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ありがとうと思えない自分もいていい― 視覚障害の私の中にある「感謝」と「しんどさ」

助けてもらったのに、
素直に「ありがとう」と言えなかったこと。

言葉では「ありがとう」と返したけれど、
心の中では、どうしても100%そう思えなかったこと。

そんな経験はありませんか。

せっかく助けてもらったのに、
心から感謝できない自分に気づいて、
「こんなふうに思う自分は、ダメなんじゃないか」
そんなふうに、自分を責めてしまったことはありませんか。

その時、あなたは、
どんな気持ちを抱えていましたか。

私自身にも、
そういう「その時」がありました。

ーーー


「人生は、アンビバレントな感情で溢れている」という連載シリーズ第3回目です。。

アンビバレントというのは、
相反する気持ちを、同時に抱えている状態のこと。
どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、
そんなふうに簡単には割り切れない感情のことを指します。

人生の中には、
白か黒かでは決められない気持ちが、
思っている以上にたくさんあるように感じています。

やりたい気持ちと、怖い気持ち。
前に進みたい思いと、立ち止まりたい心。
ありがたいという気持ちと、しんどさ。

どちらか一方を選べば楽になるような気がして、
でも、どちらも本音で、
簡単には手放せない。
そんな揺れを、私は何度も経験してきました。

この連載では、
そうした揺れる気持ちを、
無理に整理したり、
きれいな答えにまとめたりはしません。

「こう考えれば大丈夫」
「こうすれば乗り越えられる」
そんな正解を示す場所でもありません。

ただ、
揺れているままの気持ちを、
揺れているまま、言葉にしてみる。
それだけの場所でありたいと思っています。

第1週目、第2週目の記事も良かったらぜひ、読んでみてください♡

このシリーズは、日曜日の夜に気ままに連載しています。
そして、すべて有料記事として販売しています。

このを有料で公開しているのは、
「読んでもらえたらうれしい」で終わらせたくない、
そんな思いがあるからです。

見えなくなってからの人生で、
私は本当にたくさんの人や場所に支えられてきました。
支援があったからこそ、
今の生活があり、
こうして言葉を紡ぐことができています。

だから、この連載を通していただいた売上の一部は、
経費を除いたうえで、
視覚障害の支援団体へ寄付する予定です。

私ひとりの力は小さくても、
この文章をきっかけに、
支援が、また次の支援へとつながっていく。
そんなやさしい循環が生まれたらいいなという願いを込めて、このシリーズを綴っています。


無理のないかたちで、
もし共感してもらえる部分があれば、
この連載を応援してもらえたらうれしいです。

ーー
そして今週は、
アンビバレントな感情の中でも、
**「ありがとう」と「しんどさ」**が
同時に存在してしまう感覚について書いていこうと思います。

助けてもらえて、ありがたい。

本当に、ありがたいと思っている。

それでも、
心のどこかで、
少しだけ疲れてしまう自分がいる。
素直に喜びきれない自分が顔を出す。

そんな気持ちは、
あってはいけないものなのでしょうか。

今日は、
その問いを抱えたまま、
私自身の経験を通して、
この揺れを言葉にしてみたいと思います。

ーーー

🐾1.支援を受け取ることが怖かった



見えなくなったばかりの頃、
私は外に出るたびに、
いつも強い緊張を抱えていました。

たとえば、駅。

改札に行きたいだけなのに、
改札がどちらの方向にあるのかわからない。
どっちのホームに行けばいいのかもわからない。

人の流れや音は感じるのに、
自分が今どこに立っていて、
どこへ進めばいいのかがつかめなくて、
足がすくんでしまう。

怖くて、
どう動いていいかわからなくて、
立ち尽くしてしまう。

本当は、
そんな時こそ、
助けてもらえたらどれだけ心強いか。
声をかけてもらえたら、
きっと救われる場面だったはずです。

実際に、
そんな私に声をかけてくれる人がいました。

「大丈夫ですか」

今思えば、
とてもやさしい声かけでした。
勇気を出して、
困っていそうな私に関わってくれたのだと思います。

でも、その時の私は、
そのやさしさを
素直に受け取ることができませんでした。

「大丈夫です」

そう返しながら、
その言葉の後ろには、
「ほっといてください」
そんな気持ちがくっついていたと思います。

本当は、
怖くてしょうがなかった。
どう進んでいいかわからなくて、
助けてほしい気持ちも、確かにありました。

それなのに。

その声かけを受けた瞬間、
私の中には、
別の気持ちが一気に湧き上がってきてしまったのです。

―― 周りの人には、
私は「困っている人」
「助けなきゃいけない人」に
見えているんだ。

そんなふうに思ってしまいました。。

そんなふうに見られたくない。
私は、
そんなに弱い人間じゃない。
そんなに何もできない人間じゃない。

そう思いたい一心で、
私は、
せっかく差し出してもらった助け舟を、
自分から突き放してしまっていたのです。

あとから振り返ると、
あの時の私が拒んでいたのは、
その人の善意そのものではなかったのだと思います。

拒んでいたのは、
「助けられる側の自分」
「できないことを抱えた自分」
そんな現実でした。

見えなくなったばかりの私は、
まだ自分の変化を受け止めきれていなくて、
できなくなったことを認めることが、
とても苦しかった。

助けてもらうということは、
その「できなくなった自分」を
否応なく突きつけられることでもありました。

ありがたい。
本当にありがたい。

でも同時に、
悔しい。
情けない。
認めたくない。

その全部が一緒に押し寄せてきて、
心の中がぐちゃぐちゃになってしまっていたのだと思います。

だから私は、
「ありがとう」と言う前に、
自分を守るほうを選んでしまっていた。

強がらないと、
心が折れてしまいそうだったから。

今思うと、本当にひどいことをしていたなと思うのですが、あの頃は、本当にそうするしかなかったのです😿

そうすることでしか、自分というものを保てなかった。

あの頃の私は、
冷たかったわけでも、
感謝を知らなかったわけでもありません。

ただ、
「できなくなった自分」と向き合うには、
まだあまりにも必死でした。

助けてもらうことは、
前に進むための手段なのに、
その手を取ること自体が、
自分の価値が下がってしまうような気がして。

本当は怖くて、
本当は心細くて、
本当は誰かの声にすがりたかった。

それでも、
「大丈夫です」と言わずにはいられなかった。

今思えば、
あの時の私が守ろうとしていたのは、
自分のプライドというより、
かろうじて崩れずにいた
心の形だったのかもしれません。

あの瞬間の選択が、
正しかったかどうかはわかりません。

一般的に言えば、正しくなかったでしょう。

でも、
あの時の私にとっては、
あれが精一杯の、生き方でした。

ーーー

🐾2.それでも今は、ありがとうって思えるようになった

今は、
困っているときに
「大丈夫ですか」と声をかけてもらえたら、
心からうれしいな、ありがたいな、と思います。

そして、
よかった、助かった、
そんなふうに、ほっとする自分がいます。

今、何に困っていて、
どうしてほしいのか。
それを落ち着いて伝えて、
助けてもらえるようになりました。

改札はどちらか。
どのホームに行けばいいのか。
どの方向へ進めばいいのか。

「ここに行きたいんです」
「どっちの方向か教えてもらえますか」

そんなふうに、
自分の状況を言葉にして、
必要な手助けをお願いできるようになった。

これは、
私にとってとても大きな変化であり、
大きな成長だったと思います。

ここまで来るには、
本当にたくさんの時間がかかりました。

見えない状態で生活することに慣れること。
できないことがある自分を、
少しずつ受け止めていくこと。
そして何より、
たくさんの人のあたたかさに触れてきたこと。

それらが積み重なって、
ようやく
「助けてもらっていい」
そう思えるようになったのだと思います。

振り返ってみると、
以前の私にとって
「人に頼る」ということは、
とてもハードルの高いことでした。

頼ることは、
できない証拠。
情けないこと。
恥ずかしいこと。

どこかで、
そんなふうに思い込んでいたのだと思います。

できるだけ一人でやらなきゃ。
誰にも頼らずに生きられるようにならなきゃ。

そんな気持ちで、
無理をしていた時期もありました。

でも、
その考え方を大きく変えてくれたのが、
同じ視覚障害の仲間たちとの出会いでした。

機能訓練を受ける中で、
たくさんの仲間に出会いました。

最初の頃の私は、
正直に言うと、
「一緒にされたくない」と思っていました。

あんなふうに人に頼ってばかりの生き方はしたくない。
私は自分で何でもできるようになって、
頼らずに生きていくんだ。

そんなふうに、
どこかで線を引いていた自分がいました。

でも、
周りの仲間たちを見ているうちに、
その考えは、少しずつ揺らいでいきました。

仲間たちは、
ただ頼っているわけではありませんでした。

自分に何が必要なのかをきちんと理解して、
それを相手に伝えて。
必要な分だけ、
必要な場面で、
サポートをお願いしていました。

そして、
自分でできることは、
ちゃんと自分でやっている。

その姿は、
とても自然で、
とても誠実で、
私にはとてもまぶしく見えました。

これこそが、
本当の意味で
「自分の力で生きている姿」なんじゃないか。

頼ることを恥ずかしがって、
無理をして、
一人で抱え込んでいた自分のほうが、
よほど苦しかったんじゃないか。

そう思うようになりました。

頼ることは決して恥ずかしいことではなく、自分の生活を支えるための大切なスキル

そう思えるようになりました。

だから今の私は、
日々の生活の中で、
本当にいろいろな人に助けてもらいながら
暮らしています。

ヘルパーさんに買い物を手伝ってもらったり、
家事を一緒にやってもらったり。

職場や学校で、
必要な配慮をお願いして、
環境を整えてもらったり。

友達と一緒に出かけたときには、
お店まで案内してもらったり、
メニューを読んでもらったり、
席まで連れていってもらったり。

横断歩道で
「今、青ですよ」と声をかけてもらえたり、
「よかったらお手伝いしましょうか」と
声をかけてもらえたり。

そうやって、
たくさんの人の手を借りながら、
私は今の生活を送っています。

そのことを、
私は本当にありがたいなと思っています。
安心して生活できているな、と感じています。

無理をしてではなく、
ちゃんと本音として
「ありがとう」と思えています。

ただ——
それで、
すべてが楽になったわけではありません。

ーーー

※ここから先は有料エリアになります。

ここから先は、
助けてもらったときに
「ありがとう」と思っているはずなのに、
どこか心が追いつかなかったことがある人に向けて書いています。

感謝している気持ちは、確かにある。
ありがたいとも思っている。
それでも、
その気持ちだけでは包みきれない
小さなしんどさや、もやっとした感覚が
残ってしまったことはありませんか。

この有料エリアでは、
そんな
「ありがとう」と一緒に生まれてくる気持ちを、
無理に整理したり、
正しい形にまとめたりせず、
そのまま言葉にしています。

前向きになるための文章でも、
答えを出すための文章でもありません。

ただ、
こんなふうに感じてしまうのは
自分だけじゃなかったんだな、と
少しだけ安心できたり。

揺れている自分や、
うまく割り切れない気持ちを、
「それでもいいのかもしれない」と
そっと受け止められるようになったり。

そんな時間になったらいいなと思って、
ここから先を書いています。

この連載を有料にしているのは、
この話を
軽く読み流されるものにはしたくなかったからです。

また、この連載でいただいた売上の一部(経費を除いた分)は、
視覚障害の支援団体へ寄付する予定です。

これまで私自身が、
たくさんの人の手や、やさしさに支えられてきたからこそ、
この文章が、
どこかで誰かの支えにつながっていったらいいな、
そんなふうに思っています。

もし、
「この先も読んでみたいな」
「今の自分に、少し重なるかも」
そう感じてもらえたら、
最後まで読んで応援してもらえたらうれしいです。

ここから先も、
無理のない言葉で、
揺れたままの気持ちを書いています。



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