第5話『ハデスの眼、ガイアの部屋』恋愛小説部門
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気がつくと、目が覚めていた。
「おーい、ウチェリファン! 朝めし! 朝めし食わせろー!」
オーファンの声だ。宴の翌朝は、いつもこうだった。だが今日は、妙な寝起きだった。嫌な汗が残っている。口の中も乾いていた。夢を見ていた気がするが、うまく思い出せない。
「おい、聞いてるかー!」
「ああ、聞いてるよ」
俺は苦笑しながら体を起こした。
* * *
オーファンが帰ったあと、部屋を片づけ、身支度を整える。そして気がつけば、俺は市場へ向かっていた。
ジンのために、朝どれの果実を使った飲み物。メジェンと飲むために、できるだけ口当たりのいい葡萄酒。花と、それを飾るための器。青い宝石を使った首飾り。ジンが寂しがると困るので万能短剣も一本。チーズも追加で買って、気づけば両手いっぱいの荷物になっていた。
少し早い時間だったが、そのままふたりの住まいへ向かった。
「ジン! メジェン! いるかー!」
すぐに奥から慌ただしい足音が聞こえる。
「ウチェリファン様! ほんとに来てくれたんだね! 夢かもしれないって、お姉ちゃんが言うから、心配だった!」
「ははっ、大丈夫だ。約束は守る」
その後ろから、メジェンが恥ずかしそうに顔を出した。
「……本当に来てくれたんですね」
俺も急に照れ臭くなって、目を逸らした。そして贈り物があったことに気が付く。
「あ、これ」
花を差し出す。
「……きれい。ありがとうございます。でも、うちには飾る器が……」
「それならこれもある」
器を取り出すと、メジェンが少し困ったように俺を見る。
「高かったでしょう?」
「気にするな。戦の褒賞が腐るほどあって使いきれない。メジェンに喜んでもらえるなら、それより嬉しいことはないんだ」
「ウチェリファン様……」
メジェンがうるんだ瞳で俺を見つめる。
「あのー……俺もいるんだけど?」
ジンがじっとこちらを見ていた。
「あ、いや! ジンにもあるぞ。ほら、万能短剣だ」
「えっ!? こんなの本当にいいんですか!? ずっとほしかったんです! ありがとうございます!!」
こんなに喜んでもらえるとは。やはり買ってきてよかった。
「それからこれ。朝どれ果実の飲み物だ。俺とメジェンは葡萄酒飲むから、ジンはそれだ」
「うわあ、こんなにすごいもの! ありがとうございます!」
素直で気持ちのいい少年だ。本当に何でも喜んでもらえる。
「それで、メジェン。葡萄酒一緒に飲んでくれるか?」
「……お酒は飲んだことありませんけど……、飲んでみたいです」
「よし。じゃあ始めるか。俺たちは『宴』って呼んでいるんだが」
「宴! 宴!」
ジンが飛び跳ねた。
部屋の中には、すでに料理の匂いが広がっていた。干し肉と豆の煮込み、芋と果実の甘煮。素朴だが、あたたかい匂いだった。
「メジェン、美味そうだな!」
「ちゃんとできているか……」
「大丈夫だよ! 味見したけど、すっごく美味しかった!」
ジンが元気よく割り込む。本当に気持ちのいい姉弟だ。メジェンの心は読めないが、ジンは思ったことをすぐに口にする。雑音のない宴は、オーファン以外とは初めてだな。
「じゃあ食べてみるか。メジェン、この煮込み食べていいか?」
「やっぱりだめ! ウチェリファン様のお口には合わないかも!」
「はっはっは、もちろん食べるぞ!」
メジェンが固唾をのんで見ている。俺は煮込みを一口食べた。
「美味い!!」
「……本当?」
「ああ、本当さ! 本当に美味い」
もう一口食べる。
「……うん、美味い」
「でしょー! お姉ちゃん、何回も言っているのに、いつまでもぐずぐず言うんだよ」
「おいしい。こんなに美味しい料理を用意してくれてありがとう。嬉しい」
メジェンがうるんだ瞳で俺を見る。
「あの、ウチェリファン様。ワタシも葡萄酒いただいていいですか?」
「おお、飲め飲め! 葡萄酒はあおるように飲むのが、作った者への礼儀ってもんだ!」
メジェンはごくごくと二口ほど飲んだ。その顔が、ほんのり赤くなっていた。
「こんなに幸福で……いいのかしら」
「いいに決まってる!」
俺は自分の杯を高く上げた。
「よし、宴の始まりだ!」
* * *
三人の宴は大いに盛り上がった。
ジンはえらくはしゃいでいたが、気がつくと床で眠っていた。今は静かな寝息を立て、果実の飲み物を抱えたまま丸くなっている。
「寝たな」
俺が笑うと、メジェンも小さく笑った。
「浮かれすぎです。ご迷惑じゃなかったですか」
「ははは。喜んでもらえたなら、何よりだ」
俺はゆっくり立ち上がった。
「少し風に当たってくる」
「……はい」
外へ出ると、夜風が心地よかった。遠くには城下町の灯りが見える。窓から漏れる光が、夜の中でぼんやり揺れていた。
「外から見ると、綺麗なもんだな」
俺は、城にも街にも溢れている悪意や嫉妬を知っている。人の心が読めるからこそ、なおさらだ。
「ここで暮らすのも悪くないのかもしれんな」
そう呟いたとき、隣に人の気配を感じた。メジェンだった。そうだった、彼女は心が読めないから、気を抜くとこういうことになる。
「ウチェリファン様、どうしたんですか?」
「いや。外から見ると、綺麗だなと思ってな」
メジェンは城下町を見つめたまま言った。
「ウチェリファン様は、人の心が読めるんですよね?」
「! どうしてそれを?」
「なんとなく、わかります。でも、ワタシの心は読めない」
「……なぜわかる?」
「だって、わかっていたら、もっと違う態度のはずです」
そう言いかけた時だった。メジェンの周りに、淡い光が浮かび上がる。
「これは……光虫か?」
「ええ、この季節になると、ここへ集まってくるんです」
「いや……集まっているのは、君にだろう」
不思議だった。光虫たちは、メジェンを囲むように漂っていた。その光で顔が照らされるぐらいだ。こんなに美しい光景を、俺はこれまで見たことがなかった。
俺が彼女に吸い寄せられるように近づき、手を伸ばすと、光虫たちは静かに夜へ散っていった。再び、月の光だけが俺たちを照らしていた。
「メジェン。君は美しい。君を見ていると胸が苦しくなる。こんな気持ちは初めてだ」
彼女は少し黙ってから、静かに言った。
「ワタシも、初めてお会いした時から、同じ気持ちです。声に出してしまいそうなくらい……ウチェリファン様のことばかり考えていました」
そう言って、メジェンは顔を伏せる。
俺はゆっくり彼女に近づき、その肩に手を置いた。メジェンはビクリとしたが、振り返り、そして俺の胸に顔をうずめた。
「ワタシ、何か悪いことをしているような気がします」
「俺もだ。君の細い体を俺の人殺しの手で抱きしめていいのか悩んでいる」
「抱きしめてください。この命、ウチェリファン様になら、差し上げます」
「俺も……俺の命も君になら受け取ってもらいたい」
「はい」
俺たちが抱き合っている周りに、いつのまにか光虫が集まってきていた。
「メジェン、ここは美しい場所だな」
「ええ、誰もいなくてワタシは好きです」
「また、会おう」
メジェンは少しだけ寂しそうに笑った。
「……時々でも、嬉しいです」
「違う。ジンと一緒に、俺の館へ来い」
メジェンが顔を上げる。
「え……?」
「いや、つまり……俺の妻にならないか? ジンも連れて、一緒に住んでほしい」
メジェンは俺を見上げた。その瞳に光虫の光が反射し、キラキラ輝いている。そしてその瞳から涙があふれだす。
「ワタシなんかでいいんですか?」
「君じゃないとだめだ。君がいなければ俺は魂の抜け殻になってしまう」
俺は今日買った青い宝石の首飾りを彼女の首にかけた。
「一緒になって、永遠に共にいてほしい」
メジェンは宝石には目もくれず、じっと俺の目を見つめたまま言った。
「はい、永遠にそばにいさせてください」
俺たちがもう一度抱き合うと、月は雲に隠れ、光虫はどこかに行ってしまった。
そこには恋に落ちた一組の若い男女がいるだけだった。
