次に活かせるものにしたかった。
もっと本音の部分を聞けるようになりたかった。
そのために学びました。
その中で一番強く残っているのは、
カウンセリングで大事なのは、知識や経験以前に、クライアントとの信頼関係だということです。
どれだけ正しいことを言っても、相手に信用されていなければ本音は出てきません。
本音が出てこなければ、本当の課題にも触れられません。
だから私は、人と話す時、まず
この人には話しても大丈夫だ
と思ってもらえる関係を大事にしたいと思っています。
私自身も、否定されずに育ててもらった
今思えば、自分自身も、最初からうまくできる人間ではありませんでした。
小さい頃は、今でいうADHD傾向に近い子だったと思います。
うまくいかないことも多かったし、周りに迷惑をかけたこともたくさんあったはずです。
でも、子どもの頃の先生たちは、根気よく接してくれました。
怒られることはありました。
指摘されることもありました。
行動のまずさや、表現の仕方を注意されることもありました。
でも、自分の人格そのものを否定された記憶はあまりありません。
「あなたは優しいから」
そういうふうに、自分の良いところもちゃんと見てくれていた気がします。
これは、今になってとても大きかったと思います。
行動は直す。
表現は変える。
でも、人間性までは否定しない。
そうやって関わってもらえたから、自分は前に進めたのかもしれません。
だから私も、人を見る時に、今できていないことだけで決めたくないのだと思います。
弱さがあることと、変われないことは同じではありません。
未熟であることと、価値がないことは同じではありません。
人は、自分の弱さを受け入れられた時に、初めて次の一歩を踏み出せることがあります。
階段と踊り場をつくること
その後、経営後継者としての学びの場で、かなり時間をかけて自己分析をしました。
自分の大きな欠点
自分の強い長所
自分はどう生きたいのか
何を大事にしたいのか
そういうものを整理する時間でした。
そこで、自分の中にあるものが少しずつ言葉になっていきました。
そしてその後、現場の一社員から会社を任される立場まで、階段を登るように経験を積んできました。
今の仕事をしながら、ようやくその経験が何だったのかを整理している感覚があります。
人が変わる時も、同じだと思います。
いきなり理想の姿になれと言われても難しい。
理想と現実の間には、階段が必要です。
そして時には、踊り場も必要です。
本人のペースで、確実に登っていること。
それを本人も周りも理解できること。
その状態があって初めて、人は前に進みやすくなるのだと思います。
私がこのnoteで書いていきたいこと
私の仕事は、本人の可能性を広げることだと思っています。
その人の中にあるストッパーを取り除く手伝いをすること。
明るい未来を想像できる環境を整えること。
自分では言葉にできていない違和感や願いを、一緒に言葉にしていくこと。
ただし、その先にどう決断し、どう行動するかは本人次第です。
私は代わりに決めることはできません。
代わりに歩くこともできません。
でも、また頼ってきてくれたら、同じように関わります。
可能性を見て、ストッパーを探して、前に進める環境を一緒に考える。
このnoteで書いている、離職、理念、育成、制度の話も、全部そこにつながっています。
人が辞めるのは、弱いからではない。
理念が届かないのは、社員が冷めているからだけではない。
人が育たないのは、能力が足りないからだけではない。
制度が機能しないのは、制度そのものが悪いからだけではない。
そこには、つながっていないものがあります。
会社の想いと現場
役割と納得感
制度と日常
期待と安心
頑張りと承認
今の仕事と明るい未来
そういうものが切れている時、人も組織も本来の力を出しにくくなる。
だから私は、これからも
何がつながっていないのか
を見にいきたいと思っています。
