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クララの映画考察⑭ 「ボーはおそれている」【ボーの罪と罰】

「ボーはおそれている」を観ました。ちなみにこれで3回目です…アマプラで見放題になってからも、3時間モノと聞きなんとなく先延ばしにしていた「ボー」ですが

「巨大チ⚪︎チ⚪︎モンスターが出てきた!」

と同じく映画好きな妹から聞いたその日に即刻再生ボタンを押しました。「意味がわからない」という前評判の通り最初は「は?」の連続で思考することすら無意味と感じ、当初は考察を諦めていた。


noteで映画考察を書くのが趣味だけど、最近見た「ロブスター」「アメリカン・サイコ」は、他の方が書いた説得力のある考察文を先に読んでから観てしまい、後から意見をもつことが難しくなってしまった。やっぱり先に情報に触れてしまうと書けない…。「ボーはおそれている」、ざっくりこういう風に感じた、ってことをわたしなりに書いておこうと思います。



① この映画は「比喩」として捉える

わたしはこの映画はとにかく比喩だと思った。というか、そう捉えないと無理が多すぎました。テレビ78チャンネルに映る自分の未来とか、ラストの裁判ボートのように、現実にはありえないものが出てくるからです。この映画自体が作中の劇のような「お話」というか「寓話」のようなものなのではないかと思う。
「比喩」を最も強く感じたのはラスト、ボート裁判のシーンです。
その前に、ボーは母親の首を絞め、ボートに乗って出立するという流れがあります。ボーはまるで映画中盤の劇中劇のように、自分の本当の居場所と家族を探す旅に出たかのように見えました。ところが、進んでいると思っていたボートは最初から大きなドームの中にあり、船は固定されていた…
これはボーのこれまでの人生を象徴しています。ボーの全てはずっと母親の手の中にあり、比喩的な意味で、外に出たことなんか一度もなかったということではないかな。

映画の冒頭は出産シーン(ボー目線)から始まりますが、ボーはある意味、未だもって生まれさせてもらえていないんです。あのドームの中のシーンは、象徴的にはボーがずっと母親の胎内にいることを表していると思うんですよ。


② ボーの周りではなぜ怖いことばかり起きるのか

最重要(ネタバレ)ポイントは

「ボーを取り巻く人、場所、出来事に至るまで、彼の人生の全てをモナが管理、監視、設定していた!」

という、これは「トゥルーマン・ショー」みたいな話なのです。わたしはこの設定に則り、映画の中の全ての人、場所、出来事を「モナがボーに与えたもの」として考察します(明らかに夢のシーンと、作中劇に登場するボーは除いて)。


彼が生活する世界は、部屋から一歩外に出れば危険がいっぱいです。いつも誰かがこっちを見ているし、いつも誰かに追いかけられるし、道端で人は死んでるし…家に帰るまでの「旅」の間も、恐ろしい出来事が次々に起こります。これら全てがモナによるものなら、なぜこんな酷い仕打ちを?

わたしが思うに、ボーに降りかかる恐ろしいこと全て、モナによるボーへの「罰」と捉えると一番しっくりくると思うんです。

ではなぜ、ボーは罰を受けなければならないのか。

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映画中盤の劇中劇で、お面の人がこんなことを言うシーンがあります。
「不幸を嘆くより、自らの罪を嘆くべきです」
「あなたが利己的すぎて、誰にも見つけられなかった」
この劇だってモナがボーに見せているわけですから、これはモナによる、ボーへのメッセージということになります。ではボーは何をした?彼が犯した罪とは?それは…

「わたし(母)を愛さなかった罪」ではないだろうか。

いや、もちろんボーが母を愛していなかったわけではなくて。問題はモナにある。


③ モナの育ち方と歪んだ愛情

母親モナはいわゆる毒親だとは思うのですが、もちろんボーを愛しています。ただ、歪んでいるのです。モナ自身も語っているようにモナは「母から愛されなかった」人間です。だから愛がわからない。「山を動かすほどの愛」がモナには本当にあったのです。ただ、愛の形が歪んでいた。自分自身が母親の愛情を知らないモナは、愛し方を間違えてしまった。そして子供を愛する代わりに、見返りを求めました。
「だからあなたもわたしを愛してくれて当然」と。


そもそも、モナが病的な人間なのは冒頭出産シーンからすぐにわかります。ヒステリックな母親です。「赤ん坊を落とした!殺した!なんで!?なんでなんで?!」の大騒ぎ。この時点で、モナが神経症とわかります。
こんなモナですから、当然ボーに対しても偏った愛情を与えることとなります。少年ボーが「ケーキにカミソリや発がん性物質が入っている」と言ったり、セックスを恐れるのも「モナとの初夜に腹上死した心臓の弱い父親の遺伝を気にして」で、その心配と恐怖の全てはモナから吹き込まれたものです。だからボーは大人になっても過剰に恐れます。うがい薬を飲み込んで「がんにならない?」と心配し、鍵を開けっぱなしにしていたら不審者が入ってくる怖い想像も膨らみます。


「こんなにしてあげたのに、あなたのプレゼントは去年と同じ!?」
「こんなにしてあげたのに、あなたはわたしを裏切ってばかり!」
と、モナは子どもに勝手に期待して、勝手に裏切られ、勝手に傷ついて、罰を与えてきました。病気やん…


カウンセラーとボーとの会話にモナが「子どもの自立性を裏切りと捉える節があり、その度にボーは不機嫌な態度を取られた」の件があります。モナはボーの自立を、許さなかった。いつまでも赤ちゃんでいてほしい欲求!(いや赤ちゃんは可愛いからわかるけど!!)管理し、監視し、操作することは、彼の自立を阻止するためでもあったというわけだ…


④ 「ボーは罰を恐れている」、とするとあの「夢」は

ここまで考えた結果わたしは、この映画のタイトルについて「ボーは母親からの罰を恐れている」と解釈するに至りました。
(うん、1回目観た時のモヤモヤがだいぶスッキリした)

この映画が「罰」の映画だとすると、劇中何度か出てきたあの「ボーの夢」と「屋根裏」のシーンは興味深いです。


*お風呂のシーン
幼い頃のボーが、バスルームで母モナに服を引っ張られて嫌がっている。入浴を嫌がっているように見える。言うことを聞かないので、ボーは屋根裏に閉じ込められる(これこそ罰!)。それを風呂に浸かったもう一人の自分が見ている。

*屋根裏のシーン
「父親について本当のことを知りたい!」と言ったボーに母モナは屋根裏に上がるように指示します。ボーは嫌がりながら上がりますが、なんとそこには「チ⚪︎チ⚪︎モンスター」と、子どもの頃の服を着たまま大人になった自分がいる。

両方のシーンで気になるのは自分(ボー)が二人いるということなんですよ。わたしが思うに、多分ボーは子どもの頃無意識に自分を二人に分けたんじゃないかな。虐待を受けた子どもが、辛すぎる現実やトラウマのせいで人格が二つに分かれるといったような話、聞いたことがありませんか。あの2つの場面(「罰」と密接につながる風呂と屋根裏)にもう一人のボーがいるのは、暗にそれを示すのではないかと思う。


で、屋根裏にいたチ⚪︎チ⚪︎モンスターについては…あれは…父親の象徴っぽかったけど、あれは…なんですか?笑
みなさまのご意見伺いたいです笑


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