見出し画像

なぜ順調な人生なのに虚しかったのか

私は先日、note創作大賞に『本業は自分』という作品を応募しました。

社会的な成功や挫折、ミャンマーでの僧侶体験、ゲストハウス運営、病気との向き合い方など、私の半生を通して「自分を生きるとは何か」を綴った作品です。

今回の記事は、その作品の中で書ききれなかったことや、もう少し深めてみたいことを書いています。

もし興味を持っていただけたら、先にこちらを読んでいただくと、より伝わりやすいかもしれません。
          ↓



仕事も家庭もあって、世間でいう幸せは、そろっていました。
それなのに、いつも、心のどこかが、虚しい。
しかも、なぜ虚しいのか、自分でも、わからない。
この記事は、その虚しさと、長いあいだ向き合ってきた話です。
そして、いま、その虚しさを、どう思っているか、という話です。



ひとつ、またひとつ。

地下鉄の電灯が、同じ間隔でリズムよく流れては後ろに消えていく。

銀行員だった頃の私は、仕事帰りの地下鉄で、よく窓の外を流れる光をただ見ていました。

唯一、ぼーっとできる一人の時間でした。

家に帰れば、妻が温かい食事を用意してくれているはずです。

いつも帰宅時には娘は寝ていました。でも、その寝顔をみると、仕事の疲れがとれました。

世間でいう幸せが、たしかに、そこにありました。

それなのに、私は、その光を見つめながら、いつも、同じことを思っていたのです。

これでいいのか。。。と。

足りないものなど、何もないのに、心の奥に、いつも、その問いがありました。

なぜ、そう思うのか、自分でも、わかりませんでした。

車内を見渡すと、みんな、疲れた顔をしています。

つり革にぶら下がっている人、眠っている人、同じように、何も見えない暗いトンネルを、ぼうっと見ている人。

それを見て、私は、自分に言い聞かせていました。

みんな、大変なんだ。自分だけが、特別なわけじゃない。
だから、この幸せで満足しなければ。

これでいいのかなどと思わず、もっと、仕事を頑張らなければ。

そうやって、私は、その問いを、無理やり、心の奥に押し込めて、みないようにしていました。

ところが、頑張ろうとすればするほど、その問いは、かえって、強くなっていきました。

仕事の合間の、ふとした休憩時間。
家族と一緒に遊園地に行って、ふと空を見上げた時。

虚無という感覚で、ことあるごとに、顔を出してきたのです。

自分は、このままでいいのだろうか。。

そのうち、私は、こう考えるようになりました。

自分に、本当に合った仕事が、どこかにあるのではないか。

天職を見つけたら、このもやもやは、なくなるのではないか。

いろいろ探そうとしました。

でも、ピンとくる職はありません。

銀行が合併することになり、自分がやりたかった国際関係の業務から遠ざかったことで、心がますます揺れました。

安定した仕事があり、家庭もあるのに、満たされない。

でも、それが、なんでか、わからない。

いま思い返しても、あの頃は、本当に、苦しかったです。

そんな私に、妻が愛想を尽かして、娘を連れて家を出て行き、そのまま戻ってきませんでした。

なかば自暴自棄になって銀行を辞めたあとも、自分が、本当に何に興味があるのだろうかということを、探し続けました。

オーラソーマ、アロマ、タロット、ルーン。あれこれと、何にでも手を伸ばしてみました。

光に、心が動くだろうか。色は、どうだろう。音は?香りは?

でも、これだ、というものには、たどり着きませんでした。

本も、たくさん読みました。

休みの日には、近くの禅寺で、座りました。
自分を見つめるワークショップにも行きました。

それでも、わからない。

そもそも、なぜ、こんなに虚しいのかも、わかっていなかったのです。

答えが、出る目処も保証も、どこにもない。

ただ、出口の見えない問いだけが、頭の中を、ぐるぐると、回り続けていました。

それでも、どうにか生きながら、警備員をしたり、派遣の仕事をしたりしていました。

ある日、私は、ミャンマーの高僧、ガユーナ・セアロ師と出会い、ミャンマーで僧侶体験をする機会を得ました。

そこで師から、こんな言葉をいただきました。

「分からんでええんだよ。分からんから生きてるんだ。分からんから味わうんだよ」

ずっと、答えを出さなければ、と、力んでいた私の肩から、すっと、力が抜けて、少しだけ楽になったのを、覚えています。

それまでの私は、頭で、ずっと考えていました。
自分は、何がしたいんだろう。これで、合っているんだろうか、と。

満たされているように見えた頃、私は、外側の基準で、生きていました。

効率よく、もっともらしく、まわりから評価される判断。それが、よい判断だと思っていました。

自分で、決めているつもりでした。

でも、自分が、本当はどう思っているのか。そこを、見ていなかったのです。

「分からんでええ」と言われて、頭で、ぐるぐる考えることが、少しずつ、減っていきました。

結果を考えず、損得を抜きに、やってみたいことは何か。

それを、基準にするようになって、悩むことが、減っていきました。

いまは、「どう思っているか」を、「自分は、何を必要としているか」に、置き換えて、考えています。

自分が選んだことが、正しいのかどうかは、いまの私にも、わかりません。

そもそも、正しさは、人によって違います。私にとっての正しさが、誰にとっても正しいとは、限りません。

やってみて、違っていたら、次は、そうならないようにする。

その、繰り返しです。

でも、自分で決めたことは、悔やみません。

うまくいってもいかなくても、経験として、積み重なっていくからです。

正しいか、わからない。
それでも、自分で決めて、歩いている。

そんな自分を、いまは、よしとしているのです。

いまも、私は、自分のことがわかったとは思っていません。

自分とは何か、と聞かれると、いまでも、わかりません。

それでも、ひとつだけ、確かなことがあります。

あの頃、わからないなりに、もがいて、探し続けたこと。
あれは、無駄ではなかった。

もし、あのとき、自分を見つめるのをやめて、ただ、娯楽や心地よいものだけで気を紛らわせていたら、今は、もっと、ぶれた自分になっていたと思います。

何かが無くなると、辛くなる。

あの頃は、その「何か」が、多かったと思います。

今は、持っているものが無くなっても、まわりの環境が変わっても、さほどぶれない自分がいます。

苦しいとき、人は、娯楽や、スポーツや、おいしいもので気を紛らわせたくなります。

忘れることで、時間が、傷を癒してくれます。

苦しさを、やわらげたり、気晴らしをしたりすることは必要です。

悪いことだとも、もちろん思いません。

私も、そうでしたし、今も、そうですから。

ただ、それだけで、自分を見つめることまで、やめてしまうと、いちばん大切な自分自身から、遠ざかってしまうと思うのです。

娯楽や、心地よさは、楽しいことが終われば、いっしょに消えてしまいます。

でも、自分を見つめ続けていると、外側の何かが無くなっても、ぶれても自分に戻れる場所が、少しずつできてくるのです。

何があっても動揺しない、落ち着ける。
そういう場所です。

それは、楽しいこと、心地よいことだけを追いかけているだけでは、たどり着くのは難しいと思うのです。

私は、遠回りをしました。

順調に見える人生の中で、長いあいだ、虚しさを抱えていました。

でも、あの虚しさが、あったことを暗い過去だとは思っていません。

自分を見つめていたからこそ、感じた苦しさだったのだと。

今は、そう思えています。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

今回の記事は、『本業は自分』の中で書ききれなかったことを、もう少し深めてみた内容です。

もし、なぜそこまで自分を探し続けたのか。
なぜ銀行を辞め、ミャンマーへ行き、ゲストハウスを始めることになったのか。
そんな背景にも興味を持っていただけたら、応募作品の方も読んでいただけると嬉しいです。

【note創作大賞応募作品】


いいなと思ったら応援しよう!

まさき|本業は自分 私の本業は、自分です。この記事が、あなたの一歩を、そっと後押しできたなら、うれしく思います。いただいたお気持ちは、宿を続けていく力にします