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消えない違和感は弱さの証拠ではない

同じ違和感が、何年経っても消えないことがある。

もう終わったことのはずなのに、ふとした瞬間によみがえってくる。

そのたびに、自分の心が弱いからだ、と思ってしまう。

でも本当にそうだろうか。

多くの人は、違和感が消えないことを、自分の性格の問題として片づけてしまう。

気にしすぎだ、心が弱いから引きずるんだ、と。

これまでこのシリーズでは、違和感を無視するな、と繰り返し書いてきた。

今回は、その違和感そのものの正体について書いていく。

あるとき、ずっと引きずっていた違和感の理由が、腑に落ちたことがある。

なぜあのとき、もっとちゃんと言い返せなかったのだろう、と自分を責め続けていた。

けれど振り返ってみると、あのときの自分には、そうする力そのものがまだ育っていなかった。

選ばなかったのではなく、選べる状態になかった。

弱かったのだと思っていた。

でも違った——ただ、昔の自分を守っていただけだった。

自分の中には、自分でやったことを引き受けたい自分と、それを誰かと分け合いたい自分がいる。

違和感とは、その一方が、もう一方に向けて上げている抗議の声だ。

その声が消えないのは、心が弱いからではなく、その声にまだ応えていないからだ。

そして、応えられなかった理由は、大きく分けてふたつある。

選べたのに選ばなかった、という回避パターン。

そもそも選べなかった、という構造的制約。

このふたつは、まったく別のものだ。

さきほどの経験は、後者だった。

弱さのせいだと自分を責め続けている間、違和感はむしろ強くなっていった。

それでも、今は選べるはずではないか、と思う人もいるかもしれない。

たしかに、今はもう選べる場面もあるだろう。

ただ、当時選べなかったことと、今選べることは、別の話だ。

過去の自分を、今の基準で裁く必要はない。

それでも、本当は選べたのに選ばなかった場面が、他にあったかもしれない。

それならそれでいい。

回避だったと分かることも、ひとつの前進だ。

大事なのは、どちらだったかを自分で見極めることであって、すべてを構造的制約のせいにすることではない。

次に、消えない違和感に気づいたときは、少しだけ自分に聞いてみてほしい。

・その場面で、今のような力や情報が、当時の自分にはまだなかっただろうか →YES/NO

・当時のあの対応は、あのときの自分にとって精一杯だったと、今なら思えるだろうか →YES/NO

・今なら、同じような場面で違う対応ができそうだろうか →YES/NO

上の2つがYESなら、それは弱さではなく、そもそも選べなかった証拠だ。

自分を責める理由は、どこにもない。

3つ目もYESなら、そこはもう、今の自分が選び直せる場所になっている。

弱かったのではなかった。

ただ、あのときの自分を守っていただけだった。

自分の中の違和感を見極める目もまた、人を見る目の一部だ。

次回は、「本当に信用できる人」について書いていく。


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