第2話『ハデスの眼、ガイアの部屋』恋愛小説部門
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【第1章 紀元前五世紀 ギリシャ】
《ウチェリファンの眼:ウチェリファンの視点》
あるとき俺は、自分が人と違うことに気が付いた。
人の考えが、わかる。そして――死ぬ人間も。
理由は知らない。神が与えた才なのだと、勝手にそう思っていた。
「おーい、ウチェリファン!」
友の声がした。振り向くと、オーファンが大きく手を振っている。夕陽を背に立つその姿は、まるで神話に出てくる英雄みたいだった。
「どうしたんだ、オーファン」
「ああ。そろそろ城へ戻ろうかと思ってな。明日の戦の準備があるだろう?」
「そうだな。でも、俺は少し用がある。先に行っててくれ」
「そうか。遅れるなよ?」
オーファンは笑い、槍を肩に担ぎながら去っていく。
あいつは昔から嫌われ者だった。強すぎたからだ。何をやっても人よりできてしまう。それだけで、人は勝手に怯え、妬み始める。しかもオーファンは天涯孤独だった。街の連中は理由もなくあいつを遠ざけた。時には警備の連中に無実の罪で殴られることすらあった。
俺とオーファンが打ち解けるまで、それほど時間はかからなかった。同じ孤児だったからかもしれない。あるいは、天賦の才を持つ者同士、どこか似た孤独を抱えていたのかもしれない。
俺は自分で言うのもなんだが、友人は多い。人からの信頼もある。だが、本当に気を許せる相手となると、オーファンくらいだった。あいつといると、妙に落ち着くのだ。
そして俺には楽しみがあった。戦のあと、オーファンとふたりで開く『宴』だ。葡萄酒を浴びるように飲み、肉を食い、思ったことを好き勝手に喋る。ただそれだけの時間。だがその時間だけは、誰にも気を使わなくてよかった。人の心が読める俺には、わかる。オーファンは、あの時間を本当に楽しみにしている。だから俺は、宴の準備をする時間も嫌いじゃなかった。
『市場』へ行けば、たいていのものは揃う。新鮮な野菜、干し肉、熟成されたチーズ、木の実に豆。遠い異国から届いた香辛料まである。
俺が食材を選んでいると、突然、耳障りな怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい、呪われた娘! なんでこんなところにいる!」
見ると、数人の男が若い女を囲んでいた。薄汚れた服。痩せた身体。その後ろには、まだ幼い少年が隠れている。
「さっさと帰れ! 疫病が移る!」
俺はため息をつき、男たちへ歩み寄った。
「おい。帰れよ、早く」
男のひとりが睨み返してくる。
「なんだてめえは! 関係ないだろ!」
「俺は雑音が嫌いなんだ。痛い目を見たくなければ、さっさと失せろ」
男たちはさらに怒鳴ろうとした。だが、ひとりが俺の顔を見て青ざめる。
「お、おい……ウチェリファン様だ! お前、早く謝れ!」
空気が変わった。さっきまで威勢のよかった連中が、急にしどろもどろになる。
「い、いや……俺たちはただ、この女には関わらない方がいいと……」
「俺はな、うるさいのが嫌いなんだ」
「は、はいっ! 失礼しました!」
男たちは逃げるように去っていった。
残されたのは、女と、その弟らしい少年だけだった。
そのとき。俺は、奇妙な感覚を覚えた。
心が読めない。
目の前にいるのに、何も聞こえない。こんなことは、生まれて初めてだった。
「一人か?」
女は小さく首を振る。
「弟と……一緒です」
「親はいないのか?」
「……両親は亡くなりました。今は弟と二人きりです」
「名前は?」
「……メジェン」
「俺はウチェリファンだ」
彼女は、その名を小さく繰り返した。
「ウチェリファン……」
風が吹いた。長い髪が揺れる。その横顔を見た瞬間、なぜか胸の奥が妙にざわついた。
「また、会えるか?」
彼女は答えなかった。ただ少年の手を引き、そのまま貧民街の方へ歩いていく。小さな背中が、夕暮れの中へ消えていった。
「メジェン……か」
俺は、その名を胸の奥で繰り返した。
* * *
