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【気付き】初マガジン

noteを始めて、初投稿した数日後、
これまたnoteならではの体験をしました。
書き出してから少し日が経ってしまっているのですが、
とても素敵な体験だったのでゆっくり自問自答していました。


note初体験

それは、"マガジン"機能

まだ、自分では使用したことがなく、機能紹介を読んだ程度でした。
そこへ突然の通知。

実際の通知表示
実際の通知表示

追加…されました?
…されました??

最初はこれがよく分からなかったものの、通知から飛ばせて頂き、これがマガジン機能による通知だと判明しました。

こちらは実際にマガジンの詳細を拝見させて頂いた時のキャプチャです。

Q_nineさんのマガジンより


Q_nineさんのマガジンより


貴重な新たな感覚と感情の出会い、
初投稿同様、こちらを拝見した時に出会った感覚、感情を書いてみようと思います。

先ず"初めて投稿した時"同様、複合的な気持ちになりました。
noteを始めたばかりで書いたものを、人様に読んで頂いたということ、そして数ある記事の中でリアクションを取って頂けるということに畏まると共に、マガジンという形で取り上げて頂いたことに対して、少し額の辺りがふわっとする感覚がありました。

これは何だろう?
嬉しい、畏れ多い、気恥ずかしい、の複合的な感情以外のものが混ざっている?

そう言えば…
と、自分の書いたものを見直しました。

そして、1つ触れていなかったものを思い出しました。
それは表示された画面上の内容。
その画面には、私がトップ画で作成した画像に額縁のような枠が付いた状態、つまり加工された状態で表示されていました。

実は、これ、今考えると"嬉しい"と感じたのです。

実際にはCanvaのテンプレートを使用させて頂いているので、完全なオリジナルではありませんが、それでも、最初、どのような内容にするか悩んで、画像も手探りで作成した初投稿。
その画像が加工されている。
何だか、それが嬉しかったのです。

とは言っても、ここでは世にある作品の二次創作とかそういったものが善い悪い、という話をしている訳ではないので、率直な感想として書き出しています。

でも、ちょっと二次創作、に重なるところもあるかもしれません。
自分で作った"何か"が、誰かに加工された、ということが今までに経験したことがない"嬉しい"に繋がったのかもしれません。
しかも自分では思いつかないような形で。

誰かとコラボレーションした、ということに対して感じた感情なのかもしれません。

…これは、新たな"好き"への第一歩?
と、新たな気付きでした。

その後、別の記事で自分の好きな絵について考察してみた時、今の好きな絵に挙げた内容と共通点があったように感じました。


初投稿とは違った感覚

前回の初投稿と違い、今回衝撃を受けたことがありました。
それは、追加して頂いたマガジン名。

「すき」と想うお話

私の"好き"と他のクリエイターさんの"すき"が出会った奇跡。
ちょっと大げさにも聞こえるかもしれませんが、別の記事を読んで頂くと、その意味が垣間見えるかもしれません。

今まで全く違う人生を歩んできたであろう2人の人間が、それぞれの過去の温かい何か、優しい何か、に触れることが出来た。
例え"好き"の強さのようなものは違っても、これは温かい、優しい世界。

頭と胸の辺りに感覚が集中して、そして心がちょっぴりくすぐったいような感覚。
頭は額の部分ばかり気を取られていましたが、耳より少し後ろ、手で触ると骨の辺り。
あまり得意な分野ではないのですが、恐る恐る調べてみると、後頭骨の下部、骨の終わり部分とその下の骨がない辺りという感じ。

これは温かい、と言うより、少し筋肉のようなものが収縮しているような感覚に近いかもしれません。
他の人が同様に感じるかは分かりませんが、私が感じた私特有の感覚であっても、この感覚を覚えておき、また違う機会に感じたら、その時の状況、気持ちを比較してみると、自分の感情に気が付きやすくなるかもしれません。

今まで、特定の状況の時のみにしか言語化したことがなかった、しかもどちらかと言うとあまりポジティブな状態ではないような時、心の中で言語化していることが多かったので、こうしてポジティブな感情であろう時の感覚を書き出すことは本当に新鮮です。
(泣きそうな時に、喉の奥が熱くなる、鼻がきゅっと痛くなる、のような感じは何となく心の中で言語化していた記憶があります)

そもそも、感覚を書き出す、ということ自体がかなり新鮮で、自分で始めたものの、次にどんな感覚や感情を書くことになるのか予想も出来ません。
自分というものが生まれてからそこそこの時間が流れていますが、自分自身自分のことを分かっているような気持ちだけでいて、実はよく分かっていないまま生きてきたような気がします。

よっぽど、身近な人のことの方が見ようとしたり、分かりたい、とあれこれ想像を巡らせている時間が長いような気がしたのです。
勿論、その人のこともその人本人が一番分かるはずで、私が考えていることはあくまで私の解釈、想像、でしかないことは確かなのですが。

それでも自分以外の人へ思考を向けている時間が長い、これは何だか不思議な状態なのかもしれません。

人のことに想像を巡らせているように、自分のことも客観的に見て想像を巡らせる、これも出来るはずなのでは?

想像を巡らせるだけでも良いのですが、私はどうしても全てを覚えていられる自信がないので、何処かしらに書き出すということが向いていて、途中追記したり、書き直したりすることが用意なデジタルは頭整理用には向いていそうです。


お礼

noteを始めて、早数日、今まで気が付かなかったような感覚や感情を認識することが出来ました。
最後になりますが、今回きっかけを下さったQ_nineさん、本当にありがとうございました。


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